がん告知で浮かび上がる「夫婦の関係」
動揺するパートナー、本人落胆させる言動も
自分はがんを免れられても、身内が同じだとは限らない
もしも、自分ががんになってしまったら、いったい何が起こるのか、どんな気持ちになるのか、何をしなくてはならないか――。この連載では、できるだけ詳しくお伝えしてきました。「2人に1人ががんになる時代」に生きる私たちは、その現実から目を背けられないことも、だんだんと分かってきたのではないでしょうか。
あなたががんを免れたとしたら、それはそれで幸いなことです。しかし、あなたはがんにかからず大丈夫だったとしても、あなたにとって大切な誰か、例えばパートナーががんにならない保証はどこにもありません。
そこで今回は少し趣向を変えて、「もしもパートナーががんにかかってしまったら……」というケースについてお伝えしたいと思います。
ある50代の男性のケースです。検診の結果、胃がんであることが判明し、それを告知する日には奥さんを伴って診察室にやってきました。結果を示しながら、「胃がんです」と口にしたとたん、「あれほど検診を受けてと昔から言ってきたじゃない! 私のことを無視するからこうなるのよ!」と、奥さんが大声を上げました。
「なんだと? そんなことを言うけど、お前だって……」と、言い返すご主人。こうしてだんだんと2人で声を荒らげ始め出すと、とうとう夫婦ゲンカが始まってしまいました。
「生命保険にはちゃんと加入しているのか!」
がんを告知した瞬間に、夫婦ゲンカが始まるケースは、しばしば起こることなのです。がんであるとの診断結果は、たとえそれが初期のものであっても、本人が受ける心理的な衝撃は大きく、心をかき乱され、不安にさいなまれます。これは聞かされる側の身内も例外ではなく、動揺している本人と同じか、ときに、本人以上にろうばいしてしまうのです。
今度は別の2つのケースです。いずれも奥さんががんであることを告げるや、次のような言葉がご主人の口をついて出てきたのです。
1人は、「生命保険にはちゃんと加入しているのか!」。そしてもう1人は、「お前は死ぬからいいけど、残される俺の身にもなってみろよ……」。
どちらのケースも、実は動揺したことを紛らわせるために、思いついた言葉をそのまま口にしてしまっただけなのだと思います。冷静であれば、おそらく絶対に口にしない言葉だったでしょう。しかし、現実には、がんである衝撃を受け止めなくてはいけない奥さんに向かって、「一緒に頑張るよ!」といった言葉はひと言も発せられなかったのです。今後の治療において、最も心強い支えになる必要があるパートナーにすら、信じられないことを口走らせてしまう。これもまた、がんなのです。
がんにかかった本人をがっかりさせてしまう原因
多くの人たちが「がん=死」だと思い、気持ちが後ろ向きになる。がんにかかったのが自分ではないにもかかわらず、「これでおしまいだ」と悲観的になり、パートナーを思いやったり、次の手立てを自分が冷静に考えたりすることができなくなるのです。
こうして、治療に入っても、不確かな情報をパートナーに与えて不安をあおったり、「いつ治るんだ?」といった本人には答えようのない問いかけで、気持ちを逆なでしてしまったりする。また逆に、「頑張れば治る」などの安易な精神論で励ましたり、あるいはつらさの余り、パートナーの悩みを無視し、無口、無関心になったりする。
これらはどれも、がんにかかった本人をがっかりさせてしまう原因になりかねません。こうした言動を取らないようにするのが難しいのは十分承知していますが、可能な限り、意識しておくようにしたいものです。
がん患者の気持ちは「日々豹変する」
1.不安をあおるような情報を与える |
---|
「治療」「薬」「生存率」「医師」「病院」などに関する不確かな情報は言わない。 |
2.本人の気持ちを逆なでするような言動を取る |
「いつ治るんだ?」「なぜがんになったんだ?」など、パートナーが答えようのないことは言わない。 |
3.安易な精神論で励まし続ける |
パートナーはいつも頑張っている。「もっと頑張れる」「頑張れば治る」などの言葉で、今以上の努力を要求するような言い方はしないこと。 |
4.パートナーを無視したり、無口になったりする |
パートナーは常に不安な状態にある。相手からの言葉には、とにかく耳を傾ける。 |
がんになった患者というのは、「豹変(ひょうへん)する」と心得ておいてください。あれだけ頼りがいのあった主人が、信じられないほど弱々しくなる。あるいは、きれい好きで気配りの人だった奥さんが、身の回りに無頓着になり、とてもわがままな人になってしまう。こうしたことは珍しくありません。
治療をする過程においても、がん患者は絶えず心が揺れ動きます。例えば「早く死にたい」「手術方法を変えてほしい」と口走ったかと思えば、気持ちが落ち着くと「死にたくない」「もっと頑張りたい」と力を振り絞りながら訴える。
身内ならば「できるだけのことはしたい」と思っていますから、このような患者の豹変ぶりに、多かれ少なかれ振り回され続けることになるでしょう。その際には、こう考えてみてください。
パートナーがわがままを言っているのではなく、がんが言わせているのだ、と。
パートナーががんだと分かったとき、みなさんに心がけていただきたいことが2つあります。1つは「決して慌てない」、そしてもう一つは「どんなときにも味方になる」こと。ただ、この2つの実践は、決して簡単ではありません。支える側として、心身ともに消耗してしまうときもあるでしょう。そうした際には、パートナーではなく、がんを恨んでください。
ご夫婦が培ってきた「歴史」「絆」を垣間見た
今まで、たくさんのがんの患者とその家族と接してきた経験から、つくづく思うことがあります。それは、がんという病気は、家族や夫婦がそれまでに「どのように歩んできたのか」「どんな関係を培ってきたのか」を浮かび上がらせてしまうことです。まるでリトマス試験紙のように、夫婦や家族の関係をあらわにしてしまう側面があるのも、がんという病気なのです。
最後に、もう一つのエピソードをご紹介しましょう。がんのご主人と一緒に闘った60代女性の話です。
ご主人はゴルフが何よりも生きがいの人でした。がんが進行して骨転移が分かった時点で、骨折を恐れた主治医から、ゴルフは控えるようにと言われてしまいました。仕事を引退してからは、明けても暮れてもゴルフばかりだったのに、生きがいを取り上げられると、日に日にふさぎ込み、体が弱り、生気を失い鬱状態にまでなっていきました。
ご主人の様子を見るに見かねた奥さんが、「ゴルフはできないのでしょうか」と私のところに相談にやってきました。「骨折はそれほど心配する必要はない。むしろ動ける間は、本人がやりたいということはどんどんやらせたほうがいい」と私はアドバイスしました。
「余命半年」がゴルフ再開で5年間生き永らえる
奥さんを連れだってゴルフを再開したら、その男性は見違えるほど元気になっていきました。「余命半年」と宣告されたにもかかわらず、その後に5年間も生き永らえ、それこそ「最後の最期」までゴルフをご夫婦で楽しみました。奥さんが私に送ってくれた手紙には、「ゴルフを再開するという選択は間違っていなかった」という言葉とともに、感謝がつづられていました。
ふさぎこむご主人を見た奥さんが、「本人のためだ」と意を決してゴルフの再開を勧め、励まし、そして最期まで一緒にゴルフ場に通ったことに、このご夫婦が培ってきた「歴史」「絆」を垣間見た気がします。もしも、積み上げてきたものが相手に対する「不満」や「不信」であったとするならば、恐らく「静かに病院で過ごしてほしい」と、パートナーにゴルフは再開させていなかったと思うのです。余命も、ずっと短かったかもしれません。
パートナーががんになったら、あなたは何をしてあげられますか?
あなたががんになったら、パートナーは何をしてくれるでしょうか?
(まとめ:平林理恵=ライター)
東京ミッドタウンクリニック常務理事
1947年、和歌山県生まれ。千葉大学医学部卒。76年に国立がんセンター放射線診断部に入局。同センターのがん予防・検診研究センター長を経て、現職。ヘリカルスキャンX線CT装置の開発に携わり、早期がんの発見に貢献。2005年に高松宮妃癌研究基金学術賞、07年に朝日がん大賞を受賞。主な著書に「がんはどこまで治せるのか」(徳間書店)。
健康や暮らしに役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。