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「見る」と「見られる」を統合した国宝・松本城

~『日本遺産巡礼』

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NIKKEI STYLE

日経アーキテクチュア
世界遺産に登録された施設には確かにため息が出るような絶品が多いが、海外からお墨付きをもらって初めて訪れるというのは、日本人として少し寂しい。国内には、世界遺産の登録・申請中の有無にかかわらず、必見の歴史遺産がたくさんある。そんな「日本遺産」の中からいくつかピックアップし、現地取材に基づく「旅立ちたくなる」ようなリポートを、ほのぼのとしたイラストとともにお届けする。今回は松本城。

松本城の始まりは戦国時代に小笠原氏が設けた深志城である。天守が築造されたのは、豊臣秀吉が天下を統一してからで、石川康長が藩主だった1593年ごろという。特徴は、壁が白黒のストライプ模様になっていること。これはしっくいの白壁の外側に、雨がかかるところだけ板を張ったためだ。

JR松本駅から松本城に向かって歩いて行くと、女鳥羽川を渡る千歳橋のところで道がカギ形に曲がっている。ここはかつて松本城の大手門があったところで、ここから奥が三の丸である。

道をさらに進むと、二の丸へとたどり着く。外堀の一部が埋め立てられたため、現在ではまっすぐ入れるが、当初は右側に回り込んだ東側に入り口があった。そちらの太鼓門は1999年に復元されている。二の丸からはお堀越しに天守の全景を拝める。

内堀を越えて門をくぐると、2つの門に挟まれた小さな広場がある。ここは枡形(ますがた)。敵の軍勢を足止めして、防衛の拠点となる場所である。ここから先が本丸となる。

門をくぐったら、天守へと向かう前に、いったん振り返ってみよう。市川量造と小林有也の2人が石碑で紹介されている。実は明治維新のすぐ後、松本城は売却に出され、解体の危機に直面していた。市川は松本城を借りて博覧会を開催し、その収益によって松本城を買い戻す。小林は1901年に天守保存会を設立し、傷みが激しかった天守に大修理を施した。

この2人の活動がなければ、現在、松本城の美しい姿を我々は拝むことができなかった。松本城は、建築保存運動の偉大なる成功例でもあるのだ。

都市の自意識を生む装置

いよいよ天守へと向かうことにしよう。現在は芝生の広場となっている本丸御殿跡から見ると、天守は複数の建物が結合したものであることが分かる。中央の天守から渡櫓(わたりやぐら)を介して右に出ているのが乾小天守。左側には辰巳附櫓(つけやぐら)と月見櫓が付くが、シルエットは微妙に非対称。この配置が絶妙だ。しばらく見とれてしまう。

入るのは渡櫓から。ここから1層ずつ階段を上がっていく。低層部は黒光りする柱梁がみっしりと入っていて、民家の小屋裏のよう。周囲の壁には、鉄砲や矢で敵を狙う狭間(さま)や、登ってくる敵を撃退するための石落(いしおとし)などの仕掛けが設けられている。

高層部は天井が高く明るい空間へと変わる。最上階の6階は周囲をぐるりと見渡せる望楼。かつては四周にバルコニーが張り出したような開放的な空間だったが、創建後の修理で内部化されたという。

ここからは松本市内がぐるりと見渡せる。日本の伝統建築には五重塔という高層建築の形式があったが、それには人が上がることができない。城の天守ができたことで、人は初めて都市を上から眺めることができるようになったのだ。

一方で天守は、見られる存在でもある。特に松本城は、平らな湿地の中心部に建つ平城である。四方から、よく目立っている。

日本の有名な城のほとんどは、戦国時代が終わった後に建てられたものだ。松本城も実際の戦争に役立ったわけではない。

ならばどんな意味があったのか。それは、領地を見るためであり、領地に暮らす人々から見られるためである。「見る」と「見られる」を統合することにより、天守は、都市の自意識を生み出す機能を果たすようになったといえるだろう。

現代建築への城郭の影響

日本各地に点在する天守は、実は昭和の時代になって再建されたものが多い。天守再建のブームが起こったのは、1950年代の後半である。名古屋城、小田原城、熊本城、和歌山城、小倉城などがその時期に建てられている。

一方、同じころに日本の建築界では、伝統論争が起こっていた。モダニズムの建築と日本の伝統建築との結び付きをそれぞれの建築家が主張したのだ。

そこで挙げられたのは桂離宮や伊勢神宮、正倉院、法隆寺などの寺院や神社だった。江川家などの民家も脚光を浴びた。しかし、城郭に触れる建築家はほとんどいなかった。

その理由は、城が権力の象徴であり、戦後の日本建築が目指した民衆のための建築と相反していたからと想像できる。

だからといって、モダニズムの建築家が城を参照しなかったわけではない。例えば前川国男は、熊本県立美術館(1977年)で熊本城の雁行(がんこう)した石垣を平面計画に取り込んでいく。

また、丹下健三は国立代々木競技場(1964年)などで立派な石垣を設けるが、それも城郭のイメージが基になったのではないか。丹下が幼い頃を過ごした今治には今治城の城跡があった。「仲良しと近くの城跡の吹揚公園で遊んだ」ことを、自伝で明かしている(『一本の鉛筆から』1997年、日本図書センター)。

モダニズムの建築家たちが参照したのは、天守のない、平和の象徴としての城跡だった。そんな現代建築と城郭の関係に思いを巡らせた。

(ライター 磯達雄、イラスト 日経アーキテクチュア 宮沢洋)

[日経アーキテクチュア『旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 東日本30選』を基に再構成]

(参考)日経アーキテクチュア『旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 東日本30選』では、開業100周年「東京駅」、近代化の傑作「富岡製糸場」から古代の最先端「伊勢神宮」、「三内丸山遺跡」まで東日本の珠玉の名所の30選をイラスト入りでリポート。これまでの旅行本とは一線を画すダイナミックな写真も見物。旅のお供にお薦めの一冊です。『旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 西日本30選』、および両書の電子書籍も同時発売。

旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 東日本30選

著者:磯 達雄、宮沢 洋
出版:日経BP社
価格:1,512円(税込み)

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著者:磯 達雄, 宮沢 洋
出版:日経BP社
価格:1,512円(税込み)

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