過去・現在・未来から中国を問う ジャの傑作「山河故人」
カンヌ映画祭リポート(6)
映画祭も後半に入った20日。パルムドールの有力候補となりそうな秀作が、相次いで登場した。中国のジャ・ジャンクー監督「山河故人」とイタリアのパオロ・ソレンティーノ監督「ユース(若さ)」。ともにカンヌの常連で、今一番脂がのっている映画作家だ。
ディスコ音楽にのって十数人の若者たちがいきなり踊り始める。中心にいるのはジーンズにジージャンのタオ(チャオ・タオ)。1999年、中国内陸部の山西省汾陽。「山河故人」は既視感のある弾むようなダンスシーンから始まった。
変貌を突き抜け、変わらない感情とは何かを問う「山河故人」
故郷・汾陽を舞台に、改革開放路線に乗って急速に変貌する中国社会に生きる若者たちを生々しくとらえた「プラットホーム」(2000年)で世界的名声を得たジャ・ジャンクー。「山河故人」でも、大規模な土地の造成が進む光景や、春節の町に集まる人民服の人々の表情が実にリアルだ。それもそのはず。ジャが「プラットホーム」のころに撮りためていた映像なのだ。
タオ、炭鉱で働くリャンズー(リャン・ジンドン)、実業家の息子ジンシェン(チャン・イー)は、ディスコで踊り明かし、赤い車を駆って黄河へドライブする。タオはジンシェンのプロポーズを受け入れ、傷心のリャンズーは河北省の炭鉱へと去る。実業家としての野心に燃えるジンシェンはタオとの間に生まれた子供を「ダラー」と名付ける。
物語は一気に2014年に飛ぶ。タオは汾陽で独り暮らし。上海に移住したジンシェンとは離婚した。上海のインターナショナルスクールに通うダラー(ドン・ズージェン)の養育権も手放した。子供の将来を考えての選択だ。一方、胸を病み汾陽に戻ったリャンズーは貧しさから抜け出せない。
さらに物語は飛んで、25年。ジンシェン一家はオーストラリアに移住している。19歳のダラーは中国語をほとんど話せない。英語を解さない父との溝は深まるばかり。中国語教室に通い始めたダラーは、聞き覚えのある古いレコードを聴かせてくれた50代の女性教師(シルビア・チャン)にひかれていく。
現代中国の変貌はジャの一貫した主題だが、その主題に過去、現在、未来という3つの時間から迫るという大胆な野心作だ。99年には貧しくとも共に青春を謳歌していた。2014年には経済格差が途方もなく開き、家庭も地域も壊れてしまった。そして25年には言葉や習慣といった民族の文化的な連帯まで失ってしまう……。
壮大な歴史観だが、ジャのまなざしはもっぱら人々の暮らしの細部の変化に向けられる。例えば飛行機、新幹線、夜汽車といった交通手段。7歳のダラーが上海~汾陽を移動するのに、父は客室乗務員に付き添わせて飛行機に1人で乗せるが、母は少しでも長く息子と過ごそうと一緒に夜汽車に乗る。通信手段も99年は旧式の携帯電話、14年はメール。25年には共通言語をもたない父と子が、もっぱらメールの自動翻訳を使って対話する。
交通や通信手段の発達が、人々の暮らしや家族のありようを変えていく。ダラーは最新の技術やサービスを享受して裕福に暮らしているが、そこで欠落していくものがありはしないか? 不思議なことに、ダラーがかすかな母の記憶を呼び起こすのは古い技術によるものばかりなのだ。夜汽車の中で母が聴かせてくれた流行歌であったり、中国語教師がかけてくれたレコードであったり。
「中国の経済は90年代に飛躍的な発展を始めた。この超現実的な環境で生きるうち、人々が自分の感情と向きあう方法は大きく変貌した」とジャはいう。テクノロジーが進展し、暮らしが変化するなかで、変わらない感情とは何なのか。「山河故人」はそう問うている気がする。中国の変貌を突き抜けて、世界の変貌にまで到達した傑作だ。
豊かなイメージが奔流のようにあふれる「ユース」
「ユース」の主人公は、題名とは裏腹に、共に80代に到達しつつある作曲家と映画監督。2人は古い友人同士で、今はスイスの山あいのスパ付きの優雅なホテルで暮らしている。
ただ、仕事に対する現在の姿勢は好対照。作曲家兼指揮者のフレッド(マイケル・ケイン)は、とうの昔に現役を退いている。英国王室の高官がホテルを訪ね「女王陛下の前で自作を指揮してほしい」と懇願するが、にべもなく断る。
一方のミック(ハーヴェイ・カイテル)は今も現役。若いスタッフをホテルに集めて、リハーサルをやりながら、シナリオを仕上げている。
ただ、フレッドもミックも芸術家である。アルプスの自然の中を散歩しても、音楽や映画が無意識のうちに浮かんでくる。
フレッドが草原の切り株に座ると、牛たちのカウベルの響きがメロディーを織りなし、鳥の羽ばたきまでが音楽を構成する。それはこの上なく幸福な無償の音楽に違いない。
一方のミックは、役をもらいに訪ねてきた老女優を追い返したあと、草原で幻想をみる。マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、グレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリヒ……。古今東西の女優のそっくりさんたちが、てんでばらばらに演技を始める。それは悪夢に近い。
2人のほかにもホテルには奇妙な人々が滞在している。芝生で瞑想(めいそう)するアジアの仏教僧や、黒い布で顔を覆ったアラブの貴婦人。元ミス・ユニバースという女性は惜しげもなく裸身をさらし、背中にマルクスの入れ墨をした太った男はサッカーの名選手そっくりで超絶の足技を披露する。
豊かなイメージが奔流のように画面にあふれるのは、まさにソレンティーノの世界。芸術家の苦悩と再生がテーマだが、スイスの高級リゾートホテル(みんな英語で話している)という浮世離れした空間を舞台にしたことで、これまで以上に自由にイメージが飛翔(ひしょう)しているようだ。
「自由になること」「若くあること」は、芸術の本質にもつながる。記者会見でソレンティーノは「これはとても楽観的な映画だ」と語った。
(編集委員 古賀重樹)
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