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チョン・ミョンフン指揮東京フィル、マーラー「交響曲第6番《悲劇的》」 古典形式に挑むハンマーのリアリズム

2015/3/21

牛の首にぶら下げるカウベル、ムチなどの打楽器がこれでもかと登場し、無慈悲にもハンマーが激烈に振り下ろされる。グスタフ・マーラー(1860~1911年)の作品の中でも最も戦闘的で悲壮感に満ちた「交響曲第6番イ短調《悲劇的》」をチョン・ミョンフン指揮の東京フィルハーモニー交響楽団が演奏した。4楽章の古典形式という頑丈な城壁の中で、様々な不協和音やノイズをありのままに響かせる演奏。不快な響きも現実として直視するリアリズムの解釈は、現代音楽の状況をも映し出す。

事件を目撃した気分だ。フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を2000年から15年間も務めるなど世界的に活躍する韓国ソウル出身で米国籍の指揮者チョン・ミョンフン。東京フィルの桂冠名誉指揮者でもある彼が指揮棒を振り下ろした時点から、音による異様な事件が始まった。2月25日、サントリーホール(東京・港)での東京フィル定期演奏会のマーラー「交響曲第6番」。軍人を思わせる厳格な指揮ぶりには感傷のひとかけらもない。軍隊式の規律で統制された悲壮な行進曲の始まりだ。

東京の新国立劇場で頻繁にオペラを演奏する東京フィルは劇的表現にたけている。マーラーの第6交響曲は特に合いそうだ。4月からはミハイル・プレトニョフが特別客演指揮者、アンドレア・バッティストーニが首席客演指揮者に就任する。中でも長年の信頼関係からチョンとの相性は良い。世界的バイオリン奏者チョン・キョンファの弟で、ピアニストでもあるチョンは5月3日、新潟県の長岡市立劇場でも東京フィルを弾き振りしてモーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番」などを演奏する。しかし彼が指揮者として得意とするのは何と言ってもマーラーだ。

イ短調という暗い調性の悲劇的な行進曲から始まる第1楽章だが、これほど軍隊調を貫く演奏も珍しい。それでいて、演奏者が規律にがんじがらめかというとそうでもない。一糸乱れぬ進軍の中で、むしろ生き生きと思い切り演奏している。弦楽器奏者がそれぞれ互いに上半身を左右に大きく動かし、仲間同士で楽しみながらアンサンブルをしている風情が見て取れるのだ。そこから過剰なほど扇情的な熱い響きが生まれる。スタイリッシュなのにエモーショナル。そんなアプローチが成功を収めるのは、この交響曲が現代音楽を予見するほどの和声の拡大に挑もうとしているにもかかわらず、曲の構成は徹底して古典形式を堅守しているからだ。

全4楽章のうち、両端楽章は長大ながらいずれも典型的なソナタ形式。第2楽章を小ロンド形式のスケルツォとし、第3楽章は3部形式の緩徐楽章と、ベートーベンの時代と同じ古典交響曲の型にはまっている。第1、2、4楽章の基本調性がともにイ短調で、第3楽章が変ホ長調。4度や6度の音程の飛躍が劇的効果を上げるなど、古風ともいえるほどの和声を多用する。これらの楽章形式と調性の並びはベートーベンの「第九(交響曲第9番)」と似ている。第九は第1、2、4楽章がニ短調、第3楽章が変ロ長調。ただし第九が第4楽章の途中でニ長調に明転して合唱まで入って歓喜の火花で終わるのに対し、マーラーの第6交響曲は第4楽章の最後もイ短調の悲痛な叫びで終わる点が決定的に異なる。第九から歓喜の主題や合唱を取り除くとかなり悲劇的な音楽にならないか。それを過剰に実行に移したような交響曲がマーラーの「第六」だ。

特に第1楽章で繰り返される行進曲の末尾では、ティンパニによる運命の主題のリズムが登場する。続くイ長調からイ短調へと暗転する3和音の爆発が、「悲劇的」を表す基本の響きだ。こうした単純ともいえる長短和音を基本としながら、それに雑音めいた様々な音色の打楽器音が絡みつき、弱音器で口を塞いだ金管楽器群がひずんだ不協和音を響かせてまとわりつく。

チョンは曲の流れを妨げそうな不快な不協和音でも思い切り十分に鳴らす。中庸のテンポを厳格に刻んで曲の流れを担保しているからこそ、打楽器のノイズや金管楽器のひずんだ不協和音も隅々まで響き渡らせられるのだ。第1楽章の展開部にはカウベルがガラガラと鳴り、ニーチェ思想に影響を受けたかのようなアルプスの高山の雰囲気を醸し出す緩やかな場面がある。そこでもチョンは緩急や抑揚を強調せず、ロマンチックな気分に溺れることはない。あくまでも冷静なテンポ管理の下で、弦や金管の響きを鋳型の中に十分行き渡らせる指揮ぶりだ。そこから古典形式の鋳型を今にも打ち破りそうなほどに熱い響きが生まれる。

第2楽章「スケルツォ」も同じイ短調の暗い雰囲気のまま進む。チョンの指揮棒にかかると、その暗さはやはりリアルだ。古めかしいドキュメンタリーフィルムを見る気分になる。重みのある3拍子の音楽はワルツ風ではなく、「3拍子の行進曲」といった風情だけに、第1楽章よりも不気味に聞こえる。

第6交響曲が作曲された1903~04年、マーラーはウィーン宮廷歌劇場芸術監督の地位にあり、妻アルマとの間に娘も授かるなど、公私ともに絶頂の時期だった。なのに彼はこの時期にわざわざ不幸を招き込むかのように歌曲集「亡き子をしのぶ歌」を書いた。実際、彼は07年に長女を病気で亡くし、ウィーン宮廷歌劇場も去る。欧州音楽界の頂点に上り詰めたユダヤ人だが、理不尽な政治力によってどんな地位も剥奪されかねない。そんな悲観主義をマーラーは絶えず抱いていたのではないか。当時の欧州も反ユダヤ感情が強かった。マーラーの盟友のドイツ人作曲家リヒャルト・シュトラウスは自分を英雄に見立てて交響詩「英雄の生涯」を作曲したという。第6交響曲はまさにマーラーの「英雄の生涯」だが、R・シュトラウスのそれと比べてはるかに悲劇的で深刻な内容であるのは言うまでもない。

唯一、長調から始まる第3楽章はひとときの安らぎを与えてくれる。チョンはこの第3楽章にとりわけ愛着があるという。厚く安定感のある東京フィルの弦が緩やかな旋律を奏でる。終盤近くにまた登場するカウベルの音は、森の木立から垣間見る放牧された牛の群れのようだ。オーストリア南部のヴェルター湖畔マイアーニヒにはマーラーが第6交響曲を書いた作曲小屋がある。彼が夏休みに家族と過ごした湖畔の別荘から雑木林を10分ほど上ると、小さな作曲小屋が今も残っている。そこに入って湖を見下ろそうとしたことがある。マーラーが作曲に励んだ夏に訪れたせいか、木々は予想以上に生い茂り、湖面のきらめきさえ目に届かなかった。チョンの指揮で聴くと、第3楽章は作曲小屋の周囲の豊かな自然を思い起こさせた。

いよいよ最後の第4楽章だが、再び短調の悲劇的世界に聴き手を引きずり込み、演奏時間も約30分とこれだけで交響曲1曲分に匹敵するほど長い。何度もエンジンをかけ直すかのような不安なハ短調の序奏に続き、第1楽章よりも一段と勇壮な行進曲風のイ短調のテーマが出現する。調性こそ純然たるイ短調だが、様々な不協和音や打音のノイズが絡み付きながら、それでも強い推進力によって音楽を進軍させていく。指揮者によっては旋律線を強調してスマートに流線形にしたくなる楽章だが、チョンはありったけの音響をすべて同時進行でしっかり鳴らす。それが武骨にも雑にもならず、迫真のリアリズム作品に仕上がるところがすごい。

ステージの中央後方にいた女性の打楽器奏者が客席から向かって左側へと移っていく。そこにあるのは何の変哲もない木製の台。やがて彼女が振り上げたのが木製の大きなハンマーだ。餅つきの頑丈な杵(きね)に似ている。チョンが合図を送るとハンマーが力の限り台に振り下ろされ、激烈な鈍い重低音がホール全体に響き渡った。

ハンマーは2度振り下ろされる。そのたびに管弦楽のサウンドは一瞬散り散りになるが、再び進軍ラッパが鳴り響き、理不尽な運命に対して果敢に戦いを挑む。チョンのテンポ管理は厳密を極め、自ら築いた時間の古典的鋳型に流し込む音響は一段と煮えたぎる。ムチがビートを刻む。こうした不屈の闘争心の表現こそ、ある意味でベートーベンをも超える感動をもたらすマーラー音楽の特質だ、と確信させる演奏だった。

マーラーの死後、後輩のシェーンベルクは無調や十二音技法を駆使してさらに西洋音楽の調性の破壊と拡大を進めていく。その際に音楽作品としての存在を担保するために結局頼ったのが古典形式だった。古典形式にのっとって不協和音を鳴らす。ストラビンスキーは和声的にも親しみやすい新古典主義へと回帰する。和声の拡大に果敢に挑みつつも、形式を打ち破ることなく、最後はイ短調の和音で終わるマーラーの第6交響曲。チョンの解釈はマーラー以後の現代音楽の道すじをも聴かせた。

(編集委員 池上輝彦)

マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

演奏者:ショルティ(サー・ゲオルク)
販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック

マーラー:交響曲第6番

演奏者:マゼール(ロリン)
販売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

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