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雇用機会均等法の第1世代が語る、私が選んだ働き方

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NIKKEI STYLE

日経DUAL
130万部のベストセラー『「捨てる!」技術』著者の辰巳渚さん(高2男子、小5女子のママ)、授乳服の製作など、お産・おっぱいをサポートするモーハウス代表の光畑由佳さん(大学生から中学生までの3児のママ)。今回の対談は、2014年5月に「モーハウス青山ショップ」の改装を辰巳さんにお願いしたのがきっかけ。「モーハウス青山ショップ」は、「授乳服があれば子育てはもっと楽しめる」をコンセプトに、育児に悩んだお母さん達の拠り所となっています。働く母親として多くの共通項を持っているお二人に、ご自身のキャリア・出産・育児や、仕事と育児の両立について、本音で語ってもらいました。テーマは「20代のとき、どんなキャリア観を持っていた?」「出産・育児 つらかった! 楽しかった!」です。

80年代最先端企業のパルコ。ママ社員はほとんどおらず……

―― お二人は1歳違いと年が近く、お茶の水女子大学出身という共通項もお持ちです。さらに、パルコに新卒入社というご経歴まで一緒なんですね。

辰巳さん(以下、辰巳) 私はパルコの出版部で、自分で企画を立てて取材して書くという仕事をしていました。私達は1986年に施行された男女雇用機会均等法の第1世代。80年代のパルコはまさに若者文化の中心だったし、パルコに就職するような人は女性でも「バリバリ働く気がある人でしょ」という感じでしたね。

光畑さん(以下、光畑) 私がいたのは、後にプロモーション部と呼ばれる美術企画の部署で、出版との絡みも多かったですね。出版は男性のほうが多かったけど、美術企画局は7~8割が女性でした。

―― そのころ、職場の女性達にとって「結婚・出産」と「仕事」との両立イメージはどんな感じだったのですか?

光畑 女性が男性と同等に働ける先進的な職場と言われていたパルコで、私はさらに女性の多い部署にいました。それでも、子育てしながら働いている人はほとんどいませんでしたね。結婚している人が1人いたくらいかな。

辰巳 私のところは、女性は29歳くらいの人が最高齢で、みんな独身でしたね。

光畑 そういうなかで自分のキャリアプランを考えて、「この働き方で結婚や出産は無理だよね」と感じました。

仕事はすごくやりがいがあるけれど、子どもを産むまでが私の仕事人生だと割り切って、その間は思いっきり仕事をしようと思っていました。とはいえ、お茶大もパルコも女性が働くのが当たり前というカルチャーをつくってきた場所。だから、「先輩が切り開いてきてくれた道を閉ざさないためにも、仕事を続けるのは義務」という気持ちもあったかな。

辰巳 そうだったんだ。私は、仕事を続けるとか、続けないとかはあんまり考えなかった。それ以前に仕事は「続けて当たり前」だったから。もちろん、結婚もする、子どもも欲しい。どれかのために何かを諦めるという発想は全く無くて……。まあ、後に子育てしながら働く過酷さをイヤというほど体験するわけだけど、当時はそんなこと想像すらできませんでしたね。この先、転職はするだろうけど、仕事を辞める日が来るというのは全然考えなかった。

光畑 それは私もそうかも。「この形(働き方)ではないな」と思っていただけで、「何か別の答えがあるはず」という確信はありましたね。

29歳で結婚。「35歳になる前に産みたい」とずっと考えていた

―― そういった将来設計について、当時、お二人で話したことはありますか?

辰巳 パルコ時代は顔を合わせれば話すけど、結婚観とかそういうことを話したことはなかったよね。

光畑 結婚観とか話す雰囲気の会社じゃなかった。だいたいサブカルか仕事か遊びの話。キャリアプランというと、転職の話だけだったよね。

辰巳 転職ありきで、職業設計している感じはあったよね。実は私はもともとお堅い書籍中心の老舗出版社に入りたかったんです。それでパルコを2年で辞めて、憧れの出版社に転職したんです。

光畑 出版は、それくらいで辞める人多かったよね。

辰巳 私は「やったー」という気分で転職したら、そこの会社が全然合わなくて、3年で辞めちゃうことに。実は、転職したときに恋人に振られていたうえに、結局、仕事も恋もうまくいかなくなっちゃった。会社を辞めたときは、ストレスで体調を崩してしまい、しばらく休養してからフリーとして仕事を始めるようになりました。

―― 辰巳さんは、その「フリー時代」に結婚と出産を経験されたんですよね。

辰巳 そうなんです。29歳のときに結婚。当時は相手も失業中で、失業者同士の結婚でした(苦笑)。ものすごく貧乏で、月2万5000円の家賃もどっちがどう払うなんて話をいつもしていましたね。私もまだフルで働ける自信は無かったし。

でも、結婚してから、いつなら子どもを産めるかというのは、いつも考えていましたね。私は子どもがほしかったし、子どもを産むにはお金が必要だし。30過ぎると「そろそろ産まなきゃ35歳超えちゃう」って焦りが出てきた。

光畑 産むなら、今しかないって?

辰巳 そう。とにかく二人の収入を合わせてもカツカツの生活だったから、出産費用をどう作ろうか苦労したのを今でも覚えています。まさに綱渡りで、出産前後の数カ月は私が働かなくても大丈夫なようにお金をためて、仕事の予定も組んで。その辺はフリーだから調整しやすかったところもありましたね。

結婚しても続けられる働き方を考えて転職 自由の利くフリーの立場で子育て

―― 出産後の働き方については、どんなイメージをお持ちでしたか?

辰巳 行き当たりばったりで、あまり考えていなかったかも。当時の私にとっては、出産後より「産むこと」そのもののハードルが高かったから。「取りあえず産んでしまえば何とかなる」としか思っていなかった。

すぐに仕事に復帰できるように保育園の入園準備、いわゆる保活だけはしてました。今ほど深刻ではないにせよ、当時も保育園に入るのは簡単ではありませんでしたから。妊娠・出産も保育園入園をにらんで、0歳児の4月入園を狙って計画的に7月に産んだんです。

光畑 私はもう少し早くて結婚が27歳のころ。第1子の長女を産んだのは29歳でした。そのときはもうパルコを辞めて、フリーの編集者や建築コーディネーターの仕事をしていました。そもそも、パルコで仕事しながら子育てするのは難しいというのは分かっていました。じゃあ、どうすればいいのかと考えたときに、もっと締め切りがゆったりした仕事がいいんじゃないかと。ちょうどそのタイミングで、興味のあった建築系の出版社があってそこに転職したんです。

―― それは結婚してからですか?

光畑 いえいえ、まだ独身のとき。でも、結婚してから働くなら、締め切りのタイトな雑誌じゃなくて、スケジュールに予定が組み込みやすい書籍編集がいいなと。ノウハウを身に付けたら、将来的にフリーになることもできるし、とか考えていました。

辰巳 素晴らしい。計画的だったのね。

働くお母さんしか見たことがなかったから、専業主婦を見たときは驚きだった

光畑 結局、転職1年後には結婚。同時に夫の実家がある茨城県に移り住むことになって。私はフリーの編集者として働きながら、自営業の夫の仕事の手伝いをしたり、建築のコーディネートを始めたりしていました。そのころの私は建築家に依頼して家を建てるというスタイルを広めるのに一所懸命でね。手始めに、茨城の自宅を後に世界的に知られるようになる建築家に依頼して建てちゃったくらいでした。

そもそも私が結婚したり子どもができたりしても仕事を続ける方法はあると確信していたのは、生まれ育った環境が大きいと思う。商店街と大きな病院がある町で生まれ育ったんですが、周りには働くお母さんしかいなかったんです。たいていの子の母親は、お店で働いているか看護師さん。

だから、小学生のとき、専業主婦のお母さんに初めて会った日の驚きはいまだに覚えています。遊びに行ったらお菓子を作って出迎えてくれて、「世の中には、そんなお母さんがいるんだ」と。うちは自営業だったので、たいてい親は店にいて、私はおばあちゃんに育てられたようなものだったから。

辰巳 私は反対に専業主婦の母に「私みたいにならないで」と言われて育ったほう。仕事や恋愛結婚がしたかったけどできなかった、子どもは産むのが当たり前だから何も考えずに産んだ……、そんな自分のようにはなってほしくない、と。でも、私は専業主婦の母親しか知らなくて、身近に働く母親のロールモデルがいなかったんです。そういうなかで、アンチ専業主婦というんじゃなくて、母親のような生き方はしたくないという思いだけが強くなっていったんですね。

だいたい親戚もみんな公務員や会社のサラリーマンばかりだったから、フリーで仕事しているなんていうだけで、白い目で見られちゃうような環境だった。常に自分の目指すべきスタイルを手探りで開拓している感じでしたね。

光畑 大変だったんだ…。

辰巳 しかも、就いた仕事がフリーなだけじゃなくて、マスコミ。ますます異端児。

光畑 私達が生まれた時代は家族計画や管理出産がかなり浸透していて、近所はみんな3歳違いの二人きょうだいという構成の家族ばかり。だから、商店街で育ってはいるんだけど、いろんな世代の人達の中で育ったという感じではなくて……。子どものころ、赤ちゃんを抱っこしたこともなかった。そんな自分が「子どもを産む」っていうのは、なかなかイメージできなかったですね。

―― 実際に子どもが産まれてみるとどんな葛藤がありましたか?

光畑 そこは、私はうまく立ち回っていて、子育てで苦労したという記憶が無いんです。うちの子達はほぼ幼稚園育ちですが、フリーだから仕事の調整が利くうえ、当時の夫の両親にお願いすることもできた。一日東京で打ち合わせというときは、無認可の託児所に預けたりもしましたね。

今でこそ「子連れ出勤」を提唱していますが、そのころの私は仕事の場に自分の子どもの気配を持ち込むのにすごく抵抗もあったし、打ち合わせ中に預けている自分の子どもの声が2階から聞こえてくるのをカッコ悪く感じたりしていました。

辰巳 私はね、仕事との両立うんぬん以前に、「子育てがこんなに大変だとは」って愕然としていた。産む選択についてはあんなに必死に考えていたのに、産んでからのことは何の情報も持っていなかったんですね。結果、典型的な産後うつになっちゃった。

「ベビーシッターに子どもを預ける時間」が心のよりどころだった

―― 産後うつに?

辰巳 長男はとにかく泣く子だったんだけど、なんで泣いているかが分からないし、何をしても泣きやまない。母に聞いても、母自身が核家族で「育児書頼りの子育てしかしたことがないから分からない」と言われてしまうし。お医者さんに言われた通りに、きっちり3時間置きにおっぱいあげて、というような、ある種余裕の無い育児しかできませんでしたね。そういうなかで、どうしていいか本当に分からなくて……。それまでは「努力すればできる」という成功体験が根っこにあったんだけど、「なんでこんなにできないの?」って自問自答。子育てが苦しかったですね。

光畑 うん、うん。

辰巳 産後2カ月ほどで復帰したけれど、稼いだ分はすべてベビーシッター代に消えるような状態。まだ仕事量も少なかったから、そんなに稼ぎも無いんだけど。預ける時間は短くても、その時間が無かったら自分の気が狂ってしまいそうな感じだったんです。ベビーシッターに預けて子どもから解放される時間を心のよりどころにしながら、何とか子育てをする。そんな時期がしばらく続きましたね。

当時の夫は「協力的でない」ということではなかったのですが、一昔前の価値観を持つ人でした。夜泣きをしても抱っこはしない、おしっこのオムツ替えはできてもウンチのときは替えられない。そういうタイプで。

光畑 分かる、分かる。見ていてねって言ったら、子どもを見ていてはくれるけど、ソファから落ちても「落ちちゃったよー」っていう感じでしょ? 落ちないように支えるとか、落ちた子どもを抱き上げるとかができないんだよね。

辰巳 そうそう。保育園には6カ月から預けて、それなりにママ友もできたけど、子育ての悩みを打ち明けるような関係ではなかった。親も話が通じないし、夫も最後のところで、私のつらさを分かってくれない。私自身が子育ての不安や悩みを人に話して解決しようと思っていなかった部分もあって、とにかく孤独でしたね。

もちろん子どものことはものすごく愛していたし、大切に育てていましたが、同時に子育てがつらいという呪縛は3歳くらいまでは続きました。

光畑 2人目になると、いい具合に力が抜けるのよね。

辰巳 そうなの。やっぱり子育ての経験値があると無いとの差は大きい。2人目の長女のときは、つらいなんて全然思わなくて。

妊娠中、真っ暗な部屋で絶対安静 社会と隔絶されたトラウマ体験

―― 子育てで苦労は無かったという光畑さんですが、妊娠中にトラウマがあったそうですね。

光畑 長女を助産院で産むつもりが、8カ月のときに血圧が上がって緊急入院。刺激を与えてはいけないということで、カーテンも締め切った真っ暗な部屋で、トイレもオマル、もちろん読書すら禁止という独房のような入院生活を送ることになってしまったんです。

辰巳 絶対安静ってこと?

光畑 まさにそうなんだけど、そんなふうにされたら誰だっておかしくなるでしょ。血圧が高いと退院できないって思うから、血圧を測るのが怖くて眠れなくなっちゃって。もうね、「死んでもいいから血圧が下がってほしい」って思ってたほど。めちゃくちゃでしょ。

辰巳 追い詰められちゃったんだね。

光畑 このときの体験は今も私のベースにあると思う。人は社会から隔絶されると、こんなに簡単におかしくなってしまうんだって。まあ、そんなトラブルがあったりで、結局、分娩台の上で産んだんだけど、産むこと自体は楽しめたかな。出産後、子どもがNICU(新生児集中治療室)に入院したりして客観的に見ると大変なほうだと思うけど、私はあの隔絶体験から解放されて子どもが産めたってことで、それだけでもうものすごくハッピーでした。その後の夜泣きの大変さなんて、何とも思わなかったですね。

―― 光畑さんは陣痛が来ても気が付かなかったとか。

光畑 陣痛が来たときは外泊させてもらっていて、ちょうど親と外食にでかけていたんですが、どうもおなかが痛いな、って。「それも10分とか15分おきに痛いんだよね」なんて話をしていたら、それが陣痛だったの。

私、妊娠中はわざと情報を遮断していたから、妊娠するとどうなるとか、出産ってどういうことが起きるとか、ほとんど知らなかったんですよ。なぜ、そんなことをしたかというと、情報を入れれば入れるほど、本能的に産めないんじゃないかと思っていたから。

もともと私は左脳型で頭でっかちな人間。自然とか本能とか感覚的なことが苦手なんです。だからこそ、情報をシャットアウトすることで自分の感性を研ぎ澄ませたかった。時代的にも「管理されたお産」から、「自然なお産」の姿を取り戻そうというのがトレンドでしたね。

出産した数少ないパルコの同期も、みんな助産院で出産してました。まあ、私の場合、絶対安静になってしまって、産後に必要な最低限の知識を最後に仕込めなかったのは想定外でしたが。

辰巳 私は個人病院で出産したんだけど、本当は助産院とかでもっと自分らしい出産ができたらよかったな、という気持ちはあるんだよね。私の産んだ病院も自然分娩のことを色々考えてくれたりしていたんだけど、結局は分娩台だったり、母子別室だったりしたから、何となく中途半端な感じだったかもしれない。

光畑 当時はインターネットからの情報もなかったし、相当強い思いがないと助産院とか自然分娩というところまでたどり着けなかったよね。まあ、でも、私は想定していた出産スタイルでなかったけど、「お産って楽しい」と思ったし、出産自体はものすごくハッピーでした。

辰巳 それは羨ましい。

光畑 その後の子育てにつらいという印象が無いのは、私が子ども中心の生活をしなかったというのもあるかもしれない。

ちょうど出産と前後して、新しい家が完成。建築家が造ったこだわりの家ということで、かなり個性的だからテレビや雑誌の取材もいっぱい来てね。さらに子どもと家のお披露目を兼ねて、友達も呼んだりしたから、家にはいつも人が来ている状態。そんなふうに、子どもが赤ちゃんのころから、生活のサイクルが子どもより家そのものを中心に回っていたんです。つまり私の仕事が生活の中心だったということ。だから、子育てがつらいという気がしなかったんだと思います。

(ライター 工藤千秋)

[日経DUAL2015年3月4日付の掲載記事を基に再構成]

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