アート&レビュー

音楽レビュー

「父の日」に贈る完熟おやじピアニストの名盤 ソコロフ、フレイレ&園田

2015/6/19

 6月の第3日曜日は「父の日」、今年は21日だ。一家の大黒柱として懸命に働き、ヨレヨレになりながら、それぞれの分野で「スペシャリスト」と目されている姿は案外、家族には見えない。ピアノの世界でもコンクールの覇者か美女、イケメンなど目に見える若さが注目を集めがちだが、音楽の神に長年黙々と仕え、完熟の域に達した「おやじ」たちの演奏解釈には、実は、別格の説得力がある。今年前半にリリースされたロシアのグリゴリー・ソコロフ(1950年~)、ブラジルのネルソン・フレイレ(1944年~)、日本の園田高弘(1928~2004年)の新譜はどれも水準が高く、「偉大なる父性」の芸術に輝いている。

■日本に20年以上来ていない幻のピアニスト、ソコロフ

 ソコロフは16歳でモスクワの第3回チャイコフスキー国際コンクールに優勝した前後から「天才」「超絶技巧の名手」と目され、世界の聴衆を驚嘆させていた。だが40代に入ると、音楽が急激に内面性を深め、聴き手にも強度の集中力と共感が必要とされる弾き方に一変する。限られたリハーサル時間に起因する不本意な結果に堪えかね、オーケストラとの協奏曲演奏は封印した。近年は自身を本当に理解するコアな聴衆の前にだけ現れる傾向を強め、活動の範囲はヨーロッパ大陸内にとどまる。ザルツブルク音楽祭の常連として毎年のリサイタルは売り切れ、絶賛の嵐に包まれてきたが、日本へは20年以上も来ていない。90年代末にフランスのレーベルでいくつかの録音を行って以降、新譜も途絶えていた。

グリゴリー・ソコロフ「ザルツブルク・リサイタル2008」

 ユニバーサル傘下のクラシック名門レーベル、ドイツ・グラモフォン(DG)では、果てしなく頂点を極めるソコロフ芸術の最新の姿を世に広めようとザルツブルク音楽祭、オーストリア放送協会(ORF)の協力を得て、2008年7月30日にモーツァルトハウスで開いたリサイタルの実況録音の発売(CDとLP)にこぎ着けた。添付の解説書(ジェシカ・デュシェン執筆)によれば「ソコロフのエージェントは過去20年間、彼のリサイタルを、はじめは彼の宝のように大切な演奏を後世の人びとのために保存することを目的にしていたが、その後いつの日にかこのピアニストがそれらをCDとして発売することを許可することを期待して、ライブ録音する手配をしてきた」という。編集は一切加えていない。

 2枚組の1枚目はモーツァルトのソナタ第2番K(ケッヘル作品番号)280と第12番K332。2枚目はショパンの「24の前奏曲」と6曲に及ぶアンコールの小品である。深い! モーツァルトを聴き始めたとたん、何一つ余計なものを加えていないにもかかわらず、刻々変化する即興の表情の多彩さと打鍵の克明さ、音の豊かさ、美しさに息をのむ。聴き手はやがて、自身も底知れず深い音楽世界にいて、ソコロフと空気を共有していることを知る。ショパンでは厚みある打鍵が一段と際立ち、作曲者の巧みな構造設計はもちろん、その裏に潜む慟哭(どうこく)のようなものまで漏れなく再現し、圧巻の一語に尽きる。

■ショパンでも世界屈指の名手、フレイレ

 同じショパンを弾いても、フレイレの演奏は良い意味での軽さ、リズムの弾み、音色の明るさで際立つ。トルストイやドストエフスキーら重厚なロシア文学の世界に一脈通じるソコロフに対し、サンバの輝きといえば余りに通俗的だが、それほど2人の弾くショパンには違いがある。フレイレは母国でリストの孫弟子に師事した神童として現れ、早くからヨーロッパでの活動を始めた。日本では60年代末にルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団と録音したシューマン、グリーグ、チャイコフスキーのピアノ協奏曲の録音(ドイツCBS=現ソニーミュージック)の名盤で一躍注目を集めた。

ネルソン・フレイレ「ショパン ピアノ協奏曲第2番」

 昨年もリッカルド・シャイー指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の日本ツアーに同行し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」で高度の技巧に裏打ちされた格調高い解釈で客席を魅了した。今年発売されたショパン作品集(デッカ=ユニバーサル)はその前年、13年の痕跡だ。「バラード第4番」や「英雄ポロネーズ」などのソロは12月19~20日にハンブルクのフリードリヒ・エーベルト・ハレで、リオネル・ブランギエ指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団と共演したピアノ協奏曲第2番は3月3~5日にケルンのフィルハーモニーで収録した。

 解説の中でフレイレはジェイムズ・ジョリーの質問にこたえ、「私の最初のレコーディングは――12歳のときにLPをつくったのですが――、それこそショパン・リサイタルでした。そこに入っていたバラード第4番を、この新作でも弾いていますよ」と打ち明けた。作曲家と半世紀以上にわたって向き合い、10年にワルシャワで開かれたショパン国際ピアノコンクールでも審査員を務めるなど、フレイレは「ショパン弾き」としても世界的評価を確立した。CDもすべてが力まず自然に流れる中、時にハッとするほど新鮮な表情の即興や絶妙のルバート(テンポを一瞬「盗む」手法)で魅了し、音楽が生き物のようにはずむ。

■生涯現役を貫いた巨匠、園田の思い出

 いまだ現役バリバリのソコロフ、フレイレの後、すでに物故して11年になる日本の大ピアニストのディスクをとり上げる理由は2つ。まず演奏の見事さにおいて、世界の名手と互角に渡り合える水準に達している事実。そして、今回のシューベルト作品集が生前最後の録音を含むにもかかわらず、今まで発売されていなかったことだ。

 「園田高弘の遺(のこ)したシューベルト」のCD2枚組(アクースティカ)は、園田が25年にわたって自宅を構えたドイツ・バーデンバーデン市のハンス・ロスバウト・スタジオで2003年8月23~25日に収録した「ソナタ イ短調作品42」と「即興曲集作品90」、亡くなる3カ月前の04年7月8~10日に津市の三重県文化会館大ホールで収録した「ソナタ イ長調作品120」と「即興曲集作品142」で構成される。晩年の園田は作曲を専門に学んだ後、プロデューサーとして夫の活動を支えてきた春子夫人らと自主レーベルを立ち上げ、ドイツで音響学を修めた桜井卓に制作を委ね、レパートリーの大半を録音し直した。シューベルトも何枚か入れ、シリーズ化するはずだったが、これがラストレコーディングとなった。

「園田高弘の遺したシューベルト」

 昭和の時代にクラシック音楽を聴き始めた者にとって園田の存在は大きかった半面、何でもバリバリ弾きこなし「感心はしても感動できない」と思わせる何かがあったのも確かだった。それが晩年の十数年間、音が見違えるように美しくなり、「天才少年」と呼ばれた時代を彷彿(ほうふつ)とさせる、天馬空を行くかのごとき演奏スタイルに一変した。余りにも不思議な急旋回だったので、ある日、思い切ってご本人に質問してみた。

 「先生の演奏、昔は四角四面だったのになぜ突然、こんな面白くなったのですか?」

 気まずい沈黙の数秒後。聞こえてきたのは、すでに芸術院会員にも選ばれていた巨匠の大きな笑い声だった。

 「確かにその通りだ。昔は人並みに上昇志向や名誉欲があったから、教授職にも精を出したが、生徒の演奏を聴き続ける限り耳は良くならないし、自分にも影響が返ってくる。残された時間を考えた時、これからは本当に良い演奏、美しい音とは何かを究め、演奏家人生を全うしようと決めたのだよ」

 最後まで最大の理解者、そして、最も厳しい批評者であり続けた春子夫人の献身も並大抵のものではなかった。一つ一つの音を慈しみ、かみしめつつも音楽がたるまず、シューベルトの核心に迫り、深い感銘へと至る録音は夫妻の共同作業の夕映えを飾るにふさわしい。中でも「即興曲集 作品142」の破格のスケールは、最後の一瞬まで音楽の真実に迫り続けた園田の偉大な到達点といえるだろう。京都で園田に師事した後、音楽評論の道に進んだ原明美はCDの解説書で、園田が1981年のリサイタルに書き下ろした「フランツ・シューベルトのピアノ音楽について」の一節を引用している。

 「たとえば、やたらと出現する弱音=ピアニッシモの連続、いつ果てるともない同じ動機の単一的な繰り返しと徐々の変化――それはあたかも、人間が心して見なければ理解することの出来ない、自然現象の微細な変化、変遷のようでもあるのだが――、そしてしばしば、いつしか気が付いたら終焉(しゅうえん)が訪れていたような終結方法。それらはシューベルトにしか見出せない。独自の表現様式である」

 独自の表現様式をさらにさらに見つめ、三十数年後に出した答案がここにある。

=文中敬称略

(電子報道部 池田卓夫)

ザルツブルク・リサイタル 2008

演奏者:ソコロフ(グリゴリー)
販売元:ユニバーサル ミュージック

ショパン:ピアノ協奏曲第2番 他

演奏者:フレイレ(ネルソン)
販売元:ユニバーサル ミュージック

園田高弘の遺したシューベルト

演奏者:園田高弘
販売元:ACCUSTIKA

アート&レビュー

ALL CHANNEL