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日本の東西で「氷のような姫君」が熱唱 宮崎と東京の「トゥーランドット」がガチンコ対決

2015/6/8

イタリアの大作曲家、ジャコモ・プッチーニ(1858~1924年)の遺作である「トゥーランドット」は目下のところ、日本人を最も熱くさせるオペラなのではないか?

■2006年トリノ冬季五輪でオペラの人気もブレーク

今年5月だけでも第20回宮崎国際音楽祭の最終公演(17日、宮崎県立劇場メイキット県民文化センター)と東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会(17日、東急文化村オーチャードホールと18日、サントリーホール)の演奏会形式上演がバッティング。今秋には首都オペラ(9月5~6日、神奈川県民ホール)、ブルガリア国立歌劇場(10月10日、東京文化会館)がそれぞれ舞台上演を予定する。

宮崎国際音楽祭管弦楽団をバックに熱唱するトゥーランドットのシューイン・リー(中央)とカラフの福井敬(右)。座っているのはリュウの岡田昌子(撮影=K.Miura、提供=宮崎県立芸術劇場)

だが1926年、ミラノ・スカラ座での世界初演から四半世紀後に日本初演(1951年6月28日、日比谷公会堂での東京オペラ協会公演)されて以降もかなりの長期間、「トゥーランドット」の上演頻度は同じプッチーニの「蝶々夫人」や「ラ・ボエーム」に比べて低いままだった。

状況の一変は、2006年2月にイタリアのトリノで開かれた冬季オリンピックがきっかけだった。女子フィギュアスケート部門で荒川静香選手が「トゥーランドット」の王子カラフが歌うアリア「誰も寝てはならぬ(ネッスン・ドルマ)」をフリー演技の音楽に採用し、日本代表で唯一の金メダルを獲得した。直後から「ネッスン・ドルマ」の「着メロ」のダウンロード件数が激増したという。同じアリアを開会式で歌った当時の「三大テノール歌手」のひとり、ルチアーノ・パヴァロッティが翌年に世を去り、オリンピックが生涯最後のステージとなったことと相まって、日本での「トゥーランドット」人気が定着した。

「食わず嫌い」という言葉がある。いざ「ネッスン・ドルマ」がヒットしたら、オペラ全曲への食わず嫌いが雲散霧消、日本人にもすんなり受け入れられたのは拍子抜けだったが、それ以前はいったい何が、普及を妨げていたのだろう?

■作品の普及を阻んできた3つの理由

第1に考えられるのは、歌手への負担の大きさとキャラクター設定の特異性である。中国皇帝アルトゥムの娘、トゥーランドットは侵略者の犠牲となった昔の姫を思い、異国からの求婚者に「3つの謎」を出しては愛を拒み、全問正解に至らなかった王子たちを処刑してきた「氷のような姫君」だ。だが最後に現れた王子カラフは難関を突破し、姫に愛の尊さを気付かせる。つねに愛と死(エロス・タナトス)が根底に流れるオペラの場合、観客のカタルシス(精神の浄化)はたいがい、ヒロインの死とともに訪れる。ところがトゥーランドット姫は王子たちの命を奪ったのに生き残り、めでたく結婚に至る。代わりに捕虜のティムール王に仕え、その息子のカラフへひそかに思いを寄せるリュウが自刃する。

トゥーランドット姫を歌うティツィアーナ・カルーソー(撮影=上野隆文、提供=東京フィルハーモニー交響楽団)

声楽的にもウルトラ(超)ドラマチックソプラノの大変な重荷を背負い、中盤以降ほぼ出ずっぱりのトゥーランドットに対し、最初と最後に2つの世界的に有名なアリアを与えられた割には出番が少なく、レッジェーロ(軽め)の声で歌えるリュウは「おいしい役」。重い声になればなるほど体格も立派になり、容姿でもリュウ役に負けてしまいがちなので、観客の喝采はリュウに集まる。技術的に可能でも「労多くして功少ない」の姫を歌うのをためらうソプラノは多い。一方のカラフもスタミナ勝負の上に、「ハイC」(五線の上のド、いわゆる3点ハの音)を決めなければならない場面もあり、技術のハードルが高い。日本には長くドラマチックな声の歌手が少なく、ハイCも鬼門とされてきた。

第2の理由は管弦楽の絢爛(けんらん)豪華さ。20世紀も4分の1を過ぎたところの作曲とは、リヒャルト・シュトラウスやドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、ベルクらと同じ時代を共有していたことになる。2001年にフランスの巨匠、ジョルジュ・プレートルがスカラ座で浅利慶太演出の「トゥーランドット」初日を指揮した際は完全に近代管弦楽のスコアとして複雑、繊細、入念にオーケストラを鳴らし、ミラノの聴衆の度肝を抜いた。日ごとに異なる作品を上演するレパートリー劇場の管弦楽団が完全に再現するのは至難の業であり、もし十全に鳴りきれば逆に、歌手の声を覆ってしまう危険が増す。

3番目は小さな部分だが、前半の残忍な展開を中和する役目を担う官吏3人組、ピン、パン、ポンのパートにこめられたイタリア伝統の仮面劇「コンメディア・デラルテ」の喜劇性を巧みに表現できる歌手、指揮者が限られていることか。1710年代にフランスのフランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワが出版した「千一日物語」の中の「カラフ王子と中国の王女の物語」に基づき、イタリアの劇作家カルロ・ゴッツィが62年に書いた戯曲をプッチーニはオペラの出発点とした。中国の旋律を引用するなど、日本が舞台の「蝶々夫人」と同様の異国趣味をまといながら、実質はヨーロッパの演劇史に深く根ざした作品なのだ。

今回の宮崎国際音楽祭、東京フィル定期公演それぞれの演奏会形式上演は3つの謎を解いたカラフのように3つの上演課題を見事にクリアして、客席を興奮の渦に巻き込んだ。

■広上淳一vsバッティストーニ、2人の指揮者を聴き比べる

今年で第20回を迎えた宮崎の音楽祭は「このオペラを振るのは初めて」という指揮者の広上淳一が、音楽監督でコンサートマスターの徳永二男(ヴァイオリン)以下有名ソリストの集まりながら普段はオペラに縁の薄いオーケストラ、「宮崎県合唱連盟有志」の名の下に集まった小・中・高校生が中心の若いアマチュアコーラスを驚異の短期間でまとめ上げ、桁外れの迫力で祝祭の幕切れを盛り上げた。ヴァイオリンの世界的巨匠、故アイザック・スターンを初代監督に担ぎ出したのをはじめ20年にわたって音楽祭の顔であり続けた青木賢児総監督(NHK元理事、NHK交響楽団元理事長)の勇退公演でもあり、広上は青木を舞台に呼び、ねぎらいのスピーチをする前に再度、最終場面を演奏した。演奏会形式とはいえ、オペラ上演でのアンコールは異例だが、熱狂した客席の反応にこたえた。

指揮者の広上淳一(右)から音楽祭20年の功績をたたえられる青木賢児総監督(撮影=K.Miura、提供=宮崎県立芸術劇場)

姫に中国の世界的ソプラノ、叙情性にも事欠かないシューイン・リーを招いた以外は全キャストが日本人。特にカラフの福井敬は今年の芸術選奨文部科学大臣賞を授かったベテラン(52歳)だが、四半世紀にわたって日本の上演を支え続けてきた強靱(きょうじん)な声は一時の不調を脱し、第2の絶頂期を思わせる名唱で圧倒した。リューの岡田昌子はイタリア在住。本来は姫をレパートリーとするクリスタルな美声で薄幸な「裏ヒロイン」の真摯な愛、芯の強さを的確に描き出す。限られたリハーサル時間ならではの工夫はピン(迎肇聡)、パン(清水徹太郎)、ポン(二塚直紀)に現れた。3人とも滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール声楽アンサンブルのソロ登録メンバーで同ホール、神奈川県民ホール共同制作の「トゥーランドット」で同じ役を歌い込んでおり、歌にもしぐさにもすきがない。

対する東京フィルは今年4月に首席客演指揮者へ就いたイタリアの若い天才、今年28歳のアンドレア・バッティストーニの就任披露を兼ねた定期公演。12年に東京二期会主催の「ナブッコ」(ヴェルディ)を指揮するため日本では全く無名の状態で初来日、たまたま管弦楽を引き受けた東京フィルと瞬時に「相思相愛」の仲となり共演を重ねてきた。宮崎の広上と同じか、それ以上に巨大な音響を指向する解釈で、大ホール全体を激しく揺るがせた。指揮を始める前に文学、作曲も修めており、当時の最先端だったプッチーニのモダニズムを徹底的に引き出す構えだったのだろう。広上が意外なほどの注意深さで強調した中国の旋律にも「一つの動機」以上の積極的意味を与えず、「オペラ史上最後かつ最大のスペクタクル」(音楽評論家の東条碩夫氏)のすごみを全身全霊でよみがえらせた。

姫はイタリアのティツィアーナ・カルーソー、カラフはウルグアイのカルロ・ヴェントレと本来は巨声の持ち主だが、バッティストーニの情熱の下ではかすみがち。大音響への対向には目もくれず、内面のしっとりした表現に徹したリュウの浜田理恵がキャスト中の最高殊勲だった。大野和士が常任指揮者だった90年代、東京フィルの売り物だった「オペラ・コンチェルタンテ」(演奏会形式オペラ)シリーズの常連だったベテラン、伊達英二が姫の父である老皇帝アルトゥムを格調高く歌い上げた場面ではオーケストラの歴史を実感させた半面、脇を固める日本人歌手の何人かが明らかなミスキャストだったのは残念。

満場の歓声にこたえるバッティストーニと東京フィル、歌手たち(撮影=上野隆文、提供=東京フィルハーモニー交響楽団)

当初は完全な演奏会形式を予定していたが、才気煥発な指揮者のアイデアは膨らむ一方で照明の工夫だけでなく、歌手の若干のアルテシェニカ(身体表現)、首切り役人を演じるダンサー(古賀豊が好演)が加わり臨場感を盛り上げた。2つの異なるホールで2日連続の上演という強行日程の下、バッティストーニは自らの要求を最大限に生かして舞台を破綻なくまとめたコーディネーターの菊池裕美子(演出家)の健闘をたたえ、ステージのカーテンコールに迎え入れた。久々に全身を熱くする「トゥーランドット」を2種類、日本の西と東で2日続けて観れたのは稀有の体験だった。

(電子編集部 池田卓夫)

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