知っていますか? 五月病とうつ病の違い
「思っていた職場と違う…」
5月、異動や入社といった環境変化を乗り越えてようやく気持ちも落ち着く頃。総合商社の社員のAさんは、周りの先輩に期待されて迎えられたが、どうやら最近表情がさえない。
Aさん(心の声):「バリバリ仕事して、売り上げを伸ばすつもりで入社したのに、今日もまた雑用かよ。先輩は仕事のことなんか教えてくれないし、どうやっていいかわかんない。はぁ、『やり方が違う』って上司から言われるし。こんなはずじゃなかった……」
やる気はありそうだが、思うように仕事がはかどっていないのは周囲からでも分かるようで、「入社当初はハツラツとしていたAさんが、近頃は空回りぎみで仕事がはかどっていないみたい」と、隣の部署のアシスタントたちの噂の的にもなっていた。
五月病の実体【1】理想と現実のギャップに折り合いがつかず起こる不調
4月に意気揚々と新生活を始め、「こんな仕事がやりたい」「自分の能力を最大限に生かしたい」と張り切っていても、そのイメージと現実にギャップがあるのはよく聞く話。
「大きい環境変化にさらされたときに、その環境が自分が思い描いていたものと違う、というギャップに折り合いをつけられずに起こる不調のことを一般に五月病と呼びます」と、東京大学環境安全本部教授で産業医でもある大久保靖司さんは言う。特に就職は、人生の中でも環境が激変するイベントの一つ。「進学やクラス替えのたびに不安定になる人も少なくないのですが、学生という境遇は同じで、変化の度合いはまだ小さい。一方、『学生から社会人』という、生活も人間関係もガラッと変わるタイミングの場合、五月病になる人が出てきやすい」と大久保さん。
Aさんのように出勤はするものの、「やる気が出ない」「仕事がいっこうにはかどらない」という状態がじわじわと悪化していく。環境が変化したタイミングから1~2カ月後、すなわち新入社員では5月ごろにこのような状態が顕在化しやすいことから、「五月病」と呼ばれてきた。
五月病の実体【2】五月病は正式な病名ではなく、適応障害の一種
実は「五月病」は医学的な病名ではない。そのため、明確な診断基準もないが、環境への適応が難しく精神的・身体的不調が出る適応障害の一種とされる。
五月病は新入社員に起こりやすいが、「30~40代でも、異動や転職などの環境変化に対応できずに五月病になる人もいます」(大久保さん)。主な症状は次のようなものだ。
心の症状 | 体の症状 |
元気がない 意欲が低下する 集中力が続かない イライラする | 眠れない 頭痛 腹痛を伴う下痢 胃痛 |
これらの症状はじわじわと表れ、悪化していく。ただし、出勤できなくなるほどひどくなるのは珍しく、「欠勤するようになったら、五月病以外の病気になっている可能性が高いと言えます」(大久保さん)。
五月病の実体【3】多くは一過性の不調だが、長引くケースもある
五月病という言葉は"ある時期特有の不調"という印象を与えるが、実際はどうなのだろう。
「これまでは、五月病は一過性のもので、一時的に調子を崩しても次第に環境に適応することによって元通りになる、と考えられてきました。しかし、産業医として現場を見ていると、近年、症状が長く続き、6カ月、あるいはもっと長く尾を引いてその人の仕事のパフォーマンスを落としていくケースも見られます」(大久保さん)
前述したとおり、環境の激変が引き金になるため、春特有の症状と考えるのは早計だ。秋の定期異動や転職などをきっかけに五月病を引き起こすケースも存在する。
五月病の実体【4】五月病は「周囲が悪い」、うつ病は「自分が悪い」と思う
「五月病では、自尊心が保たれているのが特徴です」と大久保さん。仕事で感じるもどかしさの原因を会社や仕事、周囲の環境など、自分のまわりに求める傾向が強いという。例えば、「この会社が自分に合わない」「自分がやりたかったのはこの仕事ではない」などといった具合だ。
一方、典型的なうつ病の場合は、「自分に能力がないからだ」「怒られるのは自分のせいだ」などと自罰的な考えになりやすい。
両者とも考えが堂々巡りしていくことで、心身が消耗してしまい、不調を来す。ただ、五月病の場合、理想と現実のギャップに折り合いをつけられるようになったり、環境に慣れたりすることで症状は改善し、パフォーマンスが向上していくという。
五月病の実体【5】五月病になる人は人材としての価値が高い?
どんな人が五月病になりやすいのか。大久保さんによると、
・真面目で、何事もきちんとやろうと思っている人
・理想が高く、「仕事はこんなものだ」と割り切ることが難しい人
に見られやすいという。
逆に、「いい加減な人、細かいことを気にしない人は、ストレスをかわすことができるため五月病になりにくい」(大久保さん)という。
「特に、最近の新入社員には、五月病になりやすいタイプが増えています。大学までは、毎日講義を受けてノートをとり、言われたことさえこなしていれば良い評価を受けられました。しかし、企業では先輩のいうことを毎日きちんと聞いてノートにメモしていても、それだけでは評価にはつながりません。結果が欲しいからか、やたらと効率を求めるのも特徴で、『失敗したくない』『無駄なことはしたくない』と考える傾向が強い」と大久保さんは分析する。
人手が足りている職場を除き、多くの場合、先輩は新参者に付きっきりで業務のすべてを教えることはできない。そのため、業務では「自分で考えて行動する」ことが求められるわけだが、まだ仕事に慣れていないうちは、できないことが多い"仕事全般"がストレスになってくる。やる気に満ちていた頃の自分の理想と、突きつけられる自分の至らなさに齟齬(そご)が生じてくる。そのはざまで、モヤモヤとした気持ちが少しずつ、症状を進行させていく。
「五月病になる人は、真面目な気質な人が多いので、不調を感じても出社し続けます。狭き門を突破し、やる気がある真面目な人材をふいにしてしまうのは実にもったいない」と、数多くの五月病患者を診てきた大久保さんは訴える。「有用な人材が多いので、迎える側の職場の人たちは、五月病の予防にも目を向けてほしい」(大久保さん)。
(柳本 操=フリーライター)
東京大学環境安全本部 安全衛生管理部長・産業医
産業医科大学医学部卒。産業医として企業の健康管理分野を担当。専門は、衛生学、公衆衛生学、健康科学。長時間勤務者の健康影響評価方法の開発などにも携わる。
健康や暮らしに役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。