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車いす利用者のための室内楽演奏会 障がい持つ中高校生への最高水準の演奏

2015/6/25

 障がいを抱える子供たちに本物の音楽を伝えたい。そんな願いからサントリーホール館長でチェロ奏者の堤剛が企画し、バイオリン奏者の渡辺玲子が選曲する「車いす利用者のための室内楽演奏会」。せき払い一つにも眉をひそめるクラシック演奏会を障がい者が鑑賞するのは実際には難しい。ならば障がい者だけを招いて公演しようという発想だ。3年目となる6月18日の演奏会に特例で入場させてもらい、特別支援学校の中高校生らとともに世界最高水準の室内楽を聴いた。

 午前11時前、サントリーホール(東京・港)正面入り口前の「カラヤン広場」に車いすの中高校生や教職員らが集まってきた。全員が車いすに乗っているわけではないし、障がい者には見えない生徒の方が多いくらいだが、何らかの身体障がい、もしくは知的障がいを抱えている子供たちだという。今年招かれたのは世田谷区の東京都立光明特別支援学校、練馬区の都立大泉特別支援学校、それに江戸川区立篠崎中学校の特別支援学級の生徒や教職員ら計約120人だ。

 会場はサントリーホールの小ホール「ブルーローズ」。特に支障なく生徒たちが客席に入場して開演を待つ間、光明特別支援学校の田添敦孝校長が話してくれた。「音楽が大好きで今日のコンサートに行きたいとずっと願っていたお子さんが先日亡くなりました。今日はお母さんが代わりにいらっしゃっています」。言葉も出ない。田添校長の名刺を見つめると「子供たちの夢や願いをかなえる学校」と書かれてあった。

 非公開のこの演奏会は、堤館長の肝煎りでサントリーホールが2011年から毎年開いている日本最大級の室内楽専門の音楽祭「チェンバーミュージック・ガーデン(CMG)」の一環だ。5回目となった今年のCMGは、国内外のトップ級の演奏家を集めて6月6~21日に開かれた。米国のミロ・クァルテットによるベートーベンの「弦楽四重奏曲全曲演奏会(第1~16番)」をはじめ計23公演を催した。その中の1つが車いす利用者のための演奏会であり、13年から始めて今年で3回目だ。世界トップ級の演奏家が登場するのはCMGの他の公演と変わりない。

 「リラックスして聴いてくださいね」。ステージに登場したバイオリンの渡辺玲子は客席に向かってこう語りかけた。渡辺は13年の初回から毎年出演し、選曲やトークも担当している。彼女は1980年代にヴィオッティとパガニーニの2つの国際コンクールで最高位を受賞。ニューヨークに在住し、特に米国で高い評価を受けている。ほとんどの授業を英語で行うことで知られる秋田市の国際教養大学の特任教授も務めている。

 この演奏会に先立つ5月22日、「渡辺玲子&アンドレア・ルケシーニ デュオ・リサイタル」を同じブルーローズで聴いた。イタリア人ピアニストのルケシーニとの共演でベートーベンとシューベルトのバイオリンとピアノのための作品を演奏した。その時には劇的な盛り上がりをみせながらも、繊細な弱音による優美な歌謡性も併せ持つバイオリンという印象を持った。

 障がいを持つ中高校生らを前にしたこの日も、シューベルトから始まった。演目は5月には弾かなかった「バイオリンソナタニ長調 D384」。この曲は「バイオリンとピアノのためのソナチネ第1番」とも呼ばれ、全3楽章がそれぞれ4分程度と短い。展開部が短いソナタ形式を採るためだ。

 実際、第1楽章の冒頭のテーマからして子供っぽいかわいらしさがある。渡辺の使用楽器は1736年製グァルネリ・デル・ジェス「ムンツ」だが、現代仕様かつ現代奏法である。それでも宝石が転がるような音色で18世紀末から19世紀初めの典雅な雰囲気を出すところは、古楽器による古楽奏法が流行する現代の演奏の風潮に一石を投じる。

 叫び声が聞こえる。うなり声も。車いすの生徒がバイオリンを弾くまねをして腕を打ち鳴らしている。そしてまた叫び声。眠っている子供は1人もいない。障がいがあるように見えない生徒たちは、身動き一つせず真剣に演奏を見つめている。「普段のコンサートとは違う。不意に叫び声も上がるし、頻繁に物音も聞こえる。でも音楽を弾いたり聴いたりするのに何の支障にもならない。それがこの演奏会の特徴です」と渡辺は説明する。

 観客が物音に対して不機嫌にもならない。みんながお互いを理解し合おうという雰囲気が音楽を通じて自然に生まれてくるかのようだ。ちなみに第1楽章が終わったところで拍手が起きた。それでもいい。全曲を終えていないのに拍手をするとはけしからん、などと怒る客もいない。

 続く第2楽章では若林顕のピアノで導かれた穏やかでかわいらしい旋律に呼応して渡辺が端正に同じ旋律を弾く。幼い子供が大人の話し方をまねているかのようだ。しかしこの短い楽章のシューベルトらしいすごみは中間部にある。渡辺が透明感のある音色で非常に悲しい旋律を奏でていくのだ。先ほどの校長先生の話を思い出さずにはいられない。亡くなった子のお母さんはこの不意打ちの悲哀の旋律を聴いて何を思うだろうか。

 短い楽章なので悲しみあふれる旋律はすぐに去り、再び子供っぽくもあどけない最初の明るい旋律に戻って終わった。ここでもまた拍手。感動したらいつ拍手をしてもいい。第3楽章はみずみずしい響きでピアノとバイオリンが優雅に戯れて12分程度の全3楽章を締めくくった。

 次は若林のピアノ独奏でショパンの「バラード第1番ト短調作品23」。若林は演奏の前に「ピアノには弦が張ってあって、ボーンと打って鳴らします」などと説明した。演奏にはやや粗さもあったが、自由な感情表現による盛り上げ方で聴かせた。ここで印象的だったのはやはり、生徒たちの表情だ。ショパンのロマン的な感情の表出に深く感動しているとしか思えないまなざしだった。音楽に詳しい子供も多いのだろう。

 3曲目から室内楽のアンサンブルになった。まずはベートーベンの「ピアノ三重奏曲第3番ハ短調作品1の3」から第1楽章。ベートーベンの20代の作品だ。渡辺と若林に堤のチェロが加わった。「ベートーベンは耳の障がいがあった人でした」と楽聖の難聴の後半生について堤が説明し始めた。「でも自分の中にある音を聴きながら譜面に書いていきました」と述べる。若書きの第1楽章はベートーベンの後の「ピアノソナタ第17番『テンペスト』」の有名な第3楽章に似ている。謎めいて陰りがある暗い曲調なのである。陰鬱そうな曲も手加減なく演奏するのが趣旨なのだろう。

 この三重奏は渡辺の張りのある音色のバイオリンが終始リードしていく。透き通った弱音の響きが安定して持続するバイオリンは、伸びやかで優美だ。第1楽章のみにしたのは「限られた時間でなるべく難しくならないよう、興味を持ってもらえるようにプログラムを組んだから」と渡辺はいう。それにしても音楽に合わせて腕を打ち鳴らす生徒、頭を上下に思い切り揺らし続ける子、盛り上がる場面でうなり声を上げる車いすの子供らがいて、この曲を知っているのではないかと思えるほどだ。もちろん知らなくてもこの日を機にCDや他の演奏会で全曲に親しんでもらえればいい。

 最後もブラームスの「ピアノ五重奏曲ヘ短調作品34」から第2、第3楽章の抜粋だ。ここで世界最高水準の演奏陣をさらに印象付ける2人が登場した。2013年に惜しまれつつも解散した世界トップ級の弦楽四重奏団「東京クヮルテット」のメンバー、創設者の1人でビオラの磯村和英、バイオリンの池田菊衛だ。この2人に渡辺、若林、堤を加えた5人による哀愁のブラームス。有料の一般公演であっても完売は間違いない。

 1970年のミュンヘン国際音楽コンクールで優勝後、世界ツアーで経験を積んだ東京クヮルテットの元メンバーのトークには余裕の味がある。池田は入団した74年に「ニューヨークでコンサートをしたとき、ズボンを忘れましてね。借りたんだけど背の低い人のズボンでね、歩けないほど」と話して笑いをとった。

 ゆっくりと流れる第2楽章の合間にも手や腕を打ち鳴らす音や叫び声は頻繁に聞こえた。堤のチェロによるマーチ風のリズムから始まる第3楽章では、歯切れのいい曲調に合わせて体を揺すったり手で拍子をとったりする子供たちが何人もいた。音楽への感受性が強く、素直に自然に接することができるのだろう。この中から将来の作曲家が生まれても不思議ではない。作家の大江健三郎の長男、知的障がいを持つ作曲家の大江光が思い浮かぶ。

 とつぜん拍手が起こった。また楽章が終わるごとの拍手なのか。そうではない。終わったのだ。第4楽章は割愛された。それでも憂愁と勇壮が錯綜(さくそう)する行進曲風の第3楽章で盛り上がって終わるのも意外に不自然ではないものだ。

 CMGでは20日にミロ・クァルテットがベートーベンの「弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131」で特筆すべき集中度と感極まる情感あふれる演奏を披露。21日の最終日もミロのメンバーに堤のチェロと磯村のビオラを加えた6人でシェーンベルクの「浄(きよ)められた夜」を演奏し、劇的な高揚、緊密なアンサンブル、消え入りそうな繊細な弱音のあやなど、室内楽の醍醐味を印象付けて閉幕した。車いす利用者のための演奏会では、そうした公演にも全く引けをとらない上質な音楽が奏でられた。

 耳が不自由な音楽家という徹底して不条理な境遇を生きなければならなかったベートーベン。障がい者だったベートーベンの音楽が世界中の人々を励ましている。何らかの障がいを抱えながらも大成した作曲家や演奏家は数多い。音楽は大いに彼らの味方である。

(文化部 池上輝彦)

シュナイダーハンのバイオリン、クリーンのピアノによるシューベルト、ドボルザーク「バイオリンとピアノのためのソナチネ」のCD。シューベルトの「バイオリンソナタニ長調D384」を収める
スーク・トリオによるベートーベン「ピアノ三重奏曲第3番、第4番《街の歌》」他のCD

シューベルト : ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番ニ長調D384作品137の1

演奏者:シュナイダーハン(ヴォルフガング)
販売元:ポリドール

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第3番&第4番

演奏者:スーク・トリオ
販売元:日本コロムビア

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