木ノ下歌舞伎「三人吉三」幕末の暗さとハチャメチャさが今にワープ

興行界でキノシタといえばサーカスだが、京都にはその向こうをはったオツな集団がある。その名も木ノ下歌舞伎。名作「三人吉三」をみて、びっくり。江戸言葉と現代語が入り交じる、これまで体験したことない黙阿弥劇だったからだ。東京芸術劇場シアターウエストで6月13~21日に上演された舞台はめったにない掘り出し物だった。早期再演を!

「大川端」で三人の吉三が義兄弟のちぎりを結ぶ。左からお嬢の堀越涼、和尚の大村わたる、お坊の大橋一輝=写真 鈴木 竜一朗

義兄弟のちぎりを結ぶ和尚吉三、お坊吉三、お嬢吉三の物語は、盗まれた名刀と百両の行方が筋をつくる。刀もカネもすぐ近くでぐるぐる回っているだけなのに人間は混乱を収束できない。下層社会を遍歴する悪党たちの意外な縁、不毛な戦闘。因果がめぐり、純情はふみにじられ、脱出できない悪夢の図が浮かび上がる。通しでみれば、それが体感される。

河竹黙阿弥の代表作ながら、大歌舞伎では名場面の抜粋上演が主。対してこちらは場面のカット一切なし、初演以来上演されないヘンテコリンな「地獄正月斎日の場」まで組みこむ実験公演だ。闇に覆われた小劇場の舞台に人影がふっと現れては消え、黒い中段の向こうには地獄が感じられる。原作のセリフを縮め、出入りを効率化、小道具と暗転を巧みに用いて劇はスピーディーに展開する。幕末の暗さとハチャメチャさが今の気分にワープする5時間。

名優が名場面の「大川端」だけやると「月も朧(おぼろ)に白魚の……」と例の七五調をうたいあげる。悪の魅力が輝いて、それはそれで素晴らしい。

が、木ノ下版では同じセリフがまったく別の響きになる。殺人を悔い、天に向かってもらした自省の独白となるのだ。「こいつは春から縁起がいいわえ」の名セリフも季節の約束事にことよせ、罪の感情にあえて目をつぶる苦いセリフに聞こえた。

殺す気もないのに殺してしまう。救われたいと念じているのに善意は裏返る。木ノ下版は不条理を直視するから、愚かな人間を名調子で美化しない。なすすべもなく口にされる「鶴亀鶴亀」の連鎖を聞くうち、ドストエフスキーばりに出口なき絶望をとらえた黙阿弥のすごさを改めて知った。

川に落とされる夜鷹(よたか)は大歌舞伎ではどうでもいい存在。が、これが木ノ下版では娼婦(しょうふ)にして聖女、まさにドストエフスキー的なイコンなのだった。水辺でロミオとジュリエットばりの純愛が生まれた後だけにその死が悲しい。

伏筋にある遊郭の悲劇がクローズアップされたのも新鮮だった。運命に見放され苦界に身を沈める一重、彼女にほれこむ男の純愛、男の浮気を知っても尽くす妻。誠実な彼らは社会に暗黙の抗議をし、心をつなぐ。一重の臨終場面がとてもいい。

苦界に身を沈める一重(熊川ふみ、右)の運命が悲しい。左は村上誠基=写真 鈴木 竜一朗

真ん中あたりの「地獄正月斎日の場」がトンデモナイ。筋に関係ないばかりか、地蔵や紫式部が出てきて奇怪なゲームに興じる。正月狂言だったから曾我兄弟の逸話を入れる約束事があり、無理にこしらえられたとか。これも悪びれずアングラ演劇的な騒乱でやりきる。地獄の裁きが真面目じゃないなら、現世のモラルは? ここで黙阿弥は因果応報の倫理を根本から瓦解させてしまうわけだ。深刻な話を超然と笑いとばす強烈な一場だった。

劇団主宰は1985年生まれの木ノ下裕一。小学生で上方落語に開眼、その後古典への関心を深め、京都造形芸大で世界的に評価された沈黙劇の演出家、太田省吾に学んだ。2006年から「義経千本桜」「東海道四谷怪談」などを現代風にリメイクしてきたが、厳格な原作主義を貫く。

今回の演出は木ノ下歌舞伎企画員で、やはり京都造形芸大で太田省吾に学んだ杉原邦生(1982年生まれ)。イヨネスコやアラバールの不条理劇を関西で演出してきた新進だ。古典の語句をつぎ合わせ、台本を再構成する作業を補綴(ほてつ)というが、木ノ下裕一の補綴台本には稽古(けいこ)をへて現代語が埋め込まれる。役者は映像をもとに大歌舞伎の形態模写をしたあと、部分的に今風の動作に組みかえる。義太夫の指定場面はラップに。いわば今昔折衷。小難しくいえば、現代人が黙阿弥と向き合い、同化と離反を繰り返すいわばメタシアター(演劇についての演劇)なのだ。

たとえば、こんなことが起きる。女優があえて女形の所作を取り込むから、異様なまでの媚態(びたい)が発散される。男を女にみせるためにデフォルメした形がナマな感じになるのだ。清らかさの中にも性的衝動がにじみでる滝沢めぐみの夜鷹にそれがあった。彼女に限らず女優が活躍、総じて多役に取り組む役者たちは達者。大村わたる、村上誠基、武谷公雄、藤井咲有里、熊川ふみ――皆、歌舞伎の文法を踏まえた上で現代化していた。

役者本位の大歌舞伎は名優の演技によって細部が膨らみすぎ、ドラマの本質を見失っている面がある。そうした反省から演出家、串田和美が再構成したコクーン歌舞伎で「三人吉三」をみると、現代に通じる若者の怒りと暴走が鮮烈。木ノ下歌舞伎の「三人吉三」では、ジェット機の轟音(ごうおん)やヘリコプターの騒音が印象的であり、戦争の予感の中で命の尊さを懸命に訴える。串田版にも劣らぬ斬新な解釈だった。

黙阿弥劇の中にはまだまだ未知の可能性が埋まっている。

(編集委員 内田洋一)

次回公演の新作「心中天の網島」(近松門左衛門作)は9月16~20日、京都・アトリエ劇研。9月23日~10月7日、東京・こまばアゴラ劇場で上演予定。