ナショジオ写真家が見た植村直己「北極点単独行」

2015/3/29
ナショナルジオグラフィック日本版

1978年、冒険家の植村直己が北極点単独行に挑戦し、同年4月29日、目標の地に到達した。『ナショナル ジオグラフィック』誌はこの偉業を1978年9月号で特集した。取材に携わったナショジオの若き写真家アイラ・ブロックが、人生を変えた植村との日々を語る。

初めて体験する北極の寒さに、私は凍えた。

1978年2月9日、2度目となるナショナル ジオグラフィック誌の取材のため、私は飛行機を乗り継いで、カナダ北部のレゾリュート・ベイ空港に降り立った。この地で私が追うのは、北極点への単独行を計画していた植村直己だ。成功すれば、北極点に単独で到達した最初の人間になる。北米大陸の北端から、氷に覆われた北極海を横切り、北極点に至るおよそ800キロの旅。その撮影を任されたことは誇らしかったが、責任の重さに少し怖い気もしていた。

私はニューヨーク市出身の27歳の写真家で、直己は37歳の日本のヒーローだった。世界初の五大陸最高峰登頂や犬ぞりでの北極圏1万2000キロ走破など、輝かしい冒険をいくつも成し遂げていた。しかし、本人に会ってまず驚いたのは、超人的ともいえるこのエクスプローラーが思いのほか小柄だったことだ。身長165センチの私とあまり変わらない。私は編集部から預かってきたカメラ機材やフィルムを渡し、直己が愛用していたニコンF2の操作について、いくつかアドバイスをした。彼はそれをとても喜んでくれた。

地球の頂点で、植村直己は幸せそうに笑っていた

1978年3月5日、直己と17頭のそり犬、総重量400キロほどの装備、それに、私たち関係者を乗せた飛行機がアラートを飛び立ち、120キロほど北西にあるコロンビア岬の海岸に着陸した。北緯83度06分、西経71度02分、ここから直己の冒険が始まる。

それはまさに心躍る瞬間だった。前人未到の冒険に旅立つ直己の晴れ姿をしっかり記録したいと心がはやっていたのだろう。ぬれた手袋を乾かすのも忘れて、出発準備をする直己を撮ろうと、待機用のテントを飛び出したのだ。たちまち手袋は凍り、手の指が凍傷を負った。まったく、初心者が犯すようなミスだ。痛みと水ぶくれは1週間ほどで治まったものの、37年がたった今でも、そのとき凍傷を負った指が冷えるたびにしびれる。この先も消えることのない、直己を追った日々の名残だ。

4月29日、直己はついに北極点にたどり着いた。単独行としては、世界初の快挙だ。翌日、彼に会うため、私たちはツインオッター機で向かった。地球の頂点で、直己は幸せそうに笑っていた。あんなに幸せそうな人間を、私は見たことがない。犬たちもうれしそうだ。

北極で直己と過ごした日々は、私の人生を変えるほど、強烈で大きな意味をもつものとなった。米国の大都会で生まれ育った若い写真家は、日本が生んだ偉大なエクスプローラーから、北極という過酷な環境で生き抜く術を教わった。しかし、生きていくうえでもっと大切なことも、直己は教えてくれた。それは、心は肉体よりも強いということだ。何かをやり遂げようとするとき、自分の内なる強さを信じて、生かすことができれば、必ず達成できる。37年前、直己はそのことを、身をもって教えてくれた。

1984年にアラスカのマッキンリー山で行方不明になる瞬間まで、直己は冒険家として世界を探求し続けた。そして私は、直己から教わった強さと優しさを心に刻んで、写真家として世界を探求し続けている。

ナショナル ジオグラフィック協会の旗を手に、北極点で記念撮影をする植村とブロック

(文 アイラ・ブロック、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2015年4月号の記事を基に再構成]

[参考] ナショナル ジオグラフィック4月号は、日本版20周年特別企画「日本のエクスプローラー」を掲載。植村直己の知られざる物語をはじめ、関野吉晴、恐竜博士の小林快次も登場する大特集をお届けします。ほかに「ハッブル望遠鏡 傑作画像」「リンカーン」などを紹介。

NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2015年 4月号 [雑誌]

編集:ナショナル ジオグラフィック
出版:日経ナショナルジオグラフィック社
価格:1,070円(税込み)

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