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耳寄りな話題

赤井英和さん 漬け物のような名脇役に食の履歴書

2015/9/4

耳寄りな話題

大阪の代表的な下町、西成で生まれた。父は西成の台所である今池市場で漬物店を営んでいた。店名は父の名を取り「赤井五郎商店」。家は店から歩いて5分ほどの所にあり「夕食のちゃぶ台には白菜、キュウリなどの漬物が5、6品、まるでメーンディシュのような扱いで並んでいた。焼き魚やコロッケが肩身狭そうだった」。少年時代、9歳上の姉、6歳上の兄とおかずの奪い合いだった。

(あかい・ひでかず)俳優。1959年大阪府生まれ。85年2月プロボクサー引退。通算21戦19勝(16KO)2敗。89年、映画「どついたるねん」でデビュー。94年、映画「119」で日本アカデミー賞優秀主演男優賞。9月17~27日、天王洲銀河劇場(東京・品川)で舞台「もののふ白き虎―幕末、『誠』に憧れ、白虎と呼ばれた若者達―」に出演する。 【最後の晩餐】焼き肉以外、考えられません。病院か自宅か分かりませんが、七輪を持ち込み炭火でハラミとホルモンを焼きながら家族5人で楽しみます。息子2人が独身だったら「お母さんみたいなかわいい人と結婚するんだぞ」と言いながらね。 =写真 三浦秀行

わんぱくでやんちゃだったが、学校から帰ると姉、兄と一緒に必ず漬物を仕込んだ。戦争を体験、飢えを知り食べ物の尊さを説く厳格な父から、手伝うように言われたのだ。

シャクシ菜の味、忘れられず

シャクシ菜という野菜がある。「大人が5人も入りそうなたるに、前もって父が入る。その後、僕らが、シャクシ菜の入ったバケツをリレーして父に手渡しする。それを父はたるの底からきちん敷き詰めていき、塩を振っていた」。冬になると、みんなでたるから取り出して葉っぱをもむ。そして小さなたるに移し替えてトウガラシを入れ、重しをして味を整える。シャキシャキしてピリ辛。忘れられない。

まじめに働くことの大切さを父から何度も教えられたが、やんちゃっぷりはエスカレートするばかり。「けんかも含めて悪さばっかりする子どもになってしまった」。そんな「ごんたくれ」(いたずらっ子、乱暴者の意)は、浪速高校でボクシングに出合った。

高校、そして近畿大学とボクサーとしての才能を発揮。プロに進むと12試合連続KOを記録し「浪速のロッキー」と呼ばれるようになる。自身の階級はジュニアウエルター級(現在はスーパーライト級)。体重は63キロほどの中量級。試合が決まるといつも7キロは減量しなければならなかった。「トレーニングしながら飲まず食わずを続ける。試合に勝ちたい、有名になりたいという強い気持ちがなければ無理」

計量をパスすると、待ちに待った食事。会場を後にしタクシーに飛び乗り、スポーツドリンクを一気飲み。そして母特製の弁当をむさぼった。シャケの切り身にウインナー、そしておにぎり。「敵に勝つ」にあやかった牛カツと、父が丹精込めた高菜漬けが絶品。「こんなおいしいものを食べられなかった減量の日々を振り返ると、怒りがフツフツとわいてきた」。ごんたくれは食べ物の恨みを闘志に変えたのだ。

初の世界王座戦でKO負け、再起戦後に引退

1983年、初めて世界王座に挑みKO負け。85年の再起戦でもKO負けを喫したが、そのとき頭部へもらったパンチで意識不明に陥る。急性硬膜下血腫および脳挫傷と診断され開頭手術を受けた。「奇跡的」といわれる回復をとげたが、ボクシングを続けることはできなかった。まだ25歳だった。

引退後、近大ボクシング部で1日2時間のコーチを引き受けたものの、先は見えない。現役のボクサーだったときには寄ってきた人も潮が引くように去ってしまった。大学で後輩の指導を終えると、アルコールに浸った。そんな毎日を送っていた88年の秋、阪本順治と名乗る映画監督から電話があった。「赤井君、君の映画を撮りたいんや」

その夜は西成の焼肉店で会った。阪本さんも大阪出身。2人ともごちそうといえば焼き肉だ。「もう一回、赤井にスポットライトを浴びせたい」と迫る阪本さんの情熱に「この仕事をもらわんと、わしはダメになります。演技の経験はないけれど必死にやります」。

カルビ、ハラミ、そしてホルモン。ビールと焼酎も進み、気がつけば早朝に。その時の肉の味は忘れてしまったが、「阪本さんの語り口は焼き肉と同じ。歯応えがありガツンとパンチのきいたものだった」。監督にとってもデビュー作となるボクシング映画「どついたるねん」はこうして始動。主役を張るために83キロあった体重を67キロまで落とした。互いに人生をかけた作品は89年に上映され数々の映画賞を獲得した。

映画「119」で日本アカデミー賞優秀主演男優賞

映画「119」(94年公開)では日本アカデミー賞優秀主演男優賞に輝く。俳優としての地位を確立してからは、脇役として映画やテレビドラマで独特の存在感を放つ。東京に住まいを移してからも大阪の人間として焼き肉の味は譲れない。「タレには薬味として青ネギが欠かせない。東京の店でも以前は無理を言って仕入れてもらった」

父は亡くなったが、大阪の母は元気だ。88歳になっても浅漬けのキュウリを食べさせてくれる。「漬物は実家では主役だったが、一般的には脇役。しかし、日本の食卓では絶対必要。僕の第二の人生もこうありたい」

ボクサーを引退した頃、去って行った人たちは「失意の僕に声をかけづらかったんだろう。それでそのままになってしまったのでは」。今はそんな風に思うようになった「元」ごんたくれを慕って、正月には友人ら130人が自宅に集まり、餅つきを楽しむ。もちろん庭では焼き肉パーティーだ。

(保田井建)

上質の国産牛、軽くあぶって

焼肉店「虎の穴恵比寿店」のカルビ

週に1回は訪れるのが東京・恵比寿にある焼肉店「虎の穴恵比寿店」(電話03・3440・0029)。元ボクサーであるオーナーの辛永虎さんとは20年以上の親交があり「上質の国産牛にこだわる。キムチは辛いだけでなく甘みがある。国内外で食べ歩いた焼肉店の中で一番」だそうだ。

分厚いハラミ(税抜き1000円)とタン(同1100円)がお気に入り。ここではタレをつけず、すりおろしたニンニクをまぶして味わうのが赤井流だ。ガッツリ食べてビールをゴクゴク。家族や仕事仲間といつも1時間半ほど楽しむ。

焼き方にもこだわりがある。「肉汁こそうまみそのもの。肉を何度もひっくり返してはダメ。肉汁が逃げてしまう。網の上で軽くぶり、レアの状態で網から引き上げること。かみ応えがあり、中にとじ込められた肉汁が食欲を刺激する」

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