「トマトソースとお魚を一緒に食べましょう。ソースはよく煮込んでいるので、うまみが増しています」。3月10日、愛知県東海市の明倫小学校の給食の時間。栄養教諭の下郷加奈子さんが2年生のクラスの生徒たち約25人に呼びかけた。
この日のメニューは「白身魚フライのトマトソースかけ」。栄養士が食品メーカーのカゴメと相談しながら、考案した。東海市とカゴメは2014年4月、協定を結び「トマトde健康プロジェクト」をスタート。それ以来、毎月10日を「トマトの日」と定め、給食にはトマトを使ったメニューを必ず1品入れるようにしている。
取り組みのきっかけとなったのは、厚労省が13年12月に公表した12年分の国民健康・栄養調査結果だ。初めて都道府県別の野菜摂取量が分かり、愛知県は男性(1日あたり243グラム)、女性(240グラム)ともに全国で最下位。厚労省が目標とする摂取量の350グラムを大きく下回る「まさかという数字で衝撃を受けた」(カゴメ名古屋支店営業推進課の斉藤智彦さん)という。
カゴメが衝撃を受けたのも、東海市と提携してトマト普及の取り組みを進めているのも、カゴメが東海市を創業の地とし、愛知県は「お膝元」とも言える存在だからだ。
昨秋には東海市がトマトジュースによる乾杯を推奨する条例を制定したのにあわせ、「トマトジュースの出る蛇口」を贈呈。市内のイベントの際などに、市民にトマトジュースを振る舞えるようにした。東海市健康推進課の担当者は「栄養成分が多いトマトに触れる機会を増やすことは市民の健康作りにつながる」とカゴメとの提携の意義を説明する。
東海市だけではなく、愛知県も対策に乗り出した。まずは野菜不足の現状を知ってもらおうと、「全国ワースト1」を強調した小冊子を作成し、飲食店などに配布。3月上旬には、県内の保健所などで働く栄養士を集めた研修を開催。カゴメの斉藤さんらを招いてパネルディスカッションを開き、県民の野菜摂取の現状を議論した。
15年度は野菜摂取量が少ない背景の調査に重点を置く方針。企業の社食などで、働く世代から、野菜の摂取状況や野菜をあまり食べない理由などを広範に聞き取る計画を立てている。
農林水産省の2013年の生産農業所得統計によると、愛知県の農業生産額は3084億円で全国7位。野菜に限ると、1102億円で5位と存在感はさらに高まる。キャベツやふき、トマトなどの主要な産地として知られている。県健康対策課の課長補佐で管理栄養士の資格を持つ山村浩二さんは「野菜は血圧の上昇を防ぐカリウムを含むなど、健康づくりには大切な食品。野菜不足の原因を把握し、適切な対策につなげたい」と説明する。農業県のプライドをかけた取り組みは、全国から注目を集めそうだ。
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野菜摂取量が全国最下位という驚きの数字に接した愛知県。地理的に近い長野県の6割程度の量しか野菜を食べていないのはなぜなのか。科学的な理由は不明だが、関係者の間ではいくつかの推論が存在しているようだ。
カゴメ名古屋支店の斉藤智彦さんは男女ともに野菜摂取量が1位だった長野県との違いを強調。「長野は山に囲まれており、名物には山菜が多い。一方、愛知は海に接し、畜産も盛んなため、魚や肉を食べる機会が増えている」と分析する。
愛知県健康対策課の山村浩二課長補佐も食文化を背景に挙げる。「手羽先など『ナゴヤメシ』には野菜が少なく、摂取量に影響しているのではないか」と話す。
愛知学院大の酒井映子教授(栄養教育)は「製造業を中心に経済が好調な名古屋圏では外食の機会が多いため、野菜類を摂取する機会が少なくなっている」と分析する。
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カゴメは故・蟹江一太郎氏が東海市北部の荒尾町で1899年、トマトなどの西洋野菜の栽培を始めたのが創業のきっかけとなる。蟹江氏が初めてトマトの苗を植えた畑があった場所には蟹江氏の親族が建てた「とまと記念館」があり、トマト栽培の歴史などを展示。オムライスやナポリタンなどのトマト料理を提供する1階のレストランは、営業日は予約で満席になることが多いという盛況ぶりだ。
さらに、とまと記念館の道路を挟んだ東側の一角では、市の農業センターが温室でトマトなどの西洋野菜を栽培し、市民が気軽に生育の様子を観察できるようにしている。市内にはソースなどをつくる上野工場もある。このように、市民や県民がトマトに触れる機会がたくさんあるにもかかわらず、野菜が食べられていない状況を放置することはできないというわけだ。
ちなみに、カゴメは実質的な本社機能は東京に置いているが、登記上の本社はいまだに名古屋市。決算発表の記者会見も東京証券取引所ではなく名古屋証券取引所で開くなど、創業の地への思いは強い。
(名古屋支社 文、写真 佐藤俊簡)