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東宝「おもろい女」 昭和演劇の遺産、見事に継いだ藤山直美

2015/6/15

藤山直美は商業演劇で今や別格の存在である。観客の心を瞬時にさらう呼吸は父、寛美ゆずりにして天才的。森光子亡きあと「おもろい女」をやれるのは直美しかいない。大先達の後継、しかも初めての挑戦となれば硬さは出る。が、揺るぎなく泣き笑いの世界を築いた力はさすがに直美、過去の名作に命を吹き込める貴重な役者だ。

戦争をはさんで時代を駆け抜けた女漫才師ミス・ワカナの生涯を史実をもとに描く大作で、休憩入れ3時間。テレビドラマ「おはなはん」で知られ、数々の喜劇を世に残した小野田勇の代表作である。これを潤色・演出した田村孝裕(小野田正監修)は、直美と高畑淳子の共演で大当たりをとった「ええから加減」で注目された新進。小劇場で不条理な喜劇を切れ味良く演出してきただけに、役者の瞬発力を生かすのが巧みだ。昭和の臭いが立ちこめる世界を今の感覚に直すのはもとより困難であり、そこに苦闘もあったはずだが、反戦劇として現代を撃つ作品にまとめた才腕はなかなか。

大正末年、無名の少女が漫才師を夢見て大阪千日前に現れたところから始まり、楽士の玉松一郎とコンビを組んで結婚、新しい漫才(しゃべくり漫才)を切り開き、戦地慰問をへて、戦後まもなくヒロポン中毒で頓死するまでをたどる。台本作家の秋田実や女興行師との出会い、インテリ崩れの演劇人とのいびつな愛などをはさみ、スター漫才師がボロボロに朽ちていく運命を見すえる。森光子のもうひとつの代表作「放浪記」同様、商業演劇としては異例ともいえる辛口の舞台である。

ワカナのツッコミは伝説的だが、直美が演じれば「まさに」という感じ。鋭い関西弁で相手を屈服させる間合いは無類。一郎のボケとの対照が人生模様となり、支え役のかけがえのなさを発見するまでがドラマとなる。壁に激突してひっくり返ったり、頭の足りない童女になって相手を煙に巻いたり。そんな大仰な面白さも直美ならでは。渡辺いっけいの一郎も適役で、自然に気弱さがにじむ。欲をいえばワカナの爆発的漫才を直美の芸でもっともっと見たいが……。まあ、これは次回以降の楽しみとしよう。

ワカナ役は辛抱のいる役。相手のセリフを聞き、伏線をハラで生かし、演技を1本の太い線にしていかねばならないから。激しい上昇志向の裏には人生の影があり、それが戦死者や傷病兵への思いやりに転じる。苦しい生活にたえている大衆を笑わせるため、自らの体をむしばむ。笑いにくるみつつ、この明暗をつかまえるのも簡単ではない。

戦地慰問で優しくしてくれた軍人の死を悼み、とっさにラジオで感謝を述べる激情。落ちぶれた昔の相方への一瞥(いちべつ)。戦場で片足を失った後輩漫才師への思い。演技のしどころが次々とあり、あの直美にしてチャレンジングな舞台となった。まだまだ伸びしろがあると思わせるのは、それだけ優れた、直美が今出合うべき作品だからだろう。

感心したのは秋田実役の田山涼成。劇団夢の遊眠社時代から奇矯な持ち味を面白く見てきたが、今回抑えが効いて舞台を見事に支えている。山本陽子のシンの強さ、正司花江の間の良さ。ほかに山口馬木也、小宮孝泰ら。

田村演出は演技への過剰な感情移入を排し、ドライに展開する。戦争の悲惨をありありと示す実写フィルムを繰り返し見せたあと、西宮球場の晴れの舞台へ。出演した後たったひとりで絶命するラストシーンも唐突さがかえって、戦争の闇を感じさせた。今では覚醒剤として禁止されるヒロポンは戦場の突撃兵の間で常用された。戦後は闇に流れ、薬局で普通に売られていた。出の前にそれを注射するワカナの孤影は戦争の陰画なのだ。この急所を光と影で強調した演出に主張があった。戦後の混乱期を知る観客も少なくなった。ワカナの皮肉な最期は演劇的にこそ再現されねばならないだろう。倒れ伏し、腕を出す直美の肉体の生々しさ、悲しさ――。

この舞台を磨きあげた森光子は若き日、二代目ミス・ワカナを打診されたことがあるほど本人と近しかった。西宮球場(実際に亡くなったのは西宮北口駅)でも一緒だった。秋田実らもよく知る相手で、戦地慰問の現場も上方漫才の空気も肌身でわかった。

作者に対し、森が「薬で人間が変わってしまうこわさ、嫌な女の部分を書いてください」と直訴したのは有名な話だが、それも真実を曲げてはならないとの思いゆえ。「戦争だけはしてはいけない」とくりかえしていた女優の執念がこの名作の根にある。実際、森の演じる絶命シーンの過激さは驚くべきものであった。が、そのすばらしさをいくら言いたてても、結局は一代限りのものでしかない。戦争を知らない世代が大半となった今、こうした作品を上演し続けられるのか。失われいく記憶をつなぐ装置として、舞台を再創造する日がめぐってきたといえる。

舞台の初演は1978年だが、もとは65年のテレビドラマだった。森光子のミス・ワカナに藤山寛美の玉松一郎、作者は同じ小野田勇だった。舞台化は同じキャストで果たしたかったようだが難しく、芦屋雁之助の一郎でようやく実現した。寛美の娘で再演が継承されるのはできすぎた話ながら、すれからしのシアターゴーアーとしてはこう思う。1990年代初め、大阪で演劇記者をしていたころ、直美の登場は鮮烈だった。父の面影を見る驚きはむろんあったが、時代遅れともみえた商業演劇が息を吹き返す予感がしたことに、もっとびっくりしたのだ。

かつて東宝の商業演劇には、コクのある名舞台も少なくなかった。菊田一夫の情熱を受け、今は演劇評論家として活躍する渡辺保らプロデューサーが懸命に企画を練っていた。森繁久弥、三木のり平、山田五十鈴、森光子らが芸を競った。それらの舞台は世紀を超えるまでに姿を消していき、最後に孤塁を守った森光子も3年前に鬼籍に入った。レパートリーが絶滅寸前の今、藤山直美は遺産を更新できる得がたい役者であろう。

昭和演劇を歴史化することはできるのか。この秋には「放浪記」(仲間由紀恵主演)も再演される。戦後70年の今年は演劇界のひとつのエポックとなるだろう。

(編集委員 内田洋一)

6月30日まで、東京・シアタークリエ。

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