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百年仕込みのモーツァルト「伝説の録音」 クラシック名盤「音」故知新(3)

2015/5/2

 音楽ソフトの主流が配信ダウンロードに移りつつある中、クラシックの分野では依然、パッケージソフトの名盤をこつこつ集め、繰り返し聴くファンが多い。ここ数年、往年のアナログ録音がDSD(ダイレクト・ストリーム・デジタル)など高品位のデジタル処理や、SACD(スーパーオーディオCD)をはじめとする次世代規格のディスクで見違えるように鮮明な音質でよみがえる例が目立つ。時の流れの底に沈んでいた名演がこつぜんと姿を現し、演奏家像全体の再評価も始まるなど、おもしろい展開だ。

 1915年から45年までの30年間、SP盤にとられたモーツァルトの名演をDSD方式で復刻し、CD36枚と書籍3巻の全集に仕立てた「モーツァルト『伝説の録音』」の販売が始まった。92年に「磯野家の謎サザエさんに隠された69の謎」でベストセラーを放った中堅出版社、飛鳥新社が創立35周年の記念に企画した。

飛鳥新社の「モーツァルト『伝説の録音』」全3巻は凝った装丁の豪華本仕様

■編集と復刻、2人のベテランが精魂を注ぐ

 制作の指揮をとるのはレコード復刻や真空管式アンプ設計のスペシャリストである新忠篤氏(1939年生まれ)、小学館時代に「モーツァルト全集」「バッハ全集」「武満徹全集」などのCD&書籍の大作を手がけた編集者の大原哲夫氏(47年生まれ)というベテランのコンビ。世界初CD化や日本初紹介の音源も交え、演奏芸術の側面からの20世紀の貴重な証言を後世に伝えたいと意気込む。

 第1巻「名ヴァイオリニストと弦楽四重奏団」は発売済み、第2巻「名ピアニストたち」は今年5月、第3巻「名指揮者と器楽奏者・歌手」は同11月に刊行を予定している。それぞれ12枚のディスクと200~300ページの書籍をA5判の美しいケースに収め、1巻当たり25,000円で販売する豪華版だ。書籍には大原、英国の音楽評論家タリー・ポッター両氏による演奏家像、解釈分析の詳細な分析のほか、世界的ピアニストの内田光子氏と大原氏の長大な対談、詩人の谷川俊太郎氏、モーツァルト研究で知られる音楽学者の海老沢敏氏らの書き下ろしエッセーも含まれ、演奏の魅力、を多面的に解き明かしていく。

最も古い1906年録音の演奏者、バイオリンのジュール・ブーシュリ(1877~1962年)

 ヴァイオリニストと弦楽四重奏団の巻に登場する演奏家だけをみてもジャック・ティボー、フリッツ・クライスラー、ヨーゼフ・シゲティ、ブロニスラフ・フーベルマン、レナー弦楽四重奏団、カペー弦楽四重奏団ら戦前から日本に知られた大家だけでなく、1906年の最も古い録音を担うジュール・ブーシュリ、20世紀に発見されたシューマンの「ヴァイオリン協奏曲」の英国初演者であるイェリー・ダラニー、日本で数奇な生涯を終えたシモン・ゴールトベルクら通好みの顔ぶれも丹念にフォローしている。

■針音を忘れさせる「戦火をくぐり抜けた音」の数々

 新氏は電気的フィルターでSP盤特有の「シャー」という針音を取り除くと「肝心の音楽がやせ細り、演奏者の音楽性をも台無しにすることがある」との理由から、「あたかもSP盤そのものを聴く」ような再現を目指したという。ヴァイオリニストの個性を聴く観点からは、例えば「ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調『トルコ風』」で6通りの演奏が収められている。「ノイズ混じりに同じ曲を何度も聴いて、飽きないか」との疑問は、ほんの数分で消える。対談の中で内田氏は「自由奔放に弾いているのに、めちゃめちゃにならず、下品にならない」と多くの演奏に共通する特長を挙げ、復活した音の数々を「針音の後ろに隠された人類の遺産」と言い切る。もう一つ、とり直しのきかない一発勝負の緊張だけにとどまらない、一つ一つの演奏にこめられた切実な思い、かけがえの無さが胸を打つ。

編集責任者の大原哲夫氏(左)と、復刻責任者の新忠篤氏(右)

 大原氏は「戦争が名盤を生んだといえば、論理の飛躍があるが」と前置きした上で、20世紀前半の2度にわたる世界大戦とその記憶を巨匠たちの名演の背景にみる。「貧しき者も富めるものも、ともに戦争の傷を負った。音楽家もまた例外ではなく、戦争の苦悩、そして平和の到来は、彼らの演奏にときに陰影を、ときに生きる希望や生命の輝きを与えた」と、大原氏は「音盤に刻まれたモーツァルトの世界遺産」の意義を位置づけている。

 何かにつけ制約が多かった当時、レコード録音は真の巨匠や名手に限られ、制作サイドにも新しい時代を刻む志の高さがあった。それが歴史の波をくぐり抜け、今によみがえる。第1次世界大戦の勃発から100年(2014年)、第2次世界大戦の終結から70年(15年)の節目にふさわしい再現芸術の力作の誕生である。

 (電子編集部 池田卓夫)

『モーツァルト・伝説の録音』 1巻

著者:
出版:飛鳥新社
価格:25,000円(税込み)

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