2015/3/19

わたしの投資論

■得るは捨てるなり、何を選ばないか

希代の名投資家であるジョン・テンプルトンは「本当の強気相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観とともに成熟し、陶酔の中に消えていく」という有名な言葉を残しています。実体経済が底を打ったときも、ピークを越えたときも、市場はしばらくそれに気づかず行きすぎてしまいます。先のことは分からないといいましたが、それでもほんの少し先のことなら見当がつくはずです。投資で必要なのは、過去や現在だけではなく常に一歩先を見て、「行きすぎ」にのみ込まれないようにすることです。

何かを選ぶことは別の何かを諦めることだと語る

何に投資するかを決める上でも、たとえばただ自己資本利益率(ROE)が高い銘柄に飛びついたってうまくいきません。過去の情報はすでに株価に織り込まれているわけで、周知の事実に賭けて利益を出せる方が不思議だと思いませんか。いまは利益が高くても、それが本当に持続できるのかを見極めないといけません。

銘柄の取捨選択ではどうしても選ぶ方に重きが置かれがちですが、「得るは捨てるなり」で、何かを選ぶことは別の何かを諦めることです。日本の株式市場はニューヨーク証券取引市場と比べて、時価総額は4分の1なのに上場企業数は4割も多いんです。「ババ」をつかまされやすい市場だからこそ、何を選ばないかこそが重要です。

僕にとって投資とは人生そのものです。もう30年近くマーケットとともに生きてきて、これしかやっていませんから。最初は証券会社の営業マンとしてバブルのど真ん中を経験しました。薦めた銘柄が値上がりしたときにはあんなにやさしかったお客さんが、値下がりした途端に豹変(ひょうへん)して怒るのを見て、お金の大切さも怖さも知りました。市場の熱狂に突き動かされて仕事をしたのが、いまの自分の原点になっています。

得るは捨てるなり、ですから、この仕事を選んだことで選ばなかった人生もあるはずですが、引退したら打ち込みたいものがあるかというと、特にないんです。死ぬまでマーケットを分析して、情報を発信していくだろうなと思っています。というのも、相場はどれだけ突き詰めても極めることができないからです。百戦百勝、目をつぶったって勝てるよとなったら飽きてしまうんでしょうけど、そういうものじゃありません。

僕が気に入っているアメリカンジョークを一つ紹介しましょう。とある大学の経済学部を出たビジネスマンには息子がいて、同じ大学の経済学部で同じ先生に学んでいました。あるとき息子の試験問題を見てみたら、何と自分の学生時代とまったく変わっていない。驚いた彼が恩師を訪ねて「どういうことですか、経済学という学問に進歩はないんですか」と詰め寄ると、恩師はこう答えます。「問題は一緒でいいんだ、正解の方が毎年変わるから」

相場は生き物。だからこそ、投資の世界は一生をかけて向き合う価値があると思っています。まさに“No Investment,No Life. ”、投資のない人生なんて、です。

(聞き手は電子報道部 森下寛繁)

「わたしの投資論」は随時掲載します。
近づくキャッシュレス社会
ビジネスパーソンの住まいと暮らし