裏参道はどこに 表参道駅に移転・改称の歴史
裏参道=明治神宮と外苑を結ぶ公園道路
JR代々木駅を出ると、左手に「明治神宮北参道口」と書かれた大きな石柱が見えてくる。そのまま南に歩き、鉄道の高架をくぐると明治神宮内苑の北参道口だ。
高架下をみると、「裏参道ガード」と書いてある。裏参道? 表参道なら有名だが、裏参道とはあまり聞かない名だ。「参道」というからには明治神宮関係だろうか。
都市計画研究の第一人者で北海道大学名誉教授の越沢明さんの著書「東京都市計画物語」(ちくま書房)に詳しい経緯が載っていた。越沢さんの研究から、裏参道の歴史を振り返ってみよう。
裏参道の正式名称は「明治神宮内外苑連絡道路」。その名の通り、明治神宮内苑と外苑を結ぶ道だ。
越沢さんの著書で紹介されていた「明治神宮外苑志」(明治神宮奉賛会編)をみてみると、「内苑北参道入口と外苑西北隅とを連結せる道路にして、青山六丁目より神宮橋に至り内苑南参道入口に達する道路を表参道と称するに対して、一に之を裏参道と言ふ」とある。当初から裏参道と呼んでいたようだ。
計画が持ち上がったのは1914年(大正3年)6月。当初は車道の両側に歩道が続く一般的な道路だった。幅も9間(約16m)ほどだったという。
すぐに計画は見直された。25年1月策定の計画では、南側に車道と歩道を寄せ、間に植樹帯を設ける。北側には乗馬道と植樹帯を配置した。全体の幅は約36m。これは現在の表参道と同じ長さだ。緑豊かな道路の姿は、絵はがきなどで確認できる。欧米のような公園道路。当時の関係者の熱意が伝わってくる。
それにしても人、車、馬が共存する道路はなぜ消失したのか。越沢さんは著書で東京五輪の影響を指摘する。64年の五輪開催を前に、東京都は裏参道の植樹帯や乗馬道を高速道路用地として削り取ったという。こうしてできたのが首都高速4号線だ。
「明治神宮外苑七十年誌」は「かつての内外苑連絡道路のうち、乗馬道も首都高速四号線の敷地として転用された」と記している。外苑周辺の土地は、五輪を前に次々と道路などに姿を変えた。
今や車道部分を残すのみとなった連絡道路。いつしか裏参道という名前も忘れ去られてしまった。日本橋や京橋川・外濠川などの河川、そして数々の地名……。前回の五輪は東京改造の契機となったが、失われたものも大きかった。
銀座線表参道駅、昔は別の場所にあった
裏参道と対をなす表参道には、同名の地下鉄駅がある。東京メトロ銀座線、半蔵門線、千代田線だ。銀座線と半蔵門線は同じホームで乗り換えができるなど、便利な駅として知られている。
実はこの銀座線表参道駅、昔は別の場所にあった。今より180mほど渋谷側にあったという。なぜ移動したのか。
「東京地下鉄道千代田線建設史」(帝都高速度交通営団編)は記す。「半蔵門線の駅も設置されて3線の総合駅とするため地下3階とした」。そう、70年代に千代田線を建設する際、将来の半蔵門線開業をにらんで3線の駅を1カ所にまとめるべく、今のような構造に設計したのだ。
72年に千代田線ができたとき、2つの表参道駅の乗り換えは面倒だった。いったん地上に出て歩かなければいけなかった。
そこで78年の半蔵門線表参道駅の完成に合わせて、銀座線の駅を現在の位置に移設。こうして同じホームで乗り換えが可能な便利な駅に生まれ変わった。
ただし、同じホームに乗り入れるのは大変だったようだ。半蔵門線の工事を進めるため、いったん浅草側に仮駅を造り、その後現在の位置に移ったのだ。仮駅は約1年間使われた。すべてが完成したのは78年7月だった。
青山六丁目→神宮前→表参道 駅名変更の歴史
ところで今でこそ表参道駅として知られているが、場所だけでなく、駅名も変転した。38年(昭和13年)の開業時の名前は「青山六丁目」。翌年に「神宮前」と変わり、72年に「表参道」となった。表参道の名前は、3度目の命名だったのだ。
最初の名称変更の理由ははっきりとは分からなかった。77年12月13日の毎日新聞は「隣が青山四丁目駅で紛らわしいから」と指摘している。このほか、集客を狙ったとの説もあるらしい。
銀座線の「渋谷~新橋」間は、五島慶太氏率いる東京高速鉄道が建設した。開業時の駅名は「渋谷、青山六丁目、青山四丁目、青山一丁目、赤坂見附、虎ノ門、新橋」。青山六丁目が現在の表参道、青山四丁目が外苑前に当たる。今でこそ東京に「○○4丁目」など偶数「丁目」を冠する鉄道駅はないが、過去には存在していた。
2回目の名称変更はなぜか。タイミングから分かる通り、千代田線の開業が契機となった。千代田線に新しく「明治神宮前」という駅ができたことで、混同を避けるため「神宮前」を「表参道」に変更したのだ。
ちなみに移転前の表参道駅はその後どうなったのか。「東京地下鉄道半蔵門線建設史(渋谷~水天宮前)」(帝都高速度交通営団編)は「新駅開業と同時に廃止した」と記す。東京メトロに尋ねたところ、「今も空間自体は残っていて、電車からもちらっと見えます」とのこと。過去には旧ホームを利用した広告もあったようだ。
表参道の坂道、勾配は3度 ヒルズのスロープも
明治神宮に続く参道として19年(大正8年)に完成した表参道。「明治神宮造営誌」(内務省神社局編)には「青山六丁目を起点とし、神宮橋をもって境内南参道と連絡し、総延長五百六十五間(約1km)に達す。道路幅員二十間(約36m)にして、左右に各4間(7m)の歩道と、十二間(約22m)の車道とを設け」とある。日本屈指の並木道だ。
森ビルによると「冬至の日の朝、JR原宿駅前の神宮橋交差点から青山通りの交差点に向かう延長線上に、日が昇る設計になっている」。街路樹のケヤキは東京大空襲で大部分が消失したが、表参道ヒルズ前には一部、戦火を逃れた樹齢90年を超すケヤキが残っているという。
そんな表参道には実は、勾配が約3度の坂道があるらしい。森ビルに聞いた。
「全部ではありませんが、青山通りの同潤館付近からエントランスを過ぎた辺りまでが約3度になっています」
表参道ヒルズでは「建物内に表参道を引き込んで、もう一つの街をつくる」という発想で開発が進んだ。建物内のスロープには表参道と同じ約3度の傾斜を採用したという。スロープの長さは総延長が約700mと、明治通りから青山通りまでの距離とほぼ同じ。スロープの床石も表参道と同じパターンを採用した。街との調和に腐心した姿が垣間見える。
表参道も裏参道も、時代とともに姿を変えてきた。2020年の東京五輪に向け、街は再び大変革の波にのまれようとしている。歴史を踏まえた変化になるのか、大改造が繰り返されるのか。今後の展開を注視したい。
(河尻定)
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