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舞台・演劇

文学座「明治の柩」 歴史に葬られた声へのレクイエム

2015/6/19

この「明治の柩(ひつぎ)」の稽古期間中に演出の高瀬久男は亡くなった。57歳にして、はからずも遺作となってしまったのだ。社会への鋭いまなざしをもち、演劇への熱い思いを静かに燃焼させる演出家だった。その遺志を坂口芳貞以下、文学座の俳優陣が受けとめ、めざましい力作に仕上げたことを胸に刻んでおこう。

足尾銅山鉱毒事件を描く宮本研(1926~88年)の大作。上演時間は休憩を入れ3時間に及ぶ。死を覚悟して明治天皇に直訴した田中正造(劇中では旗中正造)を中心に、社会主義運動を推進する幸徳秋水(劇中、豪徳さん)、キリスト教による社会変革を志す木下尚江(劇中、岩下先生)、さらに苦悩する青年農民らの群像が浮かび上がる。セリフが瞬時に熱を帯び、激突する宮本戯曲ならではの醍醐味が文学座らしい端正さの中にも強烈に感じられる。

栃木県の足尾銅山で明治時代に発生した日本初の公害問題を通し、近代日本のきしみ、弱者のうめき、社会運動の路線対立などが重層的に描きこまれる。何といっても野人、田中正造の役を演じる石田圭祐が素晴らしい。もともとぼくとつな持ち味がにじむ役者だけに、農民の目線にたつ誠実さが生き生きと浮かび上がる。天皇を崇拝し、大日本帝国憲法を敬い、ひたむきに農民の生活感に殉じようとする。運動の目的を問われると「渡良瀬川を天然の姿に戻し、人民の土地に自然の果実を生ませることでがす」。セリフをしめる「でがす」がいい。傷つきやすい魂を宿した正造である。

巨大な足場やくずれそうな屋根を組み合わせた装置(島次郎)を背景に、しわがれたジャズ風の君が代が響く(藤田赤目音響)。足尾という日本の局所では、富国強兵の負のエネルギーが渦巻く。南下するロシアが大砲をこちらに向けているときに、貧民の声などにかまっていられるか。権力者は時の勢いに乗じ、弱者を追いつめる。高瀬久男は、この歴史劇に現代の似姿を映しだそうとしただろう。大きな力が砂粒のような民を孤立させる挿話の数々が痛切。

小さな村にわずかな農民とともに立てこもり、やがて敗北する正造の運命は皮肉だ。理想のコミューンをつくり、新しい日本を生み出そうとする志は挫折するほかない。ラストシーン、その柩は夢の残骸ともなって観客の目を射る。革命や社会運動を題材とした宮本研の舞台がいつもながら胸しめつけるのは、夢の跡の苦さゆえ。正造の妻が最後に聞かせる「ご迷惑をかけて……」の独白の厳しさ。山本郁子の葬送のセリフがさえる。

文学座の中堅がすきのないセリフで長丁場をもたせたのは立派。ことに坂口芳貞(巡査)の冷徹なセリフが際だち、清水圭吾(執行官吏)がふわふわとしていて、しかも怖い。得丸伸二(豪徳さん)、加納朋之(岩下先生)から若手にいたるまで総力戦といえる舞台となった。

日本の近代を思想的に形づくったのはまずキリスト教であり、次いで社会主義であった。近代を建設するため何をよりどころとするか。キリスト教の神か、社会主義の哲学か、万世一系の天皇か。フィクション化されているとはいえ、ここにある熱い議論には歴史的真実がある。

近年かえりみられることはないが、職場演劇という領域がかつてあった。労働現場で組織された自主サークルによる演劇活動であり、役者や劇作家の供給源でもあった。宮本研は法務省のサークル「麦の会」で頭角を現した。1962年に初演された「明治の柩」は革命伝説4部作の第1作。ぶどうの会という名の集団を主宰していた戦後演劇の巨人、木下順二が無名だった宮本研に依頼した。その後、「美しきものの伝説」「阿Q外傳」「聖グレゴリーの殉教」をものした作者は、その名を世にとどろかせることになる。

「明治の柩」はストレートな討論場面が多く、のちの作品に比べれば演劇的な面白みに欠けるうらみはある。が、人間と思想の問題を掘り下げる執拗さはすごいの一言。今日見れば、時の勢いに押し流される日本社会の問題がありあり。

この足尾銅山の物語に響くセリフはそれゆえ耳に痛い。宮本研の言葉を現代につなげようとした高瀬久男の最後の闘い、その壮烈さを耳で感じる舞台となった。

石田圭祐は高瀬演出でブレヒトの名作「ガリレイの生涯」に主演した。科学の暴走を自覚し、柔らかく苦悩するガリレオ・ガリレイであった。あの忘れがたい科学者のたたずまいが今度は社会運動家に姿を変えたかにみえる。劇中の正造は、運動に勝ち負けはないと考えた。勝ち負けでいえば負けでも、正義の側に立ち続けることが大切だと叫ぶ。それは歴史の底に葬られた無数の声が集合した叫びでもあろう。「明治の柩」はレクイエムだ。

がんと戦っていた高瀬久男はプログラムにこう記した。「私は心の中に真摯に答える魂を宿そうと思う。たとえ命尽きても」

見当はずれかもしれないけれど、苦悩する人間像に高瀬久男その人をみた気がする。その柩に、花をたてまつれ!

(編集委員 内田洋一)

6月24日まで、東京・あうるすぽっと。

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