幸田文 「手触り」大事に 粋な佇まい
ヒロインは強し(木内昇)
幸田文がその父・露伴に教わったのは、暮らしの「手触り」ではなかったか、と文の随筆を読むたび思ってきた。
「掃いたり拭いたりのしかたを私は父から習った。掃除ばかりではない、女親から教えられる筈であろうことは大概みんな父から習っている」(「あとみよそわか」)
実母は早くに亡くなり、継母は家事が不得意だった。ために十代の文が家事一切を担うようになる。生家が貧しかった露伴は、家の手伝いをする過程で合理的手法を編み出したのだろう。経験に裏付けされたその教えは、万事理に適って、とかく奥深い。
はたきひとつも、含蓄がある。「はたきをかけるのに広告はいらない。物事は何でもいつの間にこのしごとができたかというように際立たないのがいい」。大きな音を立てずとも、はたきの先を軽く障子の桟に当てれば十分埃は落ちる。が、言われた通りに文がやっても力加減が難しい。コツを掴み、身体で塩梅を覚えるまで習練と相成る。
文が文筆家として立ったのは、不惑を過ぎてからだ。露伴を看取ったのち、父のことを書いた。好評を博すも、その後彼女は一度断筆している。文章に確信が得られなかったのかもしれない。彼女はきっと、周りからの評価以上に、自分が感じる嘘のない手触りを気にしたのだろう。
身分を隠して芸者置屋に住み込み、その経験をもとに名作「流れる」を書いたのが五十一歳のとき。女所帯独特のだらしなさや、ひと癖もふた癖もある人物の素顔が、垢染みたにおいを伴って文章から立ち上がってくる。以来彼女は、数々の小説や随筆をその手から生み出した。
「足は立たない。肉はすっかり落ちつくして向こう臑などは三角に骨立っている。心易い人が、『あなたのせいでしょう』と言う。なるほど嫁すまでをかじり、嫁してかじり、再び帰ってかじりである」(「ちぎれ雲」)
晩年の父を描く様も、温かみとユーモアに満ちている。下手に自分を出して感情にゆだねることなく、冷静な観察者に止まる姿勢は、作家としての資質だろう。加えてその文章が常に、怠らず暮らしを紡いできた人の実感に満ちている点が希有な魅力だ。
七十歳を越えてから文は、全国の山河の崩壊を見て回り、「崩れ」を発表する。急勾配では人に背負われながらの取材だった。それでも彼女は、想像や情報だけで物言うことをせず、あくまで現地を歩き、見て、感じることをおろそかにしなかった。
ひとつの概念で凝り固まり、過去の栄光を楯に、他者にそれを押し付けることを「老害」というのなら、幸田文はそれとは対極にあった人だ。どれほど栄誉を手にしても、知識を得ても、けっして「わかった気」にならず、老いてもなお「手触り」を大事にした。だからこそその佇まいが、粋で美しかったのではないか。歳をとればその分、生き方が姿に出る。付け焼き刃のスタイルではなく、積み重ねてきたものこそが、その人を作り上げるのだ。
[日本経済新聞朝刊女性面2015年5月23日付]
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