感情の渦描く「岸辺の旅」 黒沢流メロドラマの迫力カンヌ映画祭リポート(4)

黒沢清監督の新作と聞いて胸が躍るのは、その映画がいつも水のように澄み切っているからだ。混ぜ物がない100%ピュアな映画。どこをどう切っても映画でしかない映画。初めて会ったのは「地獄の警備員」(1992年)のころだから23年も前になるが、若き黒沢は「映画でしか表現できない映画、原始的な映画を撮りたい」と話していた。それからずっとそんな映画を撮り続けている。

3年前に失踪、「富山の海で死んだ」はずの夫が妻をいざなう「岸辺の旅」

17日夜、ある視点部門で上映された「岸辺の旅」で、黒沢清はメロドラマに挑んだ。メロドラマとはもともと演劇用語で18世紀後半に欧州で流行した伴奏付きの舞台劇を指す。今日では通俗的、扇情的なドラマ一般を意味するが、映画史においては50年代のハリウッドで活躍したダグラス・サーク監督がメロドラマの巨匠として知られる。

黒沢清監督「岸辺の旅」

湯本香樹実の小説を原作とする「岸辺の旅」は奇妙な物語だ。妻(深津絵里)の前に3年前に失踪した夫(浅野忠信)が突然戻ってくる。夫は自分は「富山の海で死んだ」と告げる。そして「きれいな場所があるんだ」と言って、死後にたどってきた町や村を妻と共に再訪する旅に出る。

小さな町の新聞販売店、ギョーザがおいしい大衆食堂、山あいの村の農家。方々で夫が世話になった人の中には、夫と同じように本当は死んでいるのに、姿だけがこの世にとどまっているという人もいる。そういう人はやがて消えていく。夫もまた消えてしまうのか? 妻はそれを恐れる。

この3年、妻は夫を捜し続けた。パソコンに残ったメールから浮気相手も突き止めた。知らなかった夫の過去が明らかになり、かえって夫を捜し出そうという思いが強くなった。だから目の前に戻ってきた夫がいとおしい。消えないでほしい。いつまでもここにいてほしい。

「岸辺の旅」上映前にあいさつする(左から)黒沢清監督、深津絵里さん、浅野忠信さん

この映画はほとんどそんな妻の感情だけでできている。ちょっと目を離した時、眠りから目覚めた時、世話になった人が消えた時、妻は強烈な不安に襲われる。消えないで、という感情が心に渦を巻き、無言のうちにあふれ出す。

そんな妻の感情の奔流に荘重な音楽が重なる。あまり音楽を使わない黒沢作品にしては大胆な使い方だ。「1950年代の米国映画のような音楽を思い切ってつけた。メロドラマの巨匠ダグラス・サークの作品を意識した」と黒沢は言う。

時代や場所が違っても、人間の感情に大した違いはない。その真理を黒沢は確信しているようだ。50年代の米国も2010年代の日本も変わらないと。

源泉からわき出る純度の高い感情

だから、この夫婦がかつてどんな暮らしをしていたのか、どうやって知り合い、どうやって結ばれたのか、なぜ夫は死んだのか、などはまったく説明しない。回想シーンは一切ない。ただ、目の前の夫が消えるのを恐れる妻の感情だけを描く。

「ラブストーリーを積極的にやりたいと思わないし、得意だとも思わない。ただ、自分のドラマは相手をどれだけ信頼できるか、という信頼のドラマ。男女の場合はそれがラブストーリーになっていく」と黒沢は説明する。「ぼくの作品では多くの場合、夫婦であれ、恋人であれ、2人の関係は最初からある。愛し合っているという前提があって、そこから相手をどれだけ信頼できるのか。100%信頼するのは難しい。時には信頼できなくなる。それでも2人が試行錯誤していく」。そんな信頼のドラマの基本構造は今回も変わらない。

「この原作で大胆なのは、わからなかった相手のことがわかってくるのだが、わかってくるのが死んだ後の3年についてであるということ」と黒沢は言う。「あまりにとっぴな設定だが、死んでみないとわからない、というのは1つの真実のような気がする。自分はこういう人間だったというのは死んでみてやっとわかる。それを伝えるすべがあるとしたら、こういう方法ではないか」

「信頼のドラマ」をより掘り下げたところから、こんこんとわいてくる感情。黒沢がメロドラマの形式で迫ろうとしたのは、そんな源泉からわき出てくる純度の高い感情ではないか。

「残菊物語」のデジタル修復版を世界初上映

デジタル修復された溝口健二監督「残菊物語」。花柳章太郎(左)と森赫子

カンヌクラシック部門では18日、溝口健二監督「残菊物語」のデジタル修復版が世界初上映された。1939年に松竹下加茂撮影所で撮られた作品で、戦前の溝口の代表作の一つだ。新派のスター花柳章太郎を主演に迎えた芸道もので、溝口がワンシーンワンカットの技法を確立したと言われる。

デジタル修復は松竹が手がけた。オリジナルの可燃性フィルムから数世代を経たフィルムを4Kでスキャン、2Kで修復した。フィルムの傷を消し、揺れを補正、画調を整えた。音声は保存状況が原因のノイズを取り除いた。

とにかく美しい。写真は五代目尾上菊五郎の養子、菊之助(花柳章太郎)が弟の子守のお徳(森赫子)と2人でスイカを食べるシーンだが、水からあげたスイカのきらめきや包丁を入れる音までが生々しい。

松竹の修復作品のカンヌでの上映は12年の木下恵介監督「楢山節考」、13年の小津安二郎監督「秋刀魚の味」、昨年の大島渚監督「青春残酷物語」に続くもので、4年連続。迫本淳一松竹社長は「いい先例になればと思う。修復にはコストがかかるが、先陣を切って商業ベースに乗せることができれば、同じように名作を抱える他社にも広がっていく」と語る。

「残菊物語」デジタル修復版のポスターの前で。迫本淳一松竹社長(左)と是枝裕和監督

上映に駆けつけた是枝裕和監督は数年前から歌舞伎の勉強を始めており、「残菊物語」も繰り返し見ていたという。「溝口作品には最高に幸福な瞬間ととても不幸な瞬間が同居している。端から見ると不幸だが、本人たちにとっては幸福であるという瞬間。複雑で残酷なシーンだが、僕はいつも鳥肌が立つ。そんな溝口的な瞬間がこの作品の随所に現れている」と是枝。

海外では小津安二郎や成瀬巳喜男の影響を指摘される是枝だが、若い頃は「溝口は遠い存在だった」。ただ監督業を続ける中で「空間の中で人間をどう動かし、カメラをどう動かすか」を考えていくときに「溝口の存在を考えざるを得なくなった」という。演出についても「溝口は現場で役者に対し、反射してますか? 反射してください、と言い続けた。用意したものを再現するのではなく、その場で生まれたものに反応し、その反応の連続が演出につながっていくという僕の映画の作り方は、溝口の『反射』という言葉に通じている気がする」と語った。

(編集委員 古賀重樹)

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