心に秘めた怒り、子育てに「ありのままで…なんて嘘」
イギリス発祥のナニーサービスを日本社会に導入
怒ったときって、どんな顔になるんだろう。今回のインタビュー会場に駆け足で向かいながら、ふと思いました。
中村紀子さん。経済同友会や『ほほづゑ』という財界人文芸誌の同人としてお付き合いいただいています。キラキラと目を輝かせて満面にほほ笑みをたたえた中村さんが会に加わると、いつも雰囲気がパッと明るくなります。そのようなオーラを発する中村さんなので、怒った顔がなかなかイメージできないのです。
でもなぜか、「怒」を内面に持っている方に違いないという確信があり、インタビューをお願いしました。いろんな場面で、物事に動じないエッジが利いたご発言をお伺いしていますので。
共働きの皆さんの中には、中村さんが創業されたポピンズが提供する保育所など、子育て支援サービスを利用されている方も多いと思います。女性の育児と仕事の両立を応援するために、イギリスで発祥した「ナニー」という「教育+ベビーシッター」サービスを1987年に日本社会に導入。当時は今以上に保育所が十分に整備されておらず、子どもを預ける時間の延長ができないなど、働くお母さんにとっては逆風の時代でした。
ご自身がワーキング・マザーとして体験した、支援に乏しい環境に対する「怒」。そして、横並びが常識であり、株式会社など新規参入者が保育所をつくることを規制する「岩盤」との戦いを長年繰り返されるなかでの「怒」。これらが現在の中村さんの原動力ではないかと想定し、エレガントな社長室にお邪魔してお話を伺いました。
「どうしようかな。今まで、誰にも話したことのないことを話しちゃおうかな」と中村さんが口火を切ります。
「怒」というキーワードで中村さんのスイッチが入ったのでしょうか。やや想定外の話の展開を感じて、ぜひぜひ、とソファに座った私の体も前のめりになってしまいました。
新聞代が払えず、子どもと布団をかぶって居留守をした日
1000人の応募者から選ばれた3人のうちの1人としてテレビ朝日のアナウンサーの仕事を1973年に始められて、3年目にご結婚。翌年には女の子の誕生に恵まれます。
しかし、その幸せは冷たい突風に吹き飛ばされます。夫が設立した会社が倒産。住んでいたマンションまで差し押さえられてしまったのです。狭い住まいへ引っ越し、新聞配達が代金回収に訪れると、お子さんと一緒に布団をかぶって、「シー」と静かに配達員が去るまで隠れていたと言います。
「1700円だったの。今でも覚えてるわ」と明るい表情で話してくれる中村さんの目がやや遠くなりました。「それからね、子どもを乗せたかったけど、買えなかったバギー。これが1万3800円。この値段も覚えてるの」と笑いながらも、当時の心情は今でも忘れることがないようです。
生活のために番組契約で仕事に復帰。自分が選んだ男性だからと支えた夫は、再び会社を興します。ところが、また、この会社が倒産。既に立ち上げていたポピンズを差し押さえから守るために、中村さんと夫はペーパー上の離婚をします。
しかし、家族として一緒に生活し続けていた、とある正月。娘さんが熱を出しているのにもかかわらず、仕事だと言ってサッと出張に出かけてしまった夫。そして、その後になって発覚した夫の裏切り。「さすがに、プッチンと切れたわ」と心での離婚が成立したと言います。
お若いころから女子アナという華麗な生活を送られていたと思っていたので、ご自身から過去の実相を伺って驚きを隠せませんでした。
「でもね、私は当時から決めていたの。泣きたいと思っているときでも、私は絶対に泣き顔を見せない。怒っているときでも、絶対に怒った顔を見せない。自分で自分を演出するの」(中村さん)
なるほど。「怒」を原動力とする中村パワーの秘訣は、ここにありそうです。
「演出」とは本当の気持ちを「隠す」ことではない
「それにね、たくさんの『ありがとう』があったから、乗り越えられたの」とも指摘されます。確かに、演出する役者にとって観客からの拍手は、何よりのモチベーションにつながるのでしょう。
女子アナという「見せる仕事」を経験したからこそ「演出」という才能が芽生えたのかもしれません。しかし、中村さんがおっしゃる「演出」とは、本当の気持ちを「隠す」ということではない。もっと深い次元の心構えであると感じました。
例えば、夫婦関係。結構、感情がむき出しになって衝突する場面もあるかもしれません。特に子育てに関しては対立が少なくありません。それぞれが育ってきた環境、価値観、そして仕事の事情が異なりますから。
とはいえ、まるで「仮面夫婦」のように本当の気持ちを隠して、何もコトが起きていないように生活することが良い関係を導くとは思えません。
一方、演出とは、内面にある心情の表現です。仮面をかぶって本性を隠すことが演出ではないのです。才能がある役者は、自身の内心に秘めている思いを上手に表現する演出によって、観客に感動を与えます。そして、感動は人を動かします。
暗くて寒い逆境においても、心の中の温かい明かりによる演出で世の中を温めて、明るくするスイッチを入れることができる。演出とは夫婦関係だけではなく、仕事の関係においても大事な心構えである。そんなことを中村さんとのお話で気づかされました。
「私の幸せは『成功』ではない。学び続けることができる今に感謝」
「私って幸せでしょ」と公然の事実のように話を続ける中村さん。普通の日本人であれば、いかに自分が大変で不幸な状態であるかを嘆くことが、自らの存在感を示すものだと思いがち。しかし、中村さんは明らかに違います。
「そうですね。その幸せの秘訣とは何でしょう?」とお伺いしたところ、「それは、学び続けること。そして、学ぶためにはホンモノと接する必要があるの」というお答えが戻ってきました。
成功することが幸せで、失敗することが不幸と思いがちですが、実はそうではない。学びを続けることが幸で、言い訳などをして学びをやめたことが不幸だという考えです。確かに「時間が無い」「意味が無い」などと言い訳して学ぶことに消極的な姿勢では幸せをつかめるとは思えません。
そして、その「学ぶ」という姿勢を中村さんに教えたのは、官僚であったお父様。学ぶために最も必要であるホンモノの存在。それは親からの愛情ではないかと、中村さんのお話を伺いながら感じました。子どものころの中村さんを想像すると、かなりのオテンバだったと想像します。子どもの個性を尊重しつつ注がれる愛情は、人格を育成するうえで大切な宝物となったはずです。
ところが、国が決めた条例で画一化された日本の保育の常識は、子どもの個性を尊重する学びという視点を取り込むことに否定的でした。でも、中村さんは国が認めてくれなくても、できる範囲から「エデュケア」、つまり人間教育のエデュケーションと保育のケアの両面を提供するサービスに取り掛かりました。
クリックすれば即時に反応が返ってくる学習に、ホンモノの学びは無い
子どもが自分の個性を生かして、自分の人生における運転席に座る主体性を養うために、中村さんは「過程や努力を褒めるべきだ」と指摘されます。つまり、良い成績を取れたのは「偉いねぇ」や「良い子ねぇ」と半ば誰かに褒められることを目的にした学びの結果ではなく、向学心や好奇心を持って自ら学んだ成果であるということを実感させることが大事なのです。
また、「答えを教えることではなく、答えを出す方策や探す力を導くことが大事である」という中村さんのお考えにも私は賛同します。特に、全体の底上げがあった高度成長時代と異なり、現在は多様性が重要です。つまり、正しい答えではなく、正しい問いかけが大事な時代になったのです。
ところが、今の日本の教育ではいまだ「正しい答え」を出した子どもに"受験の成功者"というラベルが貼られる傾向があると感じます。これは時代遅れの学びであると私は危惧します。
一方、現在の子どもたちの多くが育っている生活環境は"オンデマンド環境"です。しかし、クリックすれば、即時に反応(答え)が返ってくることがホンモノの学びにつながるのでしょうか。親の「正しい問いかけ」も試される時代になりました。
どの時代でも、親は子どもへ「今日よりも、よい明日」を期待しています。私自身も3人の息子たちが、中村さんがおっしゃるように「自分の好きなことを見つける。そして、始めたことを最後まで成し遂げられる」幸せな人生を送られることを切に願っています。でも、いつも彼らの目に映っているのは「怒」っている親の姿です。
親は「怒」を内面に持ちながら、「演出」に努めて、子どもたちにホンモノの「学び」を導く…。言うはやすく行うは難し、ですね。ホントに。
でも、「ありの~ままで~♪、なんてウソよ」という中村さんのご指摘は、その通りかもしれません。親の学びも最後まで続くのです。
コモンズ投信会長。国際関係の財団法人から米国でMBAを得て金融業界へ転身。外資系金融機関で日本国債や為替オプションのディーリング、株式デリバティブのセールズ業務に携わり、米大手ヘッジファンドの日本代表を務める。2001年に独立。2007年にコモンズ(株)を設立し、2008年から現職。近著に『渋沢栄一 愛と勇気と資本主義』『日本再起動』『運用のプロが教える草食系投資』などがある。
[日経DUAL 2015年2月20日付の記事を基に再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。
関連企業・業界