メロン求め「鹿島臨鉄」に乗車 鹿島鉄道廃線跡巡りも
茨城・霞ケ浦(後編)は鉾田市を中心に取り上げます。ナマズでおなかがいっぱいになったら、デザートが食べたくなります。メロンです。茨城県はメロンの生産量日本一を誇り、鉾田市が中心です。
茨城でのメロンの生産は約50年前から始まりました。鉾田市周辺の土地は火山灰でできているので水はけがよく、日中の気温差が大きい点がメロンの糖度を上げるのに適しているそうです。
深作農園にお邪魔しました。「メロン王子」こと6代目農園主、深作勝己さんのメロン作りに込めた情熱は映像でぜひご覧ください。メロンをふんだんに使ったバームクーヘンは1個6300円と値が張りますが、1カ月待ちのようです。メロン=高級品と子どものころから刷り込まれた筆者には、ジュース用として売られていたメロンが100円程度だったのにはたまげました。
深作農園では毎年6月中旬から7月中旬まで1日50人限定でメロン狩りを実施しています。今年は残念ながら終わってしまいましたので、来年、娘を連れて来たいなと。
ここからは本題?の鉄道ネタに移ります。東京から鉾田市に行くには、東京駅八重洲南口から高速バスに乗るか、常磐線で石岡駅まで特急「ときわ」で行ってバスに乗り換えるか、どちらかが一般的です。ロケでは時間の都合上、鹿島神宮駅から鹿島臨海鉄道に乗って大洋駅で降り、クルマを使いました。
鹿島臨海鉄道は今年が開業30周年にあたります。ロケで着ていたTシャツはインターネットの通販サイトで見つけたものです。ただし、配送が間に合わないので、取り扱っている都内の会社に直接出向いて購入しました。
大洋駅、駅舎もない殺風景な無人駅ですけれど、なぜか周辺には不動産仲介業のお店が目立ちます。鉾田市が誕生する前の旧大洋村はかつて別荘地や退職後の移住先として販売された地域です。ところが、お店の掲示板には格安の売り物件が多く掲載されていました。地元の方によると、空き物件が増えているそうです。
脱線しました。話を鉄道に戻します。鉾田市と石岡駅の間には、2007年まで鹿島鉄道が走っていました。
鹿島鉄道の歴史を振り返りましょう。かつては茨城県の各地を走る関東鉄道の鉾田線でした。マイカーに押されて乗客が減少し、土浦駅とJR水戸線岩瀬駅を結ぶ筑波線とともに分社化されました(その後、筑波鉄道筑波線は1987年に廃止)。収入の柱だった航空自衛隊百里基地への燃料輸送がなくなるなど逆風に見舞われながらも、関東鉄道や自治体の支援を受けてサービス強化を図るなど路線存続に努力してきました。
ところが意外なところに追っ手が現れたのです。2005年に開業した「つくばエクスプレス」(TX、秋葉原-つくば)です。
鹿島鉄道の親会社、関東鉄道は東京-つくば間で運行するドル箱の高速バスと、取手駅と水戸線下館駅を結ぶ常総線の乗客を奪われ業績が悪化。鹿島鉄道を支援する余裕がなくなりました。住民らの間で存続を模索する動きがあったものの、廃線に追い込まれてしまいました。
廃線跡は線路や駅舎などが撤去されました。石岡近辺はバス専用道に整備され、代替バスが走っています。ロケとは別の日に石岡駅から鉾田市内まで乗ってみました。昼間の時間帯とはいえ、後半30分ほど乗客は筆者だけでした。終点の鉾田駅はかろうじてホーム跡が残っているものの、11年の東日本大震災で液状化によるダメージを受けました。
車両は鉾田市の公園、ほっとパーク鉾田に2両保存されています。このうち1両(キハ601)は1936年(昭和11年)製と、鉄道ファンの間でも評価の高い歴史あるものです。市民団体の鉾田駅保存会が手弁当で維持・修繕しながら、毎月1回開放して地元の子どもたちに人気を集めています。
最後に。エンディングの撮影地はスタッフの推薦で霞ケ浦の湖畔を選びました。霞ケ浦は琵琶湖に次いで国内第2位の面積を誇る湖。堤防から一目眺めて率直に大きいし、広い。
東海地方出身の筆者は夕暮れ時の湖を見つめると、懐かしいテレビのコマーシャル(CM)が記憶に蘇ります。「揺れる湖は私の……琵琶湖おーんせーん……♪」。こぶしを回して口ずさんでいたものの、育った地域の違いなのか、年代の違いなのか、関東出身の湯沢記者やスタッフには相手にされませんでした。
原稿、ロケ中のギャグにキレがなかったのは暑さのせいです。すみません。精進して出直します! というよりも、涼しいところに出向きます。
(電子編集部 苅谷直政)
(次回は9月中の公開予定です)
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