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メッツマッハー指揮 新日本フィルのヴァレーズ「アメリカ」ノイズは踊る“騒音の祭典”

2015/4/30

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サイレンがうなり声を上げ、打楽器群によるノイズが踊る。エドガー・ヴァレーズ(1883~1965年)の管弦楽曲「アメリカ」は“騒音の祭典”だ。ドイツの指揮者インゴ・メッツマッハー(57)が新日本フィルハーモニー交響楽団での「コンダクター・イン・レジデンス」としての任期最後の公演に選んだのは、得意の現代音楽。そのヴァレーズ作品に後期ロマン派のリヒャルト・シュトラウスの2曲を組み合わせた彼独特の斬新な音楽史的プログラム。名残惜しい聴き納めだ。

メッツマッハーは2013年9月に新日本フィルの事実上の常任指揮者といえるコンダクター・イン・レジデンスに就任。ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」第1幕(演奏会形式)を皮切りに、ツィンマーマンの現代作品やベートーベン「ミサ・ソレムニス」など、古典派やロマン派の演目に現代音楽を組み込んだ魅力的な演奏会を催してきた。公演を聴くにつけ、現代音楽が過去の様々なクラシック音楽と意外なところで有機的につながっていると思い知ることが多かった。それにしてもほんの2年足らずで退任とはもったいない。予算的な問題もあったようだ。一方で新日本フィルは、独ヴッパータール市立歌劇場の音楽総監督などドイツでの活動が長い上岡敏之氏を16年9月から次期音楽監督として迎える人事を決めている。

4月17、18両日、すみだトリフォニーホール(東京・墨田)でのメッツマッハー指揮の新日本フィルによる定期演奏会。17日の公演を聴いた(写真は18日)。演目は順番にR・シュトラウスの交響詩「ティル=オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、ヴァレーズの「アメリカ」と「アルカナ」(日本初演)、最後に再びR・シュトラウスの交響詩「死と変容」の4作品。ノイズまみれの現代音楽を後期ロマン派の交響詩でサンドイッチにしたプログラム。どこがどうつながるのか、あるいはどう対決するのか。独ハンブルク州立歌劇場音楽総監督やベルリン・ドイツ交響楽団音楽監督など、多くの重要ポストを経験してきたメッツマッハーはもちろん両方とも得意とする。

「ティル=オイレンシュピーゲル」は出だしの金管がもたついてハラハラしたが、続く弦や木管の軽やかな音色、浮ついた響きが印象的だ。軽薄そのもののサウンドで固めて、落ち着きがなく信用ならない、いたずらっぽい雰囲気を一気に作り出す。ソロ・コンサートマスターの崔文洙の独奏バイオリンがせっかちに細い音色でスルスルと奏でるペテン師風のフレーズが笑いを誘う。途中で急に短調に変わって軍隊行進曲風になるが、この場面でも詐欺っぽい軽薄な響きを保つ。最後まで浮ついていて、金粉を薄くふったような、ふざけたきらめきを見せる管弦楽の響きが新鮮だった。

続いてヴァレーズの作品が登場する。2つの打楽器群とサイレン付きの管弦楽曲「アメリカ」だ。「ティル」の時から新日本フィルは大編成だったが、「アメリカ」では一段とステージ上の人数が増える。管弦楽奏者らを後方から取り巻くように打楽器奏者が14人ほどいる。向かって左手のコントラバス奏者たちは舞台からあふれ出るようにして楽屋入り口通路の方にまで並んでいる。

出だしのフルートのソロがストラビンスキーの「春の祭典」の冒頭を思わせる。パリ生まれのヴァレーズが「アメリカ」を作曲したのは、渡米後の1918~22年。「春の祭典」がパリで初演されたのは13年であり、ヴァレーズは当然その存在を知っていた。打楽器がアフリカ風ともカリブ海風ともいえるリズムを打ち鳴らす。やがて最初のサイレンが聞こえてくる。ヴァレーズが新世界アメリカから受けた印象を描いた「交響詩」と位置付ければ、どんな自然や心理でも音で描けると自負していたR・シュトラウスの作品とのつながりができる。ノイズは踊る。「騒音の祭典」とでも名付けたくなる。

とにかく打楽器が多い。ライオンのうなり声のような音を出すという「ライオンズローア」という珍しい打楽器を使っているが、サイレンもしょっちゅう鳴るだけに、どれがその音なのか分かりにくい。歯車を手で回転させて音を出すラチェットのほか、チャイムやカスタネット、つるしシンバル、銅鑼(どら)など、打楽器なら何でもありだ。ムチをパンパンたたく音がピストルの音に似てくる。けたたましく鳴り渡るサイレンはパトロールカーのようだ。西側世界の前衛音楽に憧れていた旧ソ連の作曲家ショスタコーヴィチも27年作曲の「交響曲第2番《十月革命にささげる》」でサイレンを使っている。

ヴァレーズの「アメリカ」で想起されるのはもちろんニューヨークの喧騒(けんそう)だ。ノイズ系サウンドのロックバンドの元祖と思われるニューヨーク出身の「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」をふと思い出した。特に67年のデビューアルバム「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」。アルバム制作のプロデューサーを務めたポップアートの画家アンディ・ウォーホルの手によるバナナの絵のジャケットで有名だ。その中で特に最後の曲「ヨーロピアン・サン」がノイズの洪水のような音楽。ヨーロッパ人ヴァレーズが発見と可能性の国・米国と出合って生み出した前衛音楽は、その息子や孫の世代、後のロックにまで影響を及ぼしたのだろうか。

「アメリカ」の後半は一段と止めようのないノイズのダンスとなった。ここも「春の祭典」に似ているが、「春祭」が古代ロシアの原始的で土着的な祭りならば、「アメリカ」は現代の大都市の洒脱(しゃだつ)で騒々しい鼓動だ。メッツマッハーの指揮を見ていると、一応3拍子のようにもみえるが、変拍子が多いのだろう。曲全体がフォルテ(強く)以上の強奏と思えるほどなのに、終結部にはさらに巨大なクレッシェンド(だんだん強く)もあり、常軌を逸した大きな音響のカオスが大ホールを突き破りそうなほどになった。耳栓が必要かもしれない。そう思ってしまうほどに大音量のクラシック音楽の演奏会は珍しい。

休憩を挟んで後半はヴァレーズの27年完成の管弦楽曲「アルカナ」から始まった。「秘儀」を意味する題名だそうだが、よく分からない。冒頭の低音弦による主題は「アメリカ」よりも聞き取りやすい。秘儀とは言っても、取っつきやすさではこの「アルカナ」のほうが上手ではないだろうか。米国は伝統に縛られない前衛が花開いた国であると同時に、大衆に支えられたポップカルチャーの国でもあるのだろう。米国に移住した欧州の作曲家には、次第に親しみやすい作品を書くようになる傾向もある。バルトークは米国に移住後、調性感がはっきりしていてロマンチックでもある「ピアノ協奏曲第3番」を書いた。オーストリアから米国に亡命したユダヤ系のコルンゴルトは生活のためではあったが、ハリウッドの映画音楽に手を染めた。

ただし、ヴァレーズの「アルカナ」から聞こえてくるのは、大衆迎合の響きでは全くない。自らが生きる大衆消費社会の現代アメリカと真正面から向き合って獲得した響きなのだ。様々な不協和音やノイズを多用し、どんな時代をも音で表現できるとヴァレーズも考えたのだろう。その点でヴァレーズには、アルプスの自然を隅々まで音で描きつくした「アルプス交響曲」の作曲家、R・シュトラウスに通底するものがある。もっとも、ヴァレーズのほうが音の素材を選ぶ自由度がはるかに大きい。欧州産の作曲の前衛手法「十二音技法」に捕らわれることもない。米国の自由な環境の中でヴァレーズ独自の前衛音楽が育まれたといえる。それを思い知らせてくれるメッツマッハーのモダンな解釈だった。

最後に演奏されたのはR・シュトラウスの交響詩「死と変容」。ヴァレーズ作品の後だと非常に古風に聞こえる。ハ短調の重々しい序奏は厳格で生真面目。笑える場面がどこにもないのが、1曲目の「ティル=オイレンシュピーゲル」とは異なる。速いテンポの「アレグロ」の展開も古典的で厳格だ。R・シュトラウスの若い頃の交響詩だが、暗くてシリアスな曲調はむしろマーラーを思わせる。途中で極めて官能的でロマンチックな曲調も現れるが、最後はハ長調で静かに平定して終わる。自由な音画を発展させていった「交響詩」の原点はやはり古典的なソナタ形式の単一楽章曲にある、というメッツマッハー一流のブラックユーモアか。

インゴ・メッツマッハー指揮ベルリン・ドイツ交響楽団によるR・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」(原典版)、ヴァレーズ「アメリカ」(初版)を収めたCD(キングインターナショナル)

やることが常識を超えている。それだけに伝統を重んじる歌劇場やオーケストラにあって、煙たがられる面もありそうだ。だが彼の斬新な取り組みは止まらない。新日本フィルを離れても、彼はどこかで、新しい音楽を発見する旅を続けていることだろう。そういえば彼の著書の日本語版(小山田豊訳、春秋社)のタイトルにもあった。「新しい音を恐れるな」(同)と。

(文化部 池上輝彦)

R.シュトラウス : 交響詩 「英雄の生涯」 | ヴァレーズ : アメリカ (Richard Strauss : Ein Heldenleben | Edgard Varese : Ameriques / Ingo Metzmacher | Deutsches Symphonie-Orchester Berlin | Wei Lu) [輸入盤・日本語解説付]

演奏者:ベルリン・ドイツ交響楽団, インゴ・メッツマッハー
販売元:Challenge Records / King International

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ

演奏者:ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
販売元:USMジャパン

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