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舞台・演劇

文学座「女の一生」

2015/3/13

 なんて鋭く激しいセリフなんだろう。何度もみた作品なのに、またもや驚かされた。大女優、杉村春子の演技とともに記憶される森本薫の名作「女の一生」に、だ。ひとりの女の年代記にとどまらない歴史劇としての大きさ。中国の植民地化に乗じて財をなし、空襲でゼロになる「家」の軌跡は、いってみれば「大日本帝国の一生」なのだ。文学座はこの財産演目を大切に育て続けてほしい。

 文学座を支えた杉村春子は主役の布引けいを947回も演じた。「自分で選んだ道ですもの」は名セリフとなり、演劇にすべてをささげた杉村その人を象徴する言葉ともなった。恋人だった作者が杉村にあてた特別の作品だったし、空襲に脅かされていた1945年4月の初演も伝説的。国交のなかった中国で検閲圧力がかかる中、上演した逸話も有名だ。家を支える使命感のあまりの強さから夫や娘に去られる女のつらさ。それが分裂の苦しみを乗り越えた劇団の支柱、杉村の実人生に重なって見えもした。

 歳月をかけ練りこんだ演技は比類がなく、さびしさをたたえた甲高い笑い、てきぱきとした所作が今なお鮮明に目に浮かぶ。その演技があまりに見事だったがゆえに、作品がもつ潜在的な大きさをすくいきれなかったうらみはないか。優れた作であればこそ台本を読みこみ、言葉が喚起する力を現代に結びつける努力が必要だ。そうすることで新しい生命がともる。真の名作とはそういうものだろう。今はなき名女優が亡くなって、もう18年。名舞台を踏まえた鵜山仁の今回の演出(演出補の扱いだが)をその貴重な一歩とみておこう。

 舞台は日露戦争で旅順が陥落し、日本中を熱狂させた世から始まり、米軍の空襲で東京が焼け野原になるところで終わる。植民地化された清国(中国)との貿易で財をなす堤家に、戦争で親を失った家なき子の布引けいが迷い込む。そのまま女中勤めとなり、才気をかわれて長男の嫁に。細腕で家を切り盛りするが、烈女ぶりに嫌気がさす学者肌の夫は家出し、やがて娘も去っていく。

 今回の舞台は新しかった。脇役のセリフにも力点がおかれ、中国情勢や戦争について語るセリフがくっきり浮かびあがる。パンフレットで演劇評論家の大笹吉雄が日中関係が混迷する今、上演意義が生まれていると記している。たとえば、と大笹が指摘するセリフは、けいの夫のそれ。「ひとつの言葉がわかるということは、実はその国の文明と人間の特質を会得するということなのだもの」。これ、まさに今聴くべきセリフだ。

 対して、けい。中国が思うようにならないと軍の及び腰を嘆く。中国を見下す。そこに悪意はないが、そうするより仕方ないという生活のリアリズムが戦争への加担を招く。自己都合で国際情勢を語り、したくもない戦争に引き込まれ、破滅にひた走る、そんな時代の怖さがはっきり見える。夫婦の亀裂はけいの気性の激しさだけでなく、中国観の違いも理由になる。好きだった次男は日本の侵略を憂い共産党員になるが、けいは思想を取り締まる特高に冷酷に引き渡す。その間のセリフも鋭利きわまりない。

 女の生き方を彫り上げる杉村春子の芝居からは見えにくかったが、台本には政治的言語が思いのほか多い。戦争末期の作だから検閲を意識せざるを得なかったはずだが、作者は国策に乗る堤家の男たちにシニカルな視線をもたせていた。現実主義から破局を迎える日本人の運命の皮肉も書きこんでいる。すんでしまったことは仕方ない、と既成事実への敗北を重ねるうち泥沼に入り込む戦前戦時の日本人。政治学者の丸山真男らが批判した現実主義への敗北を劇に描きだしたのは、なにも木下順二だけではなかったのである。

 同時に焼け野原でさばさばし、踊りたくなる裸の人間の心をもとらえ、そこにきたるべき「戦後」の希望を見いだしていた。戦後70年の節目ともなれば、現実の苦渋から構築された歴史劇のうねりを舞台にみたい。

 むろん端正な鵜山演出は先輩の遺産を壊すようなことはしない。畳を足袋がする音や風鈴の音などを繊細に配し、文学座らしい情感をかもしだす。が、その手つきは半面パンチに欠ける。戦争をめぐる理念の激突はもっと激しく、もっと強く、と思わせられる。おそらく、この作品は将来よりいっそう切実な相を浮かべるだろう。注文をつけたのは、その点が再演の課題となるだろうから。

 かつて「女の一生」を磨き上げたのは5年前鬼籍に入った文学座の演出家、戌井市郎だった(補訂・演出)。京都の祇園生まれ、母方の祖父が新派の名優、喜多村緑郎。西洋の翻訳劇をレパートリーの柱とし、バタ臭いともいわれた往年の「新劇」にあって、和事に通じる異色の存在だった。正面を切る演技や決めセリフに感情をこめる新派風の演技は戌井・杉村コンビが完成させ、文学座の芸風の一端を築いた。ことにシンと静まった後段のけい、冷え切った心のうちに人間的な感情がかすかに兆すあたりは絶品だった。その演技の呼吸は戌井の橋渡しによって、今は新派に継承される。波乃久里子は強い強い布引けいである。

 現代演劇の劇団たる文学座はやはり新派とは別の道を行くべきだろう。今度の平淑恵はその点、文学座の自然な演技をもとに前半のチャキチャキしたけいを生き生きと演じるのがいい。器量よしで、いたずらっぽく、コケティッシュ。次男にほれられ、長男の嫁に見込まれるのがよくわかる。杉村が愛した芭蕉布(ばしょうふ)にちなむ衣。夏の場面で、成熟した女のにおいが浮き立つ。杉村の最晩年にけい役を引き継ぎ、269回上演した経験も芝居を裏打ちする。

 前半の明るさが後段の暗さを際だたせるのがこの芝居のすごさ。老けてからは押し殺したセリフで懸命に演じるが、さすがに演技の転調が難しい。が、この女優には杉村にない美質があり、冷酷な態度の中にも優しさがにじんで隠せない。時代の宿命にのまれ、心ならずも優しさを封印し、けれど時にせき止めがたい。その感情の動きは戦争の無残さを刻印するだろう。今後の再演に向け、伸びしろは大きい。

 文学座ではかつて荘田由紀も、布引けいを演じた。集団としてどのように継承、発展させていくか。それは文学座のこれからを考えることでもあろう。客席には年配の観客が目立つが、実はそこに最大の課題がある。近代史のタイムカプセルともいえるこの名作は若い人にこそ味わってほしいのだ。そのためには、理解を助ける思い切った演出も必要となるだろう。戦争の語り部がいなくなれば、演劇がその役をになう日がくる。

 赤司まり子の女主人が確かな演技。大滝寛、上川路啓志、石川武の男優陣が好演。昨年秋からの地方巡演を終えた。3月18日まで、東京の三越劇場。

(編集委員 内田洋一)

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