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アンティ・シーララ「ピアノ・リサイタル」 フィンランド実力派の明快なベートーベン

2015/7/9

リーズやロンドンなどの国際ピアノコンクールで優勝した実績を持つフィンランドの実力派ピアニスト、アンティ・シーララ(36)が来日した。清らかな音色と音楽の明快な運びは、大作や前衛的作品をも見通しの良い分かりやすさで聴き手に伝える。6月30日の浜離宮朝日ホール(東京・中央)での来日公演では、得意のベートーベンをはじめシューマン、スクリャービンのいずれも複雑でとっつきにくそうな難曲を親しみやすく明瞭に聴かせた。

ベートーベンの「ピアノソナタ第31番」などを披露したアンティ・シーララ(6月30日、東京都中央区の浜離宮朝日ホール)、(C)PCM

シーララは日本でもっと知られていいピアニストだ。1997年、第10回ウィーン・ベートーベン国際コンクールに最年少で優勝した。その後、2000年にはロンドン国際ピアノコンクールで優勝し、03年にはダブリンとリーズの2つの国際ピアノコンクールでも優勝した。世界的ピアニストとして十分なタイトルの持ち主であり、真の実力者であることを証明している。

7歳でオーケストラと共演した。フィンランドで早くから神童ぶりを発揮した証拠として、同国の現代音楽の代表的作曲家カレヴィ・アホが、当時20代前半の「名手シーララ」を想定して「ピアノと弦楽のための協奏曲(ピアノ協奏曲第2番)」を作曲した事実が挙げられる。この曲はオスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団とシーララ自身のピアノで録音されてCDにもなっている。

13年からはドイツの正統派ピアニストの重鎮ゲルハルト・オピッツの後任として独ミュンヘン音楽大学の教授にも就任した。師弟関係かと思われがちだが、「オピッツには一度も会ったことがない」とシーララはあっけらかんと言う。北欧人でありながらベートーベンやブラームスらのドイツ音楽を最も得意とする彼にふさわしい後継ポストといえる。ただ、ドイツ音楽の権威と目されるのは不満なようで、「最近はバルトークやブゾーニ、プロコフィエフ、ラフマニノフも弾く。もっとショパンも弾きたい」と語る。

得意のベートーベンやシューマンの作品について語るアンティ・シーララ(7月1日、都内)

これほどのピアニストにもかかわらず、過去の来日公演では聴衆がまばらなことが多かったようだ。しかし彼の実力は日本でも次第に知られてきたのだろう。6月30日の浜離宮朝日ホールは満席ではなかったが、かなりの客の入りとなった。プロのピアニストや音楽評論家らが多数詰めかけているだけでも、通好みの実力派ピアニストであることが分かる。

清潔感のあるスーツ姿で登場したシーララは、まずシューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集作品6」を弾き始めた。この曲は構成が複雑というよりも、シューマンらしい気まぐれや感情の揺れをそのまま音符にしたような変化に富む作品だ。それだけにただ上手に弾くだけでは何を言いたいのか分からない演奏になりがちだ。

公演のプログラムには丁寧にも「ダヴィッド同盟舞曲集」の全18曲の標題がすべて載っていた。「元気よく」「心からの」「辛抱しきれず」などのタイトルだが、「単純に」「生き生きと」などは2回ずつ登場し、「ユーモアを持って」には「快いユーモアを持って」という似て非なるバージョンもある。こうした心の微妙な変化を表情豊かにピアノで表現するのは並大抵なことではない。ただ弾いただけでは締まりのないつまらない楽曲として鳴り響きがちだ。

シーララの弾く「ダヴィッド同盟」の出だしは力強く明瞭だ。「元気よく」なので、エネルギッシュでがっしりしている。打鍵の強いがっちり型のピアニストかと思いきや、2曲目の「心からの」では繊細な歌い回しを聴かせる。「シューマンは(言葉による)アイデアがたくさんあった作曲家。『ダヴィッド同盟』はフロレスタンとオイゼビウスが同盟を結んで古い芸術に対抗し、新芸術を創造していくというテーマを持つ。『パピヨン』(作品2)や『謝肉祭』(作品9)にも通じるアイデアだ」とシーララは説明する。

複雑な構成の作品が明快に紡ぎ出されるアンティ・シーララの来日公演(6月30日、浜離宮朝日ホール)、(C)PCM

フロレスタンとオイゼビウスはシューマンが創造した芸術団体の代表者で、この2人が音楽的には動と静を表し、全体で18曲を構成するという内容だ。「作品には言葉の意味が非常に強く込められている。若者の音楽であり、とても激情的」とシーララは話す。

4曲目の「辛抱しきれず」は激しい劇的な表現だ。面白いのは1、9曲目の「元気よく」と、8、15曲目の「生き生きと」の表現の違いを出していることだ。「元気よく」の方が行進曲風に力強い打鍵が感じられ、「生き生きと」の方はどこかしら軽快な気分がある。全体を通じて表情豊かなメリハリのある演奏だった。シューマンらしい若気の至りともいえる激情こそあまり感じられなかったが、洗練された細部の描写が光った。

休憩をはさんでベートーベンの「ピアノソナタ第31番変イ長調作品110」が始まった。第1楽章の冒頭からしてしなやかで明晰(めいせき)な感覚の響きだ。ベートーベンの後期三大ソナタといわれる「第30~32番」の中でシーララはなぜ「第31番」を選んだのか。「『第31番』は三大ソナタの中では最も主観的で個人的な作品だ」と彼は話す。「『第31番』には標題音楽の発想がある。聴き手に私的な物語を伝えようとしている」という。

特にシーララが注目するのは「第3楽章に『嘆きの歌』という歌の旋律が入っている」点だ。第2楽章にもドイツの流行歌が使われており、ベートーベンはこうした歌の挿入で何らかの個人的心情を表そうとした形跡がある。こうした点から「ベートーベンの『第31番』は後のシューマンのロマン派音楽と符合する点が多々ある」と指摘する。

シーララの「第31番」の演奏は力強さよりも明快さ、爽やかさ、軽やかさが印象に残る。知的でスマート、そつがない。ふと思い出したピアニストがいる。レイフ・オヴェ・アンスネス。5月にマーラー・チェンバー・オーケストラを率いて来日し、ベートーベンのピアノ協奏曲全5曲を演奏したノルウェー出身の同じ北欧人、アンスネスにも似通った明白な爽やかさを感じた。

日本でもその実力が知られ始めたアンティ・シーララ(6月30日、浜離宮朝日ホール)、(C)PCM

彼らと対極にあるのが、東京で6月に来日リサイタルを開いたヴァレリー・アファナシエフのベートーベンのピアノソナタだ。例えば「第8番『悲愴』」の第1楽章では、「グラーヴェ(重々しく)」と表記された序奏を極端に遅く弾き、全体として深刻な重厚さを出していた。「この序奏には速度の表示がない」とアファナシエフは語り、独自の解釈で思い切り遅く弾いてみせたのだ。

アファナシエフのような個性的な解釈と比べると、シーララのベートーベンは角のとれた無難な演奏に聞こえるかもしれない。だがスマートなシーララも、型破りに聞こえるアファナシエフも、それぞれの作品の楽譜を徹底的に読み込んだ結果なのだ。ベートーベンのソナタはどれも性格が異なり、重厚さと軽やかさのいずれもあって良いはずだ。「ベートーベンだから何でも重々しく深刻でなけらばならないという先入観は捨てるべきだ」とアンスネスも言っていた。

シーララの「第31番」の第2楽章は清潔感に満ちていて、実に洗練されていた。だが最も印象的だったのは、第3楽章に不意に登場する「嘆きの歌」である。切々と哀感が込み上げてくる静かな歌はセンチメンタルであり、楽聖の偉大さではなく、市井の人の悲しみを感じさせる。その後の和音をクレッシェンド(だんだん強く)させる箇所も、ピアニストによっては豪放に高らかに鳴らす例もあるが、彼の打鍵は控えめだ。壮麗さではなく、個人的な悲しみ、自己完結した慰めと解決を表現しているかのような演奏であり、ベートーベンの私的な真実により迫る解釈に思われた。

最後はスクリャービンの「ピアノソナタ第10番ハ長調『トリル・ソナタ』作品70」。この曲を最後に持ってきた理由についてシーララは「ベートーベンの『第31番』に続く『第32番』との面白い関連性、共通点が多い作品だから」と話す。

アンティ・シーララのピアノによる「ベートーベン:後期ピアノソナタ集(第30、31、32番)」のCD(輸入盤、輸入・販売 キングインターナショナル)

「いずれも両作曲家の(作品番号上での)最後のピアノソナタであり、宇宙的な感覚を持っており、長いトリル(当該音と2度上の音を高速反復)が登場するのも共通している。とても象徴的なトリルで、両曲とも似た箇所で同じような役割を果たす」とシーララは説明する。スクリャービンがベートーベンの最後のソナタを意識して自らの最後のソナタを書いたとでも言いたいような語り口だ。ここで明らかになるのは、シューマン、ベートーベン、スクリャービンとつないだこの夜の3演目がベートーベンの後期三大ソナタ(第30、31、32番)に符合することだ。演目の組み立て方もクールである。

今年没後100周年を迎えたロシア世紀末の作曲家スクリャービンは、独特の神秘主義者として知られる。作品の調性や形式、リズムを曖昧にし、聴き手の時間感覚を揺るがすような作品を書いた。このため「第10番」も無調の作品といわれるが、プログラムには「ハ長調」と明記されている。確かに出だしは明るい。長調の作品として聴こうとすればそう思えてもくる。

シーララが弾くと形式も分かりやすくなる。最初に提示される音型が展開され、最後にまた再現されるとも捉えられる。どんな作品でも理解しやすく聴かせる彼の本領発揮といえよう。タッチは正確だ。しかしもう少し妖艶さや神秘的な雰囲気がほしい。曖昧さを意図した作品が明瞭になってしまっているのだ。不透明な印象の作品が見通し良くなり、全体を把握しやすくはなった。それでも正確な音に艶っぽさが加わればなお良いと思う向きもあるだろう。

アンコールにはショパンの「ノクターン第2番変ホ長調作品9の2」を弾いた。これもまた明瞭で透明感にあふれ、みずみずしい演奏だった。ショパンも彼に似合っている。明快な語り口は聴き手とのコミュニケーション能力の高さを示している。分かりやすくても月並みにはならない。演奏の時流に迎合しない独自の読み込みがあるからだ。グローバルな活躍に向けてさらに演目を広げる資質を持つ人だろう。

(文化部 池上輝彦)

Piano Sonatas Opp. 109 110 & 111

演奏者:アンティ・シーララ
販売元:Cavi-Music

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