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 あるものは人生の挑戦として、あるものは故郷のために。東日本大震災から4年、復興の現場へ飛び込み、知恵と汗を絞る40~50代の会社員が増えている。仕事と人生に迷いが生じがちなミドル世代。第二の人生をかける場として、被災地を選ぶ人たちの思いとは……。
宮城県女川町のまちづくりに携わる「女川みらい創造」の大橋広幸さん。奥は21日に開業するJR女川駅(4日)

宮城県女川町のまちづくりに携わる「女川みらい創造」の大橋広幸さん。奥は21日に開業するJR女川駅(4日)

宮城県女川町。津波で壊滅した中心部のまちづくりを担う女川みらい創造で働く大橋広幸さん(54)は、1年半前までキリンビールマーケティング(東京・中野)の営業マンだった。

震災半年後、女川の隣町でのボランティア活動に参加。津波に襲われたまま手つかずの状況を見た時、人生が方向転換した。気になって週末ごとに被災地へ。「力になれることはないか」という気持ちがわき上がる。

会社員生活が長くなり、思うところもあった。自分の目指すことはできているのか。石巻市出身の知人がUターンしたことが決定打となる。「自分も被災地で働きたい」

検索サイトに「三陸」「水産業」と打ち込み、最初に出てきた女川町の水産加工会社にいきなり電話した。「働かせてもらえないでしょうか」。10日後には履歴書を抱えて現地に向かった。同社の社長は「夢のような話です」と採用決定。キリンを辞めた。

従業員50人にも満たない小さな会社。家族的な雰囲気はいいが商品別売上高など、大企業なら当然の数字が整理されていない。組織もきちんとしていなかった。会計管理ソフトの導入や、営業に生産、人事・経理という組織の整備も提案した。

みらい創造へ移ったのは昨年10月。企業より大きな視点で復興に貢献したくなった。サンマなど特産品の魅力をどう伝えるか。「ビールの時と同じように街の価値を発信する」。夢は東京五輪選手村の食堂に、女川産の食材を納入することだ。

被災地で働く民間出身のミドル世代が目立ってきた。ガレキの片付けなどの単純なマンパワーが必要な時期は過ぎ、まちづくりや産業・観光振興など、知識と経験を持つ人材が求められるようになったからだ。

特に役所や第三セクターなどが必要とする人材が不足がち。そこで2013年10月に復興庁が立ち上げたのが「WORK FOR 東北(WFT)」プログラムだ。今は日本財団が運営し、被災地で働きたい民間人と、求人する組織を引き合わせる。1月下旬に都内で開かれた説明会では出席者55人の4割が40代以上だった。「次のキャリアを考え、今まで得たものを還元したいという人が多い」と、プログラムを担当する畔柳理恵さんは説明する。

原発事故による全町民避難が続く福島県楢葉町。そのまちづくりを考える、一般社団法人ならはみらいの歳森健司事務局次長(47)も、WFTで昨年転職した一人。日本郵船の社員だった。

「40代になって目標を失った感があった」。出向先で体調を崩したこともあり、退職を考えた直後にWFTを知り、応募した。「人生の2作目にしたい」と語る。

町役場OBもいる組織で1人よそ者だが、だからこその強みも感じる。ばらばらになった町民の懇親旅行を企画したときのこと。元の行政区ごとの部屋割りをしたら「友達同士がいい」と不満の声があがった。説得した。小さな町でみんな顔見知りだから、摩擦を避けがちなところがあるが「しがらみがないので必要なことを主張できる」。

除染のメドが付き、町民の帰還も予想される。「自分が役立てる感覚が持てる限りはここで働きたい。かっこいいおっちゃんになりたいです」

いちご農家の話を聞く、山元町に出向中の南條守さん(右)(宮城県山元町のいちご屋燦燦園)

いちご農家の話を聞く、山元町に出向中の南條守さん(右)(宮城県山元町のいちご屋燦燦園)

故郷のために人肌脱ぐ決断をしたのは江刺祐一さん(53)。岩手県盛岡市出身。震災直後に長年勤めた三菱UFJモルガン・スタンレー証券を辞め、昨年6月から同県山田町のやまだ復興応援隊として働く。水産加工業の経営者と輸出促進の研究会を立ち上げたり、かつて赴任していたベトナムの人脈を生かし、技能実習生を招いたり。人々と復興の「触媒になろう」と動く。以前は東北独特の濃密な人間関係が苦手だったが、今はその輪の中に自然と入って行ける。「年のなせるわざかもしれません」と笑う。

パナソニック仙台工場に勤める南條守さん(58)は、生まれ故郷の隣町、宮城県山元町産業振興課に出向。農産物の直売所などがある交流拠点の新設に駆け回っている。

いちごやリンゴが名産。高齢化が進む農家を回ると、直売所ができれば働きがい、生きがいができるという声が多い。「それで町とみんなの心に日が差せば、幸せです」

昨年、本社を通じて復興支援の人材が欲しいとの話があり、白羽の矢が立った。自分が選ばれたのは、定年までの年数も考えてのことだと思う。このまま山元町に骨をうずめる覚悟かと問えば、「今は半々ですね。でも来年拠点建設が具体化してきたら……。そうなるかもしれません」。会社への愛着もゆらぐやりがいのようだ。

未曽有の大災害からの復興には、様々な経験をした人間の英知が必要。ミドル世代もそこに役割を見いだす。今後も多くの人が思い立つはずだ。「東北へ行こう」と。

(編集委員 摂待卓)

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