小田桐リポーター誕生秘話、ついでに番宣も
立川談笑
談志の下での前座修行を終えて二つ目に昇進してまもなく、テレビの話が舞い込みました。きっかけはフジテレビの朝のワイドショー「おはよう!ナイスデイ」。なんと番組中にリポーターを一般公募していたのです。所属する事務所もないフリーの私はここぞとばかりに応募して、何千人だかの応募者の中からなぜか選ばれたのです。番組は低視聴率にあえいでいる時期で、打開策の一環だったのでしょう。全国放送の番組としては非常に珍しい試みです。
このオーディション時に「本名での出演は可能ですか?」との確認がありました。落語家の名前では出演の範囲が限られるというのが理由でした。ひょっとすると、人気の裏番組、日本テレビ「ルックルックこんにちは」で「突撃!隣りの晩ごはん」のヨネスケさん(桂米助師匠)や柳亭楽輔師匠など落語家色が強かったから、違いを出したかったのかもしれません。
落語家の名前で露出できないのは残念ではありましたが、まずは第一歩と割り切ることにしました。何しろその頃は落語家がテレビ出演をする機会は本当に限られていましたから。世間一般では落語そのものの認知度も今と比べ物にならないくらいに低かった時代です。二つ目に昇進したての私はなんとしても食らいつきたかった。
そして、1997年、「小田桐英裕リポーター」が全国放送でデビューしました。
当初は新人アナウンサーと一緒に発声練習をしたり、放送で扱う用語の知識や報道に携わる上での心構えを教わりました。早口言葉では「アンリ・ルネ・ルネルマンの流浪者の群れ」、「おあやや、親にお謝り」だとか。用語では「床屋さん、八百屋さんは理髪店、青果店と言うのが望ましい」、あるいは「ジェットコースター、キャタピラーは一般名詞ではない。商標名だから要注意」などなど。
プロデューサーから「落語家口調を改めて下さいね」と言われたのもこの頃です。当時の私には理解できませんでしたが、話し始めの「えー」とか「んー」などの調子の取り方が落語っぽいぞ、と。ついさっきまで落語の世界にどっぷりつかる前座修行をしていたのに、今度はそれを抜く作業です。本業としての落語の高座も一方ではありますから、言葉遣いはダブルスタンダードの使い分けを身に付けることになりました。
情報番組の制作の場では事件や事故を「発生」と呼びますが、その現場レポート、芸能人の囲み会見と、今の私からは考えられないロケ取材に出たものです。
普段はこんな様子です。朝の生放送が終わると、引き継ぎを経て翌日の曜日班スタッフたちが次の放送に向けて準備を始めます。ロケに出る者、とりあえず出番がないためデスクで待機するリポーター。わりとまったりした雰囲気が一変するのは、アラーム音と共に共同電が鳴り響く時です。「ピーロ、ピロリロリロ。共同電よりニュース速報です。本日午後○時頃……」。それっ!緊急出動です。曜日班のチーフがテキパキと指示を出します。ディレクターは誰、リポーターは誰。別に待機しているカメラマンたち、車両課に連絡を済ませる頃には、もうディレクターとリポーターは風を巻いてデスクから飛び出している。とこんな具合。
私は落語会があるため、そうそう緊急のロケ取材に対応できません。そのため事前にロケスケジュールが確定する企画コーナーの出演が中心になっていきました。その後番組は「情報プレゼンターとくダネ!」と改まって視聴率が劇的に回復する一方、私は真打ち昇進を機に芸名「立川談笑」として出演するようになりました。
バカバカしいような楽しいテーマから、深刻な問題まで。普通に生活をしていたら接することのない世界を垣間見るのは、貴重な体験です。また今を生きる様々な人たちと数多く直に接するのは、大衆芸能である「落語」に携わる立場としても大いに役立っています。
近年では他局の情報番組やバラエティ番組からも声をかけていただけるようになりました。特に、NHKさんを中心に「落語」で呼んでもらえるのが本当に嬉しい。
先日は街歩き番組に出演してきました。美女とともにぶらりと歩いたのは日本橋兜町。東京証券取引所を見学したり老舗のうなぎ店に入ったり。いやあ、楽しかった。放送はこの4月24日(金)。経済専門チャンネル、日経CNBC。……って、番組宣伝だ!
(次回は5月6日更新予定)
<今後の予定>都内での独演会は5月13日、6月13日、7月14日、吉笑(二つ目)、笑二(同)、笑笑(前座)の弟子3人とともに武蔵野公会堂(東京都武蔵野市)で開く一門会は4月24日、5月29日の予定。
立川談笑HP http://www.danshou.jp/
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