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第56回ベネチア・ビエンナーレ 歴史掘り起こしたアルメニア、日本の塩田千春は鮮烈さ際立つ

2015/5/29

イタリアの古都ベネチアで、世界で最も歴史のある現代美術の祭典「ベネチア・ビエンナーレ」が開かれている(11月22日まで)。1895年に創設され、原則的に隔年で開催されてきた。第56回を数え、120周年を記念する今回は、例年よりも約1カ月早く5月9日に始まった。総合テーマは「全世界の未来」。ナイジェリア出身のオクウィ・エンヴェゾーが総合キュレーターを務めている。

金獅子賞を受賞したアルメニア館。サン・ラザロ島の修道院をパビリオンとして利用している

89カ国が参加した国別部門の表彰で、アルメニアが金獅子賞を獲得した。トルコの東側に隣接したアルメニアは、1991年に旧ソ連から独立した人口300万人余りの小国だ。面積は九州よりも小さい。

アルメニア館があるのはベネチア本島ではなく、サン・ラザロ島というわずか3万平方メートルほどの島である。船に乗れば本島から10~20分程度で着く距離だが、40分に1本程度しか便がない。そのため、行くとなれば半日がかりの旅程になり、芸術祭でたくさんの作品を見たい身には正直言って足が向きにくい。ところが実際に出かけてみると、いわゆる観光都市ベネチアのにぎやかさからは想像がつかない静謐(せいひつ)な世界があり、訪れる価値を強く感じた。

港に着き船を降りると、茶色のレンガを積み重ねた建物があった。修道院だという。中に入るとアーチ構造の白い柱に囲まれた中庭があり、青空の下で植物の緑が美しく照り映えている。そんな修道院の中で、数人入ればいっぱいになるような空間での映像の投影、この地の文化活動の遺産である活版などの印刷機が多く並ぶ中に液晶ディスプレーを置いた映像展示、レンガの壁で囲まれた部屋に並べられた数枚のドローイング、中庭に面した回廊での壁の写真作品、海を望む場所に円形に配されたオブジェ群などを見て歩くことができた。

アルメニア館より。ロザーナ・パラジアンの映像作品。作者が子どもの頃聞いたアルメニア人虐殺に関する断片的な記憶をもとに構成したという

出品作家は14人と2組。共通しているのは、どの作品も島に満ちた穏やかで清々(すがすが)しい空気を阻害していないことだろう。企画を担当したキュレーター、アデリナ・フュルステンベルクの手腕のほどがうかがわれる。

作家たちの出身地と現住地が極めて興味深い。ニゴール・ベジアンはシリア出身で米国在住。アンナ・ボグヒグイアンはエジプト出身でカナダ在住。ニナ・カチャドリアンは米国出身でフィンランド在住など様々なのである。なぜアルメニアという1つの国のパビリオンでたくさんの国の美術家たちが展示をしているのか。大きな理由があった。彼らは、オスマン帝国領でちょうど100年前の1915年に起きたとされるアルメニア人虐殺の中を生き延び、各地に離散したアルメニア人の子孫だったのだ。

アルメニア館より。映像作家のニゴール・ベジアンは会場となった修道院の印刷機のある部屋に、アルメニアの歴史にかかわる複数のインタビュー映像を液晶ディスプレイで展示した

象徴的なのは、トルコ生まれの美術家サルキスの展示だろうか。風景写真をもとに教会のステンドグラス風に仕立てたと見られる平面作品が、聖堂入り口の壁面にかかっていた。ベネチア本島のトルコ館に同じ技法のサルキスの作品があったことを思い出し、「なぜここでも」という素朴な疑問が湧いた。アルメニア人虐殺については、オスマン・トルコの関与が取り沙汰されている。にもかかわらず、アルメニア館でのサルキスの展示そのものは、決してトルコに抗議しているようには見えない。しかし、アルメニア人の子孫であることを静かに知らしめるのである。

アルメニアは、4世紀の初め頃、世界で初めてキリスト教を国教にした国だとされる。一方、このサン・ラザロ島にアルメニア人が住み始めたのは、アルメニアの修道士メクヒタリストが渡ってきた18世紀のことという。長い被征服と離散の歴史を持つアルメニア人にとって、この島は極めて重要な土地であり続けてきた。そんな場所で歴史を考えさせるアートの展示が行われたのである。

アルメニア館より。アンナ・ボグヒグイアンはドローイングを並べ、部屋全体をインスタレーション作品にした
アルメニア館より。風景写真をステンドグラス風にしたサルキスの作品

アルメニアの展示から見えてきたのは、アートが作品の表現内容や展示の構成次第で、歴史や社会状況とも極めて深くかかわりうるということだ。それは「全世界の未来」という芸術祭全体のテーマにもつながっている。

総合キュレーターのエンヴェゾーはヨーロッパのほかの芸術祭などでもすでに多くの実績を持つ人物だが、いわゆる第三世界の出身者がキュレーターを務めた意味は大きい。アルセナーレ、ジャルディーニの2つの主会場それぞれの企画展示スペースのためにエンヴェゾーが作品を集めたのは、53カ国136人の作家から。そのうち89人は初めての出品という。実際に会場を回ると、アフリカ、中南米、オセアニアといった出身作家の地域の多様性が印象づけられる。

ケニヤ出身のワンゲチ・ムトゥの映像作品。頭に荷物を載せた女性はとにかく歩く。人はいったいどこへ向かうのか……見ているとそんな問いにとらわれる

ジャルディーニ会場の企画展示スペースでは、ケニア出身のワンゲチ・ムトゥによるアニメーション作品に目がくぎ付けになった。3面を横につないだスクリーンに映った映像の中で、頭に大きな荷物を載せたシルエットの女性が、なだらかな坂道を歩いている。見ているうちに、どうやら載せているのは彼女の財産なのだろうと想像が及ぶ。荷物がだんだん増えていくのだ。そのうちに自転車の車輪のようなものが加わり、しばらくするとビルらしきものが載る。そんなものを頭に載せているのだから、歩くのは当然大変になる。文明というものがいかに頭でっかちかを見せつけているようだ。さらに坂を登っていくと……。近くには、映像に登場する女性をかたどったと思われる真っ黒な彫刻が寝転がった姿で配され、逆側の壁には女性をモチーフにした絵画がかかっている。映像だけでなく彫刻や絵画が同じ空間にあることで、リアリティーが増していた。

パキスタン出身のフマ・ババの彫刻には存在感があった。後ろに見えるカラフルな絵画は、オーストラリアのアボリジニに出自を持つエミリー・ウングワレーの作品

同じくジャルディーニ会場の企画展示室に作品が展示されたフマ・ババは、パキスタンに生まれ、米ニューヨークで活動している作家だ。会場に並んでいたのは、若干の彩色が施された数体の木の彫刻だった。顔や足が削り出されていることによって、人体をかたどったものであることがわかる。欧米人の身長を超えた大きさと粗削りの造形からまず感じるのは、原初性だろう。しかも、まぎれもなく今年の新作なのである。「未来」をテーマにした芸術祭に原初的な表現を真っ向から提示するところには、作家の、そしてキュレーターの思いがしみ出しているように映る。

国別の展示ではそれぞれに企画者としてのキュレーターがいる。各国は自国の展示に力を尽くし、芸術祭は全体として多様性を増す。この芸術祭が「美術のオリンピック」の異名を取るゆえんでもある。

ノルウェー館で驚いたのは、建物のガラス窓の多くが割れた状態で放置されていたことだ。アーティストのカミルレ・ノルメントが掲げたテーマは「歓喜」、表現の主体は「音」である。ガラスのコップを横にたくさん重ねるようにして作ったグラスハーモニカという楽器が館の中心に置かれ、会場にぼーぼーという音が響き渡っている。大きな音には窓ガラスを割る力がある。割れたガラス自体が大きな歓喜を表している――こう受け止められる実にユニークな展示だった。

建物の外に面したガラス窓がことごとく壊れているノルウェー館。中ではグラス・ハーモニカやフィドルによるパフォーマンスが行われていた

フィンランド館は、音楽とアートを融合させることで、極めて興味深い空間を作り出していた。一度に鑑賞できるのが十数人程度という空間に、フィンランドの森と川など自然の風景を撮ったモノクローム映像が映し出されている。川の水が静かに流れ、カメラのアングルがほんの少しずつ変わっていく。極めてゆっくりとした時間の流れを感じさせるその映像に、コントラバスの独奏を主体に一部で電子音を組み合わせた現代音楽がかぶさっていた。気づいたのは、おそらく音楽だけを聴いていても退屈なのではないかということだ。映像だけでもそれほど長く見ている気にはならないだろう。ところが、両者を組み合わせることで、人々はその空間に長い間、居続けたくなるのである。

「掌の鍵」というテーマで日本館に出品した美術家の塩田千春の表現は、極めて鮮烈だった。館内に赤い糸を張り巡らせ、18万個もの鍵をぶら下げたり床に置いたりした展示は、壮観。訪れた人々は、異世界の中を歩くような体験を楽しんでいた。「赤い糸は人と人とを結ぶ。鍵は人間の生活に密着している大切なもの。未来の扉を開けるチャンスをも担っている」と塩田は話す。普段は小さな道具にすぎない鍵が、ここでは人々の記憶を掘り起こし、未来へと思いを巡らせる。

日本館で展示された塩田千春の「掌の鍵」。神奈川県芸術文化財団の中野仁詞がキュレーターを務めた。床には、ベネチアで調達したという2艘(そう)の小舟が。18万本の鍵は世界各地から集めたという

ほかにも、手をかけた映像作品が秀逸な韓国館やアメリカ館、性をユーモラスな彫刻で表現したイギリス館やホモセクシャルをテーマに写真や映像で深刻な展示をしたエストニア館など、ベネチアはそこかしこで足をとめざるをえない表現に満ちた街と化していた。

(多摩美術大学教授 小川敦生、写真も筆者)

アメリカ館では、地域に伝わる幽霊の物語に想を得たジョーン・ジョナスの映像作品が、ドローイングなどと一緒に展示され、独自の空間を作った
イギリス館で展示されていたのは、性をユーモラスに表現したサラ・ルーカスの作品
ジャルディーニ会場の企画展示室に展示されていた石田徹也の作品。石田は2005年に踏切事故に遭い、31歳で亡くなった。見るたびに虚無感が胸の内から湧き出てくる作風
列車の脱線の原因は、サンタクロースを避けようとしたことだったのか……。アルセナーレ会場の企画展示室では、中国の曹斐の模型のような作品が強いインパクトを放っていた
人間が仏像を演じる映像を流し、周囲にその衣装などを配する展示をした中国館の陸揚の作品はあまりに破天荒だった

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