「別れてもまだ…」不倫に悩む20代女子の本音
その日のチョコレートショップは案の定、若い女性客で溢れかえっていた。
「お待たせいたしました。バレンタイン限定の新作も豊富に揃っています。ご注文はお決まりですか?」
金色に光る小箱を指差して、花(29歳・IT・企画)は言う。
「これ、ください」
トリュフが6個並んだギフト用ボックス。それは7年前の同じ時期、大好きな彼に初めて渡した、永遠に廃れることのない定番のチョコレート。
忘れられない人がいる。
「何も状況を変えられなかったのは俺だから。こうなるのは仕方ない」
2年前、5年越しの不倫の恋に終止符を打った。最後の日、ひと回り年上の彼はそう言って涙を流し、静かに部屋を出て行った。付き合い始めたときは35歳だった彼も、気づけば40歳になっていた。
幸せになろう――。
そう決めたからこその決断だった。別れた直後、同年代の独身男性と付き合いもした。でも、気づけば何かにつけて目の前にいる彼と前の彼とを比べてしまう。新たな恋愛に幸せな未来を見出すことができず、恋を続けることに自信を失い、独身の彼とは別れた。今は妻子ある人との思い出の中を生きている。
もうすぐ30歳。涙の別れから2年経った今でも、長く続いた不倫生活が終わったことに、まだなじめずにいる。
彼とは23歳のとき、同じ職場で知り合った。
第一印象は「ちょっと怖くて、近づきにくい人」。爽やかでびしっとしていて仕事ができる、直属の上司だった。
「会議の席では、頭の回転が速い彼の話についていくのに必死で。『ちゃんとメモ取ってる?』と強い口調で指摘されることも多かったので、彼の前ではいつも緊張していました」
それでも時々、仕事が終わると同じ電車で帰ることがあった。職場を離れると気さくに何でも話をしてくれた。仕事のこと、職場の人間関係のこと。花が恋愛の話をすると、「お前は男心をなんにも分かっていない」と苦笑されたりした。
そんな関係だったから、部署のメンバー5、6人で飲みに行った帰りに自宅前で抱きしめられ、キスされたときは驚いた。
「実は前から、いいなと思ってた。上司だとか、結婚しているとかいうことは意識しないで、普通の彼氏だと思って俺と付き合ってほしい」
直後、彼から携帯にこんなメールが届いた。
「仕事をしているときはすごく厳しいんですけど、オフのときは優しくて繊細な面もたくさんあって。見た目も好みだったし、私も何となく気になり始めていたから、告白されてうれしかった」
その夜を境に、会社から少し離れた駅のホームで待ち合わせをし、さりげなく同じ電車で帰る日々が続いた。「なんとなく過ぎていた毎日が、彼のおかげで楽しくなった」。当初は実家暮らしだったため、仕事帰りに一緒に食事をしたり、彼の車でドライブをしたりしながら2人だけの秘密を増やしていった。
半年後に花がひとり暮らしを始めると、彼は週に2~3回のペースで自宅を訪れるようになった。これでもう人の目を気にしなくてすむ。普段の暮らしの中に彼の存在があることが新鮮で、幸せだった。
あり合わせの食材で手早く夕食を作って、一緒に食卓を囲む。得意ではなかった部屋の整理整頓や掃除もこまめにするようになった。職場では何かにつけて厳しい彼も、花の家では子どもっぽい部分や弱い一面を見せてくれる。
どんどん、彼にはまっていった。
「家庭はうまくいっていないと言っていました。夫婦の関係は冷め切っていて、もう何年もセックスレスだ、とも」
彼はどんなに小さなことでも、いいところを見つけては褒めてくれる。
「いつもかわいいね」
「料理、すごくおいしい」
「いろんなことがきちんとできて、すごいよ」
幸せだった。「自分の存在を認めてもらえている感じがして、すごく嬉しかった」
出張のふりをして、彼が泊まりに来てくれたことがある。夜ごはんを食べて、一緒にテレビを見て、セックスをして。朝、目を覚ましたら隣に彼の寝顔があった。
この人とこんなふうに毎日を過ごせたら、どんなに幸せだろう――。
距離が縮まるほど、大切だと思う気持ちが高まっていく。
「彼には何度か、『ずっと一緒にいたい』と素直に伝えました。彼も彼で、私の思いに応えられなくて申し訳ないという気持ちはすごくあったみたいです。でも、『妻に離婚話をしたけど、専業主婦で子どももいるし絶対に別れないと言われた』って。じゃあどうしたらいいの?と思ったけれど、私にはどうしようもなかった」
そうこうしているうちに月日は流れていく。「いつかは結婚したい」という焦りに似た願望と、「彼との幸せな時間を失いたくない」という相反する気持ちが心の中でもつれ合う。一方で、25歳を過ぎた頃から親による"結婚しなさいプレッシャー"も高まっていく。「実家に帰るたびに、早く結婚しろって言われ続けるのがストレスで。そろそろ先のことも考えなくちゃいけないんじゃないか、って思うようになりました」
意を決して3年目の春、初めて「距離を置きたい」と彼に告げた。
「彼のことが本当に好きだけど、自分のこれからを冷静に考えると、そろそろ彼から離れないといけないって思ったんです」
突然の別れの言葉に驚き、取り乱す彼。心が揺れた。「だって嫌いなわけじゃないから。むしろ、どうしようもないくらい好きだから」
でもこのまま付き合っていたら、私はいつまでたっても結婚できない。勇気を出して、エネルギーを振り絞って告げた別れなのだから、後戻りしちゃいけない。
それでも職場で顔を見ると、好きという感情が勝ってしまう。「別れ話がきっかけで、彼は食事がのどを通らなくなってしまったみたいで。どんどんやせていくから部署の人からも心配されていて。黙って見ていることなんて、とてもできなかった」
結局元の鞘に戻ってしまう。そんなことを2度3度と繰り返して迎えた5年目の春。
本当の別れが訪れる。
それは、友だちの付き添いで参加したパーティーでのことだった。
隣に座った男性は花と同い年。お酒が入った席だったことや出身地が近かったこともあって、初対面ながら子どもの頃の話などで盛り上がった。
「人見知りの私でも、緊張せずに話ができました」
だが数日後に食事に誘われ、「付き合ってほしい」と言われたときは、「ちょっと無理です」と断った。見た目がタイプではなかったし、そもそも不倫の彼のこと以外、考えられなかったから。
だが、彼はそんなことでは引かなかった。毎日のようにメールが来る。週に何度も食事の誘いが届く。そして「ごめんなさい」と断るたびに、「何でダメなの?」と聞かれる。
正直に今の状況を話したら、きっと諦めるだろう。まっすぐに自分を思ってくれる人に対して隠し事をしていることへの後ろめたさもあった。
「奥さんのいる人と付き合ってるの」
驚いた様子の彼。だが、次の言葉に今度は花が驚いた。
「結婚も視野に入れて考えるから、不倫なんてやめて俺と付き合おう」
「結婚」の二文字に心を揺さぶられた。目の前に、結婚を考えたいと言ってくれている人がいる。これが不倫の恋に終止符を打つべきタイミングというものなのかもしれない――。
「付き合ってみようかなと思っている人がいる」
別れは花の部屋で告げた。玄関を出て行く彼の、見慣れた後ろ姿が涙でにじむ。彼が使ったマグカップ。2人で撮った写真。ひとり残された部屋の片隅にうずくまり、「これでよかったんだ」と自分に言い聞かせた。
独身男性と付き合うのは大学卒業以来だった。もう人目を気にせず堂々と街を歩ける。映画を見たり、動物園に行ったり。そんな普通のデートが新鮮で嬉しかった。
「このまま付き合って結婚すれば幸せになれる。そう思っていました」
だが、そんな日々も長くは続かなかった。半年もたつと、彼のあら探しばかりしている自分がいた。人の言うことに耳を貸さず、自分の意見ばかりを押し通そうとする。好きだ、大切だと言ってくれたのは最初だけで、愛情表現はおろか感謝の言葉もない。前の彼は、ちゃんと好きって言ってくれたのに。何でも素直に話せたのに。
一緒にいればいるほど、大人の男性に恋をしていた頃と比べてしまう。
「新しい彼にはすごく申し訳ないけど、後悔しました。この恋愛を続けていることの意味って何だろうって。前の彼は、どんな自分を見せてもちゃんと受け入れてくれるという安心感があった。でも、新しい彼の前では相手に合わせてばかりいて。こうなるんだったら、結婚できなくてもいいから、ずっとあの人と付き合っていたほうがよかった、って」
会う回数も1カ月に1回程度に減っていった。付き合っているという実感が薄れつつあったある日、花は彼の友だちが発したこんなツイートを目にする。
「『付き合っている彼女が、過去の不倫相手に会っているんじゃないか』という疑惑が発覚。このまま恋愛を継続すべきか、それとも破局を選ぶべきか。酒を飲みながら仲間で審議中です」
添付された写真には、彼を囲んで盛り上がる男性たちの姿があった。
最近、事あるたびに「俺に隠れて不倫相手に会ってるだろう」と勘ぐっていた彼。そんなことないって、あれほど言ったのに。「私と前の彼を悪者にして友だちと盛り上がっていたと分かって、許せなかった。もう無理だと思った」
程なくして、彼とは別れた。
キッチンに並ぶ、妻子ある彼のために揃えた食器。寝室に置いたままの彼の部屋着。「傷ついて、恋することに自信を失い、気づいたらあの人のことばかり考えていました」
ひとりの時間が長くなるほど、彼と過ごした日々の思い出が膨れ上がっていく。社内ですれ違うたびに、彼を目で追ってしまう。「元気そうで安心したよ」。彼からメールが来ると心が躍る。そして行き場のない思いが募っていく。
彼は私より家族を選んだ。でも、別れてしばらくは彼もつらかったはずだ。
私たちは本当に愛し合っていたと思う。
私は今でも彼が好き。彼もきっと今でも私を…そう思うのは、都合が良すぎるだろうか。
つらいことや迷いなど何もなかったかのように、美化された思い出の中をさまよっている。
2月14日の早朝。書類が積み重なった彼のデスクに、金色の箱を置いた。
7年前と同じチョコレート。あの頃は、こんな出口の見えない日々が訪れるなんて思わなかった。
いい人がいて、幸せになれるなら結婚したい。親を安心させたいし、そろそろ子どもも産みたい。
「でもやっぱり彼のことが忘れられない。彼以外の人と恋愛をする自信がないんです。人並みに結婚がしたくて環境を変えたはずなのに、結果的に"結婚できない自分"を作ってしまい、失ったものばかりに思えてしまう」
彼のいない人生を、どう歩んでいけばいいんだろう。
妻子ある彼の元へ戻りたい気持ちは正直、ある。でも「また戻っちゃったら、人としてダメなんじゃないか」とも思う。「彼のほうも、同じことの繰り返しになるのは良くないって思っているはずだから」
季節は変わるのに、いつまでたっても私は変われない。目の前にある今を生きられずにいる。
別れてから、もうすぐ3度目の春が来る。
(日経WOMAN 瀬戸久美子)
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