エジプト王妃ネフェルティティの墓に新説

ナショナルジオグラフィック日本版

1912年に発見されたネフェルティティの胸像は、エジプト古代遺物の象徴的存在のひとつとなっている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL SOHN, DPA/CORBIS)

米アリゾナ大学の考古学者ニコラス・リーブス氏が、紀元前1331年に死んだネフェルティティ王妃の墓をついに発見したかもしれないという論文を発表し、注目を集めている。

リーブス氏が発表した論文によれば、伝説のエジプト王妃の墓は、少し考えればすぐ分かりそうな場所に隠れていたという。ネフェルティティの息子と考えられているツタンカーメン王の墓に隠されたドアがあり、その向こうにある大きな玄室に埋葬されているという。

歴史的な発見は、様々な憶測を呼ぶものだ。そこで、これまでの経緯を振り返ってみよう。

ネフェルティティの墓を発見という発表は、過去12年間でこれが3度目だ。

しかも、最近行われたDNA鑑定によって、1898年に発掘され現在はカイロのエジプト博物館に保管されている、数体のミイラのうちの1体がネフェルティティであるとの見方もある。

壁にあった謎の割れ目

リーブス氏は、美術品のレプリカ製造を専門とするスペインのファクトム・アルテ社が作成したツタンカーメンの墓の詳細なスキャン画像を分析していた時にそれを発見した。

少年王ツタンカーメンが眠っていた王家の墓を一目見ようと押し寄せる観光客のために、本物の墓のすぐそばにレプリカが作られており、スキャンによる高解像度画像は、これを建設するために撮影されたものだ。2015年2月、スキャン画像を分析していたリーブス氏は、墓の北と西の壁に割れ目があることに気付き、それぞれ封印されたドアの輪郭ではないかと考えた。

小さい方のドアは収納室のものと思われるが、大きな方のドアは、王妃の墓へ通じる入口にふさわしい大きさになっている。

ツタンカーメン王の墓はいくつかの段階にわけて建造され、装飾が施された。リーブス氏は論文の中で、まず最初にネフェルティティが埋葬され、玄室へのドアが密封されてから彩色が施されたと考察する。

また、墓の大きさとレイアウトについても言及している。ツタンカーメンの墓には部屋が4つしかなく、他のファラオの墓と比べて小さい。したがって、この墓はもっと大きな構造物の一部にすぎないのではないかという。

さらに、メインの回廊から墓の内部に入ると、進入者は右に曲がるように作られている。これは伝統的なエジプト王妃の墓の構造である。

ネフェルティティの玄室は、ツタンカーメン王の墓の中に隠れているのだろうか。考古学者のニコラス・リーブス氏は、墓の西壁(左)の向こうにあると考えている。(PHOTOGRAPH BY EGYPTIAN, THE BRIDGEMAN ART LIBRARY/GETTY IMAGES)

ネフェルティティはすでに発見されている?

もしリーブス氏の見方が正しいとすれば、長年の努力がようやく報われたことになる。リーブス氏は、1998年から2002年にかけてアマルナの王家の墓プロジェクトの責任者を務めていた頃から、ネフェルティティの墓を探し続けてきた。

過去には、米国のテレビ局であるPBSのインタビューで次のように語っていた。「私の勘では、ネフェルティティは必ず王家の谷のどこかに眠っているはずです。彼女の墓が見つかれば、すごいことです。彼女が歴史的に重要な存在であるというだけでなく、この時代は大変見事な芸術の栄えた時代でもあったからです」

しかし、2006年にツタンカーメンの墓から15メートル離れた場所に隠された墓を発見したのは、リーブス氏の仲間で米メンフィス大学の考古学者オット・シェイダン氏だった。発見当初、一部のメディアはネフェルティティの玄室の可能性が高いと報じていた。

ところが、結果は期待外れだった。7つ見つかった棺のうち6つは空。テレビ中継のカメラまで用意された中、仰々しく蓋が開けられた最後の棺から出てきたのはミイラではなく、花や小枝、亜麻布、粘土の欠片、金の破片で飾られた金の首飾りだけだった。棺の中にもともと収められていたものが何であれ、後に副葬品を入れる収納箱にされていたのだ。

「年下の女性」と名づけられたミイラ

しかしこのときの空の棺騒ぎは、2003年にメディアを席巻したネフェルティティ・フィーバーとは比べ物にならない。

2003年、アメンヘテプ2世の墓で発見された3体のミイラを調べていた英ヨーク大学の考古学者ジョアン・フレッチャー氏が、そのうちの1体、「年下の女性」と名付けられたミイラがネフェルティティであると発表したのだ。

これが、テレビのドキュメンタリー番組をはじめ、数々の新聞や雑誌で大きく取り上げられた。根拠のひとつとされたのは、ミイラのそばで発見されたかつらである。フレッチャー氏によれば、ネフェルティティが生きていた時代に王族のみが許されたヌビア式の結い方をされていたそうだ。また、片方の耳にピアスが2重に開けられているのも珍しく、ネフェルティティに関連付けられるという。

しかし、ほとんどのエジプト学者はフレッチャー氏の提示した証拠が根拠に乏しく、説得力に欠けると考えた。

1898年に発掘され、「年下の女性」として知られるミイラ。最新のDNA鑑定の結果、これがツタンカーメン王の母親であるとされており、ネフェルティティの可能性がある。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)

真実は明らかになるか

もしガボルデ氏の見方が正しければ、ネフェルティティはツタンカーメンの墓に眠っているというリーブス氏の主張は誤りということになる。

英ブリストル大学のエジプト学者エイダン・ドブソン氏は、リーブス氏の意見に懐疑的な学者の1人だ。「ドアの輪郭かもしれない程度のものが見つかったからといって、それがネフェルティティの玄室につながるものであるというのは強引です」。リーブス氏が示したものは、ドア以外にもさまざまな可能性があるとドブソン氏は指摘する。

ネフェルティティの墓をめぐる真実が明らかになるまでには、まだしばらく時間がかかりそうだ。

(文 Mark Strauss、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2015年8月21日付]

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