生誕110年 片岡球子展人間への共感と郷土が育んだ感性、型破りな「日本画」を生む

2015/4/18

北海道生まれの日本画家、片岡球子(1905~2008年)の回顧展「生誕110年 片岡球子展」(日本経済新聞社ほか主催)が5月17日まで東京・竹橋の東京国立近代美術館で開かれている。武将や浮世絵師らの姿を生き生きとよみがえらせた「面構(つらがまえ)」シリーズや華麗な色使いの富士山など代表作約60点の出品。今なお多くのファンに愛される独創的な画風を堪能できる内容だ。

61歳から99歳まで続いた球子のライフワーク「面構」シリーズ。この連作には、見ていて心躍らされるような絵が数多くある。室町時代の3将軍を題材にした「面構 足利尊氏」「面構 足利義満」「面構 足利義政」もそんな作品の一つだろう。顔が黄色やオレンジ、緑に塗られていたり、大きくデフォルメされていたり、将軍たちの姿が実物大に近い大きさでヘタウマ風に描かれている。この作品は球子が足利家の菩提寺である京都の等持院を訪れ、3体の彫像と出合ったことがきっかけで生まれた。

戦前から戦中にかけての一時期、室町幕府を開いた足利尊氏は天皇に弓を引いた「逆賊」とみなされていたという。明治生まれの球子もまた、学校の授業でそう教わった。ところが等持院で木像を拝んだ彼女はまるで違う印象を受ける。

尊氏は悪人面をしているどころか「衣冠束帯をまとったエビス様のようなお顔」。「風格があり、包容力のある腹の太そうな男性」に見えたという。金閣寺の建造で知られる義満は、堂々とした赤ら顔で「生まれながらの将軍」。義政にいたっては「文学的で華しゃで、ほれぼれするような好男子」とベタぼめしている。寺の暗がりで出合った木彫の像に、球子は人間の度量や精神の気高さ、品格を感じ取ったのだ。

球子は面構シリーズのために文献などを調べ上げたが、描く際には自由奔放に想像を膨らませた。中でも敬愛する浮世絵師や戯作者を取り上げた一連の作品はどれも生き生きとしていて躍動感にあふれている。まるで球子が江戸にタイムスリップし、彼らの創作の現場を見てきたかのように。たとえば、浮世絵師の三代豊国が遊女のまなざしにたじろぐ瞬間をとらえた「面構 国貞改め三代豊国」。懐紙をくわえた女の目つきは、絵師の視線をはね返さんばかりに鋭く力強い。画家とモデルという関係がはらむ緊張感を視線のドラマに仕立てた1枚とも見えてはこないだろうか。

「面構 浮世絵師歌川国芳と浮世絵研究家鈴木重三先生」は幕末の絵師である国芳と現代の研究者が時空を超えて対面する作品だ。バックに描かれているのは国芳の風俗画「七浦大漁繁昌之図」。捕鯨船に囲まれた巨大なクジラが激しく体をくねらせ、小魚とともに潮を吹き上げる様子を女や子供が岸辺から見守っている。研究者でもありコレクターでもあった鈴木の元をたびたび訪れ、浮世絵を学んでいた球子は、ある時、彼が所蔵するこの絵を見せられた。粋な着物姿の江戸っ子、国芳が絵の構想を練るシーンが思い浮かび、感謝の気持ちを込めて鈴木の姿を描き入れたのかもしれない。1頭捕れば7つもの浦がうるおうと言われた捕鯨のクライマックスを画中の人々とともに眺めている気持ちになる楽しい作品だ。

球子は江戸の絵師たちを「庶民相手に精いっぱい描き、生きた人、なにものにも束縛されず、自由であって、時の権力にも屈せず、生命を張って絵を描きつづけた」と表現したことがある。そんな彼らは「神さまといえる存在」だったとも。ライフワークと決めた「面構」シリーズを続けることに、迷いがなかったわけではないだろう。当時の日本の画壇は抽象画全盛の時代であり、日本画にもその影響は及んだ。伝統ある「歴史画」を描く日本画家は院展でも少なくなっていたのである。ところが球子は「勇気をふるってこの仕事に全力を注ぎ」、血の通った肖像画の数々を生む。人間に対するあくなき関心と共感は、30年間小学校教諭として子供たちを指導し、その後も美大で多くの後進を育てたこととも無関係ではないように思われる。

球子の絵のファンでもあるアイルランド文学者の栩木伸明氏は「片岡球子は女であり北海道人であったからこそ、伝統的な日本画に義理立てせずに新しい絵画をうちたてることができた」と見る。こまごましたケチ臭い絵などは描かず、「北海道の大地のような、でっかい、人が私の絵を見たら息が詰まるというような、そういう迫力の絵を描きたい」という自身の言葉通り、郷土で養われた感性が時流に流されない型破りなスタイルを確立させたとも言えるだろう。それは、20世紀初頭のパリでモジリアーニやピカソ、ブランクーシが「よそ者」として頭角を現したこととも似ていると栩木氏は指摘する。

アクの強い独特の画風が「ゲテモノ」と評され、若いころは展覧会に落選続きだった球子を励ましたのは、典雅な絵で知られる日本画家、小林古径だった。

「そのゲテモノを捨ててはいけない。手法も考え方もそのままでよろしいから、自分のやりたい方法で、自分の考える通りに、どこまでも描いてゆきなさい」。尊敬する先輩画家の言葉を胸に、球子は103歳で亡くなるまで絵の道を突き進んだ。

6月12日~7月26日、名古屋市の愛知県美術館に巡回。

(編集委員 窪田直子)

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