徳永二男、堤剛、練木繁夫のピアノ三重奏曲ベテランの気品と風格のベートーベン

バイオリンの徳永二男(68)とチェロの堤剛(72)、ピアノの練木繁夫(64)。いずれも第一線で長年経験を積んだベテランの演奏家だ。ともに桐朋学園で学んだ。3人寄ればあうんの呼吸。ピアノ三重奏曲の好演が生まれるかも。そんな期待が高まるベートーベンの「第7番《大公》」とチャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出」の一夜。OB会風かと思いきや、現役のプロの気品と風格をたっぷりと聴かせた。

2月26日、東京・銀座のヤマハホールで開かれた「徳永二男、堤剛、練木繁夫による珠玉のピアノトリオ・コンサート」。バイオリンとチェロ、ピアノの3つの楽器が奏でるピアノトリオの中でも傑作のベートーベン「ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調《大公》作品97」、チャイコフスキー「ピアノ三重奏曲イ短調《偉大な芸術家の思い出》作品50」の2作品を一晩で披露した。

徳永は1976~94年にNHK交響楽団のコンサートマスターを務め、N響の顔として活躍した。堤はサントリー芸術財団代表理事でサントリーホール館長、桐朋学園大学の前学長。練木は主に米国で活躍し、堤の師だったチェリストのヤーノシュ・シュタルケルと世界ツアーを重ね、現在は米インディアナ州立大学教授。功成り名遂げた3人だ。

「この2曲は僕ら3人で弾いて最初に良い評価をもらった作品。堤さん、練木さんと久しぶりに演奏できるのは格別の思いだ」と徳永は語る。この日は現在のヤマハホールがリニューアルオープンして5周年。記念コンサートでもある公演のリハーサルでは「3人ともほとんど言葉を使わず、それぞれの音だけで会話している」と言って徳永は堤と練木を交互に見る。

堤も「音による会話の中身が濃い。3人それぞれが全く違った作品の読み方をしているのに、互いの音を聴いて、感じ合いながら会話を進めていける」と語る。「まるで母親の胎内の中にいる気がするほど心地よい。これがずっと続けばいいと思ってしまうくらい」と練木。どんなに相性が良いのか。互いの尊敬の念と友情から生まれる音楽を聴こう。

「大公」の第1楽章は何とも優雅で伸び伸びとした演奏。第1主題の旋律がそもそも雄大で高貴な雰囲気を持つ。これを3人が弾くと、年功や経験に裏付けられた十分な技術も手伝ってか、気持ちの余裕を感じさせる響きとなり、聴き手も安堵感を覚える。

練木のピアノは淡々として落ち着いた風情を醸し出し、けして出しゃばらない。それでいて冷たく機械的になることもない。作品全体を柔らかく包み込むようなピアノだ。彼の言う母親の胎内の中とは、こうして作られる優しい響きの膜のことだろうか。

そのピアノの前にいる徳永と堤の演奏は、さながらピアノ伴奏のまろやかな音響空間の中で戯れるバイオリンとチェロの二重奏といった雰囲気だ。2人は互いに目配せし、合わせて体を揺らしながら、音の会話を繰り広げる。第2楽章「スケルツォ」では、バイオリンとチェロの音が互いに寄り添って重なり合うとき、1つの楽器から発せられる1つの声となって聞こえる。単に2つの音が重なり合うのではなく、ペースト状の2種類の食材が混じり合い、溶け合って独特の風味を生み出すといった趣なのだ。

まろやかな、こくのある味わいは最後まで続いた。ベテランらしい抑制の効いた忍耐強い演奏といえる。けして感情の赴くままには流されず、取り乱すことなく、高潔な笑みをたたえながら、最後まで紳士の振るまいをした。あらゆる苦難や障がい、悲痛や惨めさも包み隠し、気高く生きる作曲家。気品と風格のあるベートーベン。そんな言葉が思い浮かんだ。ちなみに「大公」は村上春樹の長編小説「海辺のカフカ」のテーマ曲ともいえる楽曲のひとつである。

期待が現実となったところで、休憩をはさみ、後半のチャイコフスキー「偉大な芸術家の思い出」へと入っていく。「芸術家」とは、チャイコフスキーと親交の深かったピアニストのニコライ・ルビンシテインのこと。ニコライの死を悼み、故人をしのぶ曲として書かれた。以後、ラフマニノフやショスタコーヴィチらロシアの作曲家は追悼の音楽としてピアノ三重奏曲を作曲するという伝統が出来上がった。

追悼といえば、堤の「チェロと人生の恩師」である世界的チェリストのシュタルケルが亡くなったのが2013年4月。恩師への思いもあるのだろうか、堤のチェロの響きが最も落ち着いて内省的だ。この曲の第1楽章は悲しみの感情の爆発ともいえる激しい箇所がいくつもある。そこでやや練木のピアノの音が強すぎる気もした。徳永のバイオリンもベートーベンの時とは打って変わって激情をさらけ出す。情熱的なメロディーを歌い上げる時のやや上ずった響きが印象的だった。

堤の淡々として取り乱さないチェロの響きは、第2楽章前半の様々な変奏曲の場面で功を奏す。ワルツだったりカンツォーネ風だっだり、色とりどりの変奏が、芸術家との思い出のエピソードとして語られる。その時に、余裕を持って一歩引いた感じのチェロの響きが、音による回想シーンを内面的な追憶のイメージにしていた。

終結部も激しい展開となった。ピアノとバイオリンの音が強すぎる気もしたが、333席の小規模ホールならではの強い音の伝わり方なのかもしれない。悲しみを引きずる葬送行進曲となって静かに消えゆく最終場面で、ピアノの消音が少し濁ったのは惜しかった。

「堤さんのチェロはまさに今が旬だ」と評する人も多い。サントリーホール館長として、今年で5回目となる日本最大級の室内楽専門の音楽祭「サントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデン」を6月6~21日に開く。その初日に今度は竹澤恭子のバイオリン、児玉桃のピアノとの共演で再び「偉大な芸術家の思い出」を弾く予定だ。一方、徳永も宮崎国際音楽祭の音楽監督を務めるほか、指揮活動にも乗り出すなど、現役として活躍を続けている。

実力主義の音楽界に定年はない。肩書から解放されたベテランの演奏家が自在に実力を発揮し、一段と芸術性を深める傾向もある。ベートーベンをはじめ大作曲家の精神性の高みに迫るには、悲喜こもごもの経験を重ねてきたシニア演奏家の枯れたダンディズムこそ似合っている。

(編集委員 池上輝彦)

ベートーヴェン : ピアノ三重奏曲 第6番&第7番 (Ludwig Van Beethoven : Piano Trios Op.70 No.2, Op.97 'Archduke' / Alexander Melnikov (piano) | Isabelle Faust (violin) | Jean-Guihen Queyras (cello)) [輸入盤・日本語解説付]

演奏者:アレクサンドル・メルニコフ
販売元:harmonia mundi France / King International

チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲<ある偉大な芸術家の思い出のために>

演奏者:スーク・トリオ
販売元:日本コロムビア

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