サマーフェスティバル2015日本最大の現代音楽祭、戦後ドイツの前衛から国内の新人まで

日本最大の現代音楽祭「サマーフェスティバル2015」(サントリー芸術財団主催)が8月22~30日に開かれた。今年は世界最高のオーボエ奏者でもある作曲家ハインツ・ホリガーの自作自演のほか、6人の歌手によるカールハインツ・シュトックハウゼン(1928~2007年)の「シュティムング」の公演が光った。最終日には第25回芥川作曲賞選考演奏会を開き、審査員の作曲家3人が候補者3人をそれぞれ推してもめた後、坂東祐大(24)の「ダミエ&ミスマッチJ.H:S」(2014年作曲)が受賞した。

ハインツ・ホリガーの「インクレシャントゥム」を演奏するホリガー(右から2人目)とクァルテット・エクセルシオ(8月22日、東京都港区のサントリーホール・ブルーローズ)=提供 サントリー芸術財団

サントリーホール(東京・港)を舞台に1987年から続く伝統の現代音楽祭だ。今年最大の目玉は、9月5日掲載の音楽レビューで詳報した大野和士指揮東京都交響楽団ほかによる8月23日のベルント・アロイス・ツィンマーマンの「ある若き詩人のためのレクイエム」日本初演である。しかしほかにも特筆すべき公演が目白押しだった。一見とっつきにくい現代音楽の祭典ながら、どの演奏会も満席に近い集客であり、日本の聴衆もいよいよ現代音楽に関心を寄せ始めたかと思える盛況ぶりだった。まずはスイスの作曲家ホリガーの作品を扱った2つの公演を振り返ろう。

初日の8月22日、「テーマ作曲家〈ハインツ・ホリガー〉」の室内楽編。作曲家の細川俊夫が監修している。来日したホリガー自身のオーボエによる演奏を含め、自作4曲が披露された。特に強烈な印象を残したのは「トレーマ~ビオラ独奏のための」(1981年)だ。フランスのビオラ奏者ジュヌヴィエーヴ・シュトロッセが舞台に1人登場し、おもむろに弾き出した。音程が合っているのかどうかさえ分からないほどの高速のアルペジオ(分散和音)とトレモロがこれでもかと続く。遊園地でとてつもなく怖いジェットコースターに乗ってしまった気分だ。ビオラ1本による演奏なのに、様々な音色が網目のように鳴り響き、高速で駆け抜ける。ゆがんでひん曲がりながら突き進む蛇のような音楽だ。

日本初演だったのが「インクレシャントゥム~ソプラノと弦楽四重奏のためのルイーザ・ファモスの詩」(2014年)。パンフレットに対訳の歌詞が載っていた。一見フランス語かと思ったが、ドイツ語のようなウムラウト(¨)が頭に付いた文字もある。スイスのエンガディン地方のヴァラダーというレトロマンス語の方言だという。この日はソプラノが登場せず、ホリガーがオーボエで歌の旋律を吹き、語りの部分は彼が読み上げた。全曲が終わった後に彼は詩の全編を改めて朗読した。正直なところ、1度聴いただけでは捉えどころのない音楽だ。旋律もあるかどうかさえ分からない。曲名の「インクレシャントゥム」は翻訳不可能な言葉だという。「私がどこから来て」「死の翼が」など全6曲から成り、存在の不安や翻訳不可能な未知の死の世界をうかがわせる雰囲気を出していた。

ハインツ・ホリガー作曲「レチカント」を演奏するホリガー指揮東京交響楽団とビオラ独奏のジュヌヴィエーヴ・シュトロッセ(8月27日、サントリーホール)=提供 サントリー芸術財団

8月27日には「テーマ作曲家〈ハインツ・ホリガー〉」の管弦楽編が開かれた。ここでホリガーは東京交響楽団を指揮し、自作のほか、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」なども演奏した。自作の「レチカント~ビオラと小オーケストラのための」(2000~01年)は日本初演。この曲でも「トレーマ」で変な感じのビオラを高速演奏したシュトロッセがソロで出演した。やはりビオラが曖昧な音程のまま嘆き語るかのように音楽が進む。最後は緩やかな曲調になり、途切れるように終わる。現代の追悼の音楽だ。

「デンマーリヒト―薄明―ソプラノと大管弦楽のための5つの俳句」(2015年)はサントリーホール委嘱作品にして世界初演。ホリガーは昨年、妻を亡くし、昨年9月の来日リサイタルでは黒いスーツに黒ネクタイという喪中を思わせる衣装でオーボエを演奏した。この新曲にも死のイメージや追悼の雰囲気が全編に漂う。1991年に来日した際、大みそかの夜、「私の作曲の師匠シャーンドル・ヴェレシュの病死の予感を抱きながら、皇居のそばの公園でこの俳句を作った」とホリガーは言う。日本初演の作品にふさわしく、「私が日本について知ることになった作曲家の武満徹の思い出にこの作品をささげたい。25分間、とても静かでゆっくりした音楽。オーケストラには色彩が求められる」とホリガーは話した。

ハインツ・ホリガーが東京交響楽団を指揮した自作「デンマーリヒト」。ソプラノはサラ・マリア・サン。(8月27日、サントリーホール)=提供 サントリー芸術財団

そのドイツ語による俳句の音楽は管弦楽が大編成ながら、繊細でシルクのように滑らかな室内楽的サウンドだといえる。武満作品のように始まりも終わりもない時空の中を、ソプラノがゆっくりとドイツ語の俳句を語るように歌っていく。歌詞には「薄明」「夕べ」「日没」「夜露」などの言葉が使われ、終わりの感覚が安堵感さえたたえながら示される。悲しい音楽に違いないが、聴き手は響きの色彩が移ろう中で癒やされていく。そんな音楽だ。この日最も拍手喝采を浴びた作品となった。

ほかのテーマの演奏会に移ろう。東京大学教授で音楽学者の長木誠司がプロデュースした「拓かれた声/封じられた声――ケルン1968/69」には2つの公演があった。一つは既報のツィンマーマンの「ある若き詩人のためのレクイエム」。そしてもう一つが8月29日に上演されたシュトックハウゼンの「シュティムング~6人のボーカリストのための」(1968年、パリ版)だ。

今年のこの音楽祭は現代ドイツ語圏の作曲家の作品を重点的に扱った印象が強い。「声」をテーマにした長木の企画も、第2次世界大戦で廃虚と化したケルンから生まれた戦後ドイツの対照的な現代作品を取り上げている。ツィンマーマンとシュトックハウゼンはともにケルン近郊の出身であり、ライバル視された作曲家だ。ツィンマーマンが戦前ドイツの伝統を引きずったヒューマニズムの作曲家だとすれば、シュトックハウゼンは過去を切り捨て、前衛の先端を行く時代の寵児となった作曲家である。生前の人気と評価ではシュトックハウゼンに軍配が上がり、ツィンマーマンは孤立を深めて自殺に至る。

「シュティムング」の上演会場はサントリーホールの小ホールであるブルーローズ。会場に入ると、中央に小さな舞台があり、そこに6人分の座布団のような椅子が円形に据えられている。観客は舞台を取り囲むようにして座る。6人がゆっくりと入場し、客席に背を向けて輪になって座って向き合う。やがて6人はそれぞれマイクを握りしめる。ここまで完全な無音の状態が10分ほど続いただろうか。舞台は日本の寄席を、歌手の身ぶりは日本の能を思わせる。ナンセンスさがすでに漂って滑稽である。

シュトックハウゼンの「シュティムング」上演風景。中央奥の水色の衣装が音楽監督でソプラノのユーリア・ミハーイ(8月29日、サントリーホール・ブルーローズ)=提供 サントリー芸術財団

歌ともいえない歌が始まる。意味の分からない擬態語のようなものを各人が発声し始める。これが様々なバリエーションを経て、歌手から歌手へとバケツリレーのように伝わっていく。音楽監督はソプラノのユーリア・ミハーイ。フランクフルトを拠点に自らの声とエレクトロニクスを駆使した現代音楽を展開する「作曲家兼パフォーマー」を自負しているという。もう1人のソプラノは工藤あかね。アルトは太田真紀、テノールに金沢青児と山枡信明、それにバスの松平敬の計6人。

言葉と声をテーマにした作品だけに、ミハーイは当然ながら、日本人歌手もドイツ語の発音はネイティブと変わりない。ただしドイツ語の詩が出てくることはめったにない。大半が訳の分からない「ディフフフフ……」のような音声の繰り返しである。時折ドイツ語が発声されても、「君のオッパイをもんで」のようなエログロナンセンスでシュールな内容である。字幕はない。意味が分からなくてもいいのだろう。言葉の音感とその変化を楽しめばいい。西洋クラシック音楽の過去を切り捨てた全く新しい声のサウンドとして当時は鳴り響いたことだろう。シュトックハウゼンの来日経験が作品に反映されているという。

ただ、読経や声明に慣れている日本人にとって、この作品がどこまで新鮮に響くだろうか。日本では声明などは現代音楽の作品に取り入れられる例も多い。昨夏、この音楽祭で上演されたシュトックハウゼンの「歴年」と同様、前衛というよりは、前衛が全盛だった1960~70年代の時代音楽の印象の方がむしろ先に来る。当時は保守的と批判されたツィンマーマン、その「ある若き詩人のためのレクイエム」が現代日本でも大きな普遍的感動を生むのを知った今、前衛を突っ走ったはずのシュトックハウゼンの作品からは時代精神の方が逆に浮かび上がってくる。

現代にふさわしい新人作曲家を選ぶのは難しい。最終日の8月30日に開かれた芥川作曲賞選考演奏会だ。審査員は池辺晋一郎、山根明季子、山本裕之の著名な作曲家3人。候補作は3つ。三人三様にそれぞれの作品を推した。

第25回芥川作曲賞選考演奏会で浅賀小夜子の「チャルダッシュ形式による嬉遊曲」を演奏する杉山洋一指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(8月30日、サントリーホール)=提供 サントリー芸術財団

1990年生まれの浅賀小夜子の「チャルダッシュ形式による嬉遊曲」(2012年)が最も斬新な作品に聞こえた。この曲を1位に推した山根は「すべてが夢の中といった感じ。狂気的で何かがおかしい感じ。論理的に納得の行かない余白を持っている。芸術が世界を広げるものだとしたら、この作品は明らかに世界を広げてくれた」と絶賛した。管弦楽のチューニングの雑音の中からいきなりとてつもないトーンクラスター(密集音群)風の最強音が爆発する。いつの間にか曲が始まっていたのだ。無調の破天荒なダンスが続く。徹底的に不協和音で固めたロマ風の舞曲が数十回繰り返される場面は、金縛りに遭って起き上がれないような悪夢を思わせる。拍手もかなり多かった。

池辺が持ち前のジョークさえ忘れるほど強硬に、浅賀の作品に異を唱えた。作品として成立するにはもう一歩とのこと。彼が推挙したのは1988年生まれの辻田絢菜の「コレクショニズムIV/ヴォルパーティンガー」(2014年)。「筆の運び、書きたいことが明確」と池辺は評した。一方、山本は坂東祐大の「ダミエ&ミスマッチJ.H:S」を推した。「引用ではなくモンタージュとしてハイドンの全104曲の交響曲を使っている。やってみるには勇気が必要」と山本は坂東の手の込んだシステマチックな作曲法を称賛した。結局、審査員3人に2位の作品を挙げさせて坂東が受賞者となった。

すでに古典扱いとなった戦後ドイツの前衛作品から芥川作曲賞の候補作まで、様々な現代音楽を体感できる夏の音楽祭だった。個々の作品にはいろんな評価があるだろうが、現代音楽は面白いとだけはいえる。何が起きるか分からない見知らぬ土地を旅する気分になれるからだ。自分の正直な感覚で未知の世界を受け止めようとするならば、現代音楽は難しくない。現代の音の楽しみが生まれる。

(文化部 池上輝彦)

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