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朝・夕刊の「W」

東山千栄子 品性がかもす存在感 ヒロインは強し(木内昇)

2015/7/5

小津安二郎監督の「東京物語」は、筋書きで表せば、年老いた夫婦が息子たちを訪ねて上京する、それだけの話なのだ。が、私は二十代の頃この作品をはじめて観て号泣した。人物たちがしかと生きていたから、細かな描写が胸に迫ったのだろう。

イラストレーション・山口はるみ ■木下作品13本 1890~1980年。千葉市に生まれる。9歳のとき母の次兄の養子に。華族女学校に学び、19歳で河野通久郎と結婚。夫の赴任地・ロシアに渡る。8年間の外国暮らしを経て帰国し、築地小劇場に入団。「皇帝ジョーンズ」の貴婦人役で初舞台。2年後、「桜の園」のラネーフスカヤ夫人役を射止める。40歳で劇団を脱退後は、文学座で客演し、俳優座の結成にも携わる。映画出演も多数、木下惠介監督作品には13本出演。

この映画で老夫婦の妻を演じていたのが東山千栄子である。台詞は多くない。ただにこやかにそこにいる。が、その存在自体が物語の重要な支柱であった気がする。

劇団に入ったのが三十代半ばと、遅咲きの俳優である。その前はいわゆる専業主婦だった。華族女学校(のちの学習院女学部)生時代から、お花、お茶、裁縫、料理と花嫁修業に明け暮れた。家では小説や新聞を読むことも観劇さえも禁じられていた。女には不要な知識と、彼女の家では考えられていたからだ。

千栄子もそれに疑問を感じることなく敷かれたレールを歩み、十九歳で河野通久郎と結婚。輸入業に携わっていた夫は外国生活が長く、文化的なことにも造詣が深かった。ロシアで新婚生活をはじめた千栄子は、夫に連れられてボリショイ劇場で「白鳥の湖」を観劇、さらにチェーホフ「桜の園」を観て、震えるほど感動する。おそらくこのとき、彼女の奥底に隠れていた扉が開いたのだろう。

帰国ののち、千栄子は築地小劇場の試験を受け、研究生として入団する。彼女曰く、こうした経緯だった。

「日本に帰ってきてみると、子供もいないし、両親も亡くなっていて、まったくの有閑夫人だった私の心の空虚さが、築地小劇場に入った動機だったのです。女中が三人も四人もいて主人と二人きりの生活。自分の情熱のはけ口がないのです」

夫も、「金銭を得ない」という条件付きで劇団入りを許したというから、寛容な人だったのだろう。

有閑夫人から一転、目が回るほど多忙な毎日。しかも初めてづくしの日々である。それでも千栄子は、「好きで飛び込んだ道だから」と、音を上げずに努力を続けた。

演劇界とは、役者同士しのぎを削る場所という印象があるが、興味深いことに千栄子は一貫してギスギスもガツガツもしないのだ。彼女と共演した俳優たちは口を揃えて言う。温かい人柄で、笑顔を絶やさない春の風のような人だった、と。弱音を吐かず、愚痴や悪口も避ける。大御所になっても偉ぶらず、若い人に優しく、いつも一生懸命で、おおらかでかわいらしい――。千栄子の内にある作り物ではない品性が、実生活でも役の上でも希有な存在感を生み出したのだろう。

仕事に臨む気構えを、彼女はのちにこう語っている。「ちっともあせらないで、のんびりやってまいりました。天才がトップまで行くんなら、私は努力で一生かかって七分か八分のところまで行ければと思ってやってきました」

人生の充実というのは、他人と比較し争って得られるものではなく、自分のやり方やペースを掴んだ人にこそ訪れるのかもしれない。

[日本経済新聞朝刊女性面2015年7月4日付]

木内 昇(きうち・のぼり) 67年東京生まれ。作家。著書に「茗荷谷の猫」「漂砂のうたう」(直木賞)「笑い三年、泣き三月。」「ある男」など。

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