どこまでも広がる青々とした水田。そこにひときわ濃い緑の小山が点在する。屋敷林だ。まるで海原に浮かぶ島々のよう。その眺めはどこか懐かしく、郷愁をそそる日本の原風景だ。
燃料や木材の恵みも
富山県西部の砺波平野。庄川や小矢部川に囲まれたこの平野は豊かな水と肥沃な土地に恵まれ、古くから稲作が盛んだった。周りの水田を耕すのに便利な形態として、100メートルほどの間隔で農家が散らばって建つ散居村が形成された。風雪や夏の強い日差しから家屋を守るために植えたのが屋敷林だ。
砺波平野は1年を通じて西風が吹く。春には南から強いフェーン風、冬には富山湾から風雪が吹きつける。屋敷林が東を除く三方を取り囲むように立つのは、このためだ。唯一、開けた東向きに家が建っているため、地元では伝統的な家屋を「アズマダチ」と呼ぶ。
散居村は島根県の出雲平野や岩手県の胆沢平野などでも見られるが、砺波平野は日本最大規模を誇る。約2万2000ヘクタールの土地に7000世帯が点在するといわれる。砺波地方では屋敷林のことを「カイニョ」「カイナ」と呼ぶ。垣根がなまった呼び名のようだ。
「昔から『高(土地)を売ってもカイニョは売るな』という言葉があった。それだけカイニョは大切な存在だった」。そう話すのは砺波市の新藤正夫さん(82)。9代続く農家だ。屋敷林は10メートル以上の高木から中低木まで幅広く密生する。高木は風に強いスギやアスナロ、ケヤキ、中低木はカキやカエデ、ツバキなどが多い。新藤家には大小合わせて31種類、200本以上の木が生い茂る。
屋敷林にはさまざまな恵みがある。1つが燃料だ。落ち葉や小枝は炊事や風呂たき、囲炉裏などに使った。新藤さんによれば電気やガスが普及する1960年ごろまでは、どの家も燃料を100%自給したという。
もう1つが建材の役目だ。家を普請する際、木を切って材料に充てた。硬いケヤキは柱や梁(はり)、アスナロは戸や桟、スギは外壁という具合。昔は娘が生まれたらキリを植える風習があった。嫁入り時にキリダンスを作って持たせるためだ。
戦前、見合い結婚の際、相手方のカイニョを見て決めたともいわれる。カイニョがきちんと手入れされていれば、その家族は働き者と判断された。それくらいカイニョは家のバロメーターだった。
昔の農家は3世代同居が当たり前。どの家も部屋数が10以上あり、家族が増えれば増築した。戸を取り外せば大広間になり、冠婚葬祭や親戚一同が集う宴会もできた。
夏もエアコンいらず
立派なケヤキが屋根を覆う家に住む砺波市の農家、柳原和夫さん(75)を訪ねた。家の中に入ると窓からさわやかな風が吹き抜けて心地よい。蒸し暑い外とは対照的だ。「真夏でもエアコンはいりません」と柳原さん。
この風を利用して、昔は「土用干し」をしたという。毎年7月の土用のうしの日に柱の間にひもを通し、着物や大切な洋服などを掛けて虫干しした。乾燥機や防虫剤がなかった時代の知恵だ。
屋敷林の良さを後世に伝えるため、2006年に開業したのが砺波市立となみ散居村ミュージアム。アズマダチを復元した伝統館、歴史や特徴を紹介した情報館などがある。毎年、チューリップフェアが開かれるゴールデンウイークには、大勢の観光客が押し寄せる。
ただ、屋敷林を取り巻く状況は厳しい。同ミュージアムの川原国昭館長は「今や厄介者になりつつある」と顔を曇らせる。燃料は電気やガスなどに置き換わり、今は落ち葉の処理に困る始末。安い外材の普及で屋敷林を建材に使うこともなくなった。機密性の高い住宅の登場で風雪や日差しよけの必要性も薄らいだ。手入れの大変さから伐採する家も増えたという。
とはいえ屋敷林の防風・遮光の役割が全くなくなったわけではない。気温を下げる葉の蒸散作用は、年々厳しさを増す夏の暑さを和らげるのに十分威力を発揮する。わざわざ屋上を緑化したり、ゴーヤのカーテンを育てたりする都会人から見れば、敷地内に「マイ里山」がある住まいは何ともぜいたくな環境だ。
住人にそっと寄り添ってきた屋敷林。長年の風雪に耐えてきた姿は威厳すら感じさせる。彼らは黙して語らないが、自分たちを疎んじる風潮を嘆いているに違いない。
[紙面解説委員高橋敬治]