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睡眠

在宅介護を破綻させる認知症の睡眠障害

2015/8/11

ナショナルジオグラフィック日本版

先日、日本国内で費やされる認知症の社会的費用(医療・介護費用)に関する厚生労働省研究班の試算が出た。認知症患者は500万人を数え、社会的費用の総額は14.5兆円にも達するという。現時点では特効的な治療法もないため医療費は1.9兆円に留まり、残る12兆円超の大部分が介護費用で占められている。

介護費用の半分6.2兆円が「家族による介護コスト」だそうだ。認知症にかかった家族の入浴やトイレ介助などを介護保険サービスの費用に換算するとそのような高額になるとのこと。膨大な労働力が介護に吸い取られていることが分かる。認知症高齢者の介護は生産性に乏しく、そこから生まれる付加価値も期待しにくい。少子高齢化が進行してただでさえ労働人口が減少している日本にとって、今後も増大する一方の介護負担は国の浮沈に関わる大問題である。

私も以前、厚生労働省が実施した認知症の介護負担に関する調査研究に関わったことがある。そのときのテーマの1つが在宅介護を困難にさせる要因分析であった。私のような睡眠研究を専門にする者がそのような調査になぜ招聘(しょうへい)されたかというと、在宅での介護を困難にさせる原因の1つが昼夜逆転などの睡眠問題ではないかと疑われていたからである。結果はその通りであった。

認知症の「中核症状」は物忘れ(記憶障害)、見当識障害(人、時間、場所が分からなくなる)、そして高度の推論や判断ができなくなるなどの高次脳機能の障害である。しかし中核症状は認知症の問題のごく一部を占めるに過ぎない。認知症では「辺縁症状」と呼ばれるさまざまな精神症状や異常行動が頻繁に認められる。辺縁とは中核でないという程度の意味合いであるが、以下に説明するように介護の現場では辺縁どころか主役である。しかもダースベイダーなみの強力な悪役である。

(イラスト:三島由美子)

■睡眠障害はランキング上位の常連

私たちの研究班では、在宅で介護を受けている、もしくはグループホームに入所中の認知症高齢者594人を対象にどのような辺縁症状が介護上の問題となっているのか詳細な実態調査を行った。図はそのときに現場から報告された辺縁症状を出現頻度順に並べたものだ。被害妄想、幻覚、徘徊、火の不始末など「ボケ症状」としてよく知られている異常行動が並んでいるが、これらを押さえてトップにランクされたのが不眠や昼夜逆転などの睡眠障害であった。同種の調査は過去にも多数行われており、睡眠障害は絶えず上位にランキングされる「常連」である。

睡眠障害が認知症の介護で問題となるのはナゼか? それは単に夜間に目覚めるだけではなく、同時にさまざまな辺縁症状を伴いやすいからである。たとえば同じ徘徊でも夜間に動き回られると家族は大変である。足元が暗いので転倒や骨折も起こしやすい。そのほか大声しかり、火の不始末しかり。また認知症では夜間覚醒時に軽い意識障害を伴うことが多い。これは「せん妄」と呼ばれる。せん妄状態では周囲の状況が認識できなくなるため、不安や困惑が強まって昼間よりも興奮しやすく、異常行動も重症化する。睡眠障害はせん妄を引き起こし、悪化させる最大の原因でもある。

そのため、睡眠障害は在宅介護を困難にさせる一因になっている。実際、我々の調査でも「在宅で介護を受けている高齢者」と「グループホームに入所を余儀なくされた高齢者」ではどのような違いがあるのか統計学的な検討してみたところ、中核症状の重症度には違いが見られなかった。すなわち物忘れは在宅介護を困難にさせる主要因ではなかった。では家族に入所を決断させる要因とは何か? 影響の大きいワースト3を挙げると、第3位は男性であること(女性に比べて危険度1.3倍)、第2位は攻撃的行動があること(無い場合の2.2倍)、そして第1位は予想通り睡眠障害があること(同4.5倍)であった。

■睡眠障害で辺縁症状が悪化

睡眠障害が重症になるほど辺縁症状は悪化し、逆に睡眠障害が改善すると辺縁症状も緩和されることが明らかになっている。つまり、認知症患者に夜間によく眠ってもらうことは介護負担を軽減するためにとても有効なのだ。ところが認知症の睡眠障害を治すのは本当に大変なのである。安全で有効な薬物療法は残念ながら見つかっていないからだ。認知症では薬が作用するはずの脳部位にそもそも障害があるため効果が出にくく、増量すると逆に副作用が目立つようになる。

誤診も隠れた問題である。睡眠障害と一口に言っても認知症に合併しやすい睡眠障害は実に多岐にわたる。次の図に示すように睡眠薬が奏功する不眠症などはむしろ少数派であり、多種多様な睡眠障害に罹患(りかん)しているのである。これらの睡眠障害には睡眠薬は効果が無いばかりか、症状を悪化させることすらある。図に挙げられた個別の睡眠障害については私たちが作成した睡眠医療プラットフォームで解説しているのでご興味のある方はご覧いただきたい。

アルツハイマー病、レビー小体病、その他は認知症の種類

したがって正確な診断が治療の成否の分かれ目になる。それぞれの睡眠障害には、日中の眠気、夕方以降の足のムズムズ感、寝入りばなの足のピクツキ、睡眠中のこむらがえり、悪夢、いびきなど特有の症状があり診断の参考になるのだが、認知症患者では自身の症状を正確に説明できないことが多い。

■診断の難しさで誤診する場合も

また確定診断に必須の睡眠ポリグラフ試験にもなかなか協力が得られない。そりゃそうだ、頭皮や顔面、手足や胴体に多数の脳波や筋電図の測定コードを貼り付けられて寝やすいわけがない。貼った端からキレイに引っぺがすご老人も稀ではない。ましてや一晩の検査を実施するのは一苦労なのだ。

そのため診断の際にはどうしても家族の陳述に頼ることになるのだが、ここに大きな落とし穴がある。介護上の負担感が大きい夜間の中途覚醒に訴えが集中し「不眠症」と誤診しやすいのだ。私が「不眠あり=不眠症、ではない」ということを講演や講義の際に絶えず強調するのはこのような理由による。正しい診断なしには有効な治療も期待できない。夜間の不眠症状だけではなく、昼間の眠気や夕方の様子、手足の動きなどこまめに観察することが診断には大事なのだ。

また、薬物療法だけで睡眠障害を解決することは難しい。質の良い睡眠は適度な疲労を伴う活発な日常生活があって初めて得られるからだ。認知症といえどもその基本原則は変わらない。危険防止や徘徊を防ぐために目配りするのも大事だが、できる限り外出させて散歩や運動、日光浴の機会を作ることも長い目で見れば介護負担を減らすことに通じる。レクリエーションなどの日中の活動を通じて生活のリズムを整えることが目的のはずのデイケアで、手間がかからないからと長い昼寝をさせる施設もあるやに聞く。それでは結果的に家族に夜間の介護負担を押しつけていることと同じである。本末転倒も甚だしく、あってはならないことである。

   三島和夫氏
三島和夫(みしま・かずお)
1963年、秋田県生まれ。医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神生理研究部部長。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大精神科学講座講師、同助教授、2002年米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授を経て、2006年6月より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事、日本生物学的精神医学会評議員、JAXAの宇宙医学研究シナリオワーキンググループ委員なども務めている。これまで睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者を歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。

(日経ナショナル ジオグラフィック社)

[Webナショジオ 2015年6月25日付の記事を再構成]

8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識

著者:川端 裕人, 三島 和夫
出版:日経BP社
価格:1,512円(税込み)


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