胴上げ・手締め・万歳三唱… 日本人の3月民俗学
歴史豆知識
3月は「巣立ち」の季節だ。ビジネスマンにとっては異動の時期で、毎日のように送別会に付き合う読者もおられるだろう。学生諸君も忙しい。合格発表に始まり、追い出しコンパや卒業式と続いている。この時期にとりわけよく目にする胴上げや万歳三唱は、日本人にどんな意味を持っているのか。民俗学の新谷尚紀・国学院大学教授に謎解きしてもらった。
【胴上げは日本独自の風習】新谷教授は「古くから胴上げの習慣が続く地域はほとんど日本だけ」と断言する。プロ野球では優勝監督が胴上げされる意味がのみ込めなかった外国人選手もいたという。海外のプロサッカーなどで優勝監督が胴上げされるようになったのは21世紀に入ってからで、日本チームや日本人選手の活躍も影響していそうだ。
江戸後期の大名である平戸藩主・松浦静山が著した「甲子夜話」には江戸城での胴上げの習慣が記されている。節分の日には城中「御坐間(ござのま)」で豆をまく「年男」の役を老中が務める。まき終わると女性たちが御祝儀として胴上げした。さらに大奥でも、通行手形などを管理する「御留守居役(おるすいやく)」が豆をまいた後、多くの老女衆に胴上げされたという。
胴上げの習慣は武士階級だけではなかった。やはり江戸期に出版された井原西鶴の「好色一代男」にも胴上げのシーンが出てくる。さらに「北陸地方などでも厄年の人間や新しく婿になった男を胴上げする風習が高度成長期のころまでは残っていた」(新谷教授)という。さまざまな地域で見られたわけだ。
新谷教授は胴上げを「第一義的には本人を祓(はら)い清めるのが狙い」と解説する。昔の豆まきの役目は追い払う鬼と対決しなければならない、いわば「汚れ役」なため、厄年の男が選ばれたりしていた。その人物を高く投げ上げ、体が空中を舞うことによってそれまで心身にまとわりついていた厄災を祓い捨て去る意味があるのだという。
合格した学生、栄転するビジネスマンは、特別な祝福や喜びに包まれた「ある意味で異常な状態の人物」(新谷教授)と捉えることができる。これも空中に投げ上げることで祓い清められ、通常の状態に戻す狙いがあるとしている。「その延長線上に第二義的な意味で祝福の意味、新婚者らを新たに仲間に迎え入れる意味が加えられてきた」(新谷教授)
【三本締めはブラック社会の風習】ところで送別会などで終了の儀式のように最後に皆が手を叩く「三本締め」や「一本締め」。「数の吉凶を重要視するのは中国の陰陽道の影響」と新谷教授は言う。日本では伊勢神宮の正式な作法「八度拝」、出雲大社の四拍手、一般の神社の二拍手のように偶数が基本であるが、陰陽道では奇数が「吉」、偶数が「凶」にあたる。陰陽道の思想が日本社会に溶け込んだ身近なケースが子どもの「七五三」だ。
「イヨーッ」と掛け声とともに「シャンシャンシャン」と手をたたく「三本締め」を新谷教授は「今で言うヤミ社会やブラック企業にも陰陽思想が根付いた」とみる。ヤミ商売や人間関係の難しいトラブルを有力者に調整してもらって双方文句なし、ということでの手締めが本来の意味だという。元は中国の思想が影響しているけれども、一つの流れを締めくくることを皆で確認し合う儀式として日本独自の儀式として浸透した。新谷教授は「参加者全員の手を打つタイミングがそろわなければ意味がない。だから短い一本締めが好まれてきている理由だ」としている。
【「万歳三唱」の歴史は明治から?】新谷教授は「君主をたたえる『万歳』は古代中国から伝わってきていたが、3回唱える習慣は中世まではなかったようだ」としている。呼び方も「バンザイ」ではなく「ヨロズヨ」「マンザイ」などと呼んでいたという。
近代に入って1889年(明治22年)ころから国民的な慶賀の言葉として定着したようだ。同年の大日本帝国憲法発布式の際に明治天皇に対する祝福の意味で万歳の呼び方を「バンザイ」に決めた。この時の様子を当時高校生だった若槻礼次郎首相(1866~1949年)が自伝に書き残している。
最初は二重橋に明治天皇の馬車が出て来たときに同級生らと「万歳、万歳、万々歳」と高唱する予定だったのが最初の一声で馬が驚いて棒立ちになってしまったという。2回目の万歳は小声になり、最後の万々歳は発声せずに終わったとしている。著書「明治・大正・昭和政界秘史」で若槻首相は「三声目の『万々歳』はあの時以来、闇から闇へ葬られた次第である」と締めくくっている。古くて神聖な行為と思われたものも意外に新しく俗っぽい。しかし新谷教授は「新しいから敬意を表さなくてよいわけではない。なぜそうした縁起や習慣が生まれたのかを考えるのが民俗学の立場だ」としている。(電子整理部 松本治人)
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。