2000年前後に中小型株投資で驚異的なパフォーマンスを上げ、「カリスマファンドマネジャー」と呼ばれたレオス・キャピタルワークス(東京・千代田)取締役最高投資責任者(CIO)の藤野英人氏。自身が運用を担当する「ひふみ投信」は格付投資情報センター(R&I)の「R&Iファンド大賞」を15年までに4年連続で受賞するなど、いまなお健在ぶりが目立つ。だが、華やかな実績の裏には人知れない困難もあった。08年のリーマン・ショック時には会社が危機に見舞われ、「業界を去ろう」と覚悟を決めたという。藤野氏がどん底で誓ったこととは――。
国民のためのファンドをつくりたい
レオスを始めたのが03年。時代がよかったこともあって、黒字で順調でした。でも野村投資顧問(現野村アセットマネジメント)、ジャーディンフレミング(現JPモルガン・アセット・マネジメント)、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントと3つの運用会社を経験しましたが、残念に思っていたことがありました。
それは日本を代表する日本株のファンドがないということ。どのファンドも流通商材の1つとして、コモディティーとして扱われ、テーマファンドが出てきては消えていくという状況でした。長く同じ組織・チームが心込めて運用するファンドがひとつもない。自分がファンドマネジャーとしてそういうものをつくりたい、と決意しました。
投資信託はお金と大きな組織が必要だから、当初は投資顧問の仕事をして年金を中心にプロ向けの運用をしていました。だけどそれは僕がやりたいことの半分で、あとの半分は投資信託をつくって国民のためのファンドを育てたいと。そこで満を持してひふみ投信を08年に始めたのです。
ファンドの立ち上げに金融危機が重なる
皮肉なことにそれが危機のきっかけでもありました。営業要員を増やすなど固定費ががんと上がったところで、リーマン・ショックが重なって収益が急減した。キャッシュフローが回らなくなって、かつ調達もできなくなった。それまでは金融機関がお金を出してくれたんですけれど……。ほとんどお手上げ状態でした。解約ラッシュで預かり資産は半分以下になりました。