「一瞬、大きな光と爆音を感じて……。すぐに意識を失ったんです」。気が付くと、重いがれきの下敷きになり、身動きがまったく取れなくなっていた。
空爆で家族を失い、養母と日本へ
1989年。イラン・イラク戦争でイラク軍の空爆に遭い、国境近くにあった生家は全壊。夜空が赤く燃えていたのを覚えている。13人の大家族で生き残ったのは末っ子の自分だけ。
そのとき、命を救ってくれたのが現在の養母フローラさん。テヘラン大学の学生でボランティア活動で現地に来ていたという。
「私に強い運命と不思議な絆を感じて、親族の反対を押し切って養女として育ててくれた。感謝してもしたりない気持ちです」。以来、一心同体。母と娘で力を合わせて暮らしている。
親族からの支援が打ち切られ、首都テヘランのアパートでギリギリの食生活を強いられていた。いつも食べていたのは皮付きの豆料理。それが町の市場で最も安い食材だったからだ。
グツグツと煮込んでスープにしたり、ご飯と一緒に炊いたり。母は家庭教師のアルバイトを細々と続けていたので家の留守番を任された。窓から見える真っ赤な夕日を見ながら、独りでサヤから豆を取り出す作業を何度も繰り返していた。
「正直、皮付きの豆料理は好きではない。空腹を満たすために食べていた。寂しかったし、再び独りになるのが怖かったから」
養母の知人を頼って来日したのが93年のこと。埼玉県志木市の小学校に編入する。だが貧しい生活に変わりはなかった。アパートがすぐに見つからず、短期間だが公園の土管の中で寝泊まりしたこともある。
見かねた学校の給食のおばさんが自宅でおいしい焼き魚や味噌汁をごちそうしてくれた。温かいお風呂にも入れてくれた。人情のぬくもりが心にしみた。
母は化粧品の容器の製造工場やペルシャじゅうたんの貿易会社で働いていたが、収入は十分でなかった。
「私は学校で給食があったのでまだマシだった。でも母は学費を捻出するために食事を切り詰めていた」
ツナ缶半分で1日を過ごしたり、ゆでパスタを塩だけで食べたり。スーパーの試食コーナーを食べ歩いたこともあったそうだ。
園芸高校に進学、収穫した野菜で母に恩返し
転機が訪れたのは高校への進学時。東京都立園芸高校を志望することにしたのだ。理由は「授業で栽培した野菜を家に持ち帰ることができるから」。食生活で母に楽をしてほしかった。
そのころ日本語はかなり上達していたが、ハンディがまったくないわけではない。でも猛勉強を続けて見事に合格。「受かったよ」と報告すると、母は「良かったわね……」と声を震わせながら泣いていた。
高校1年の夏。待ちに待った野菜を収穫する日がやってきた。学校の菜園で育てたナスの山を腕いっぱいに抱えて帰り、真っ先に母に向かって叫んだ。
「お母さん。こんなにたくさんナスが採れたよ」
「まあ、本当にきれい」
強い日差しを浴びたナスが紫の艶やかな光を放っている。久しぶりのごちそうだった。母はいそいそと台所に立ち、採れたてのナスをまな板の上で切り始めた。そんなうれしそうな母の姿が今も忘れられない。
作ってくれたのは伝統的なペルシャ料理「ナスのトマト煮込み」。大切に戸棚にしまっていたトマト缶を空け、鍋でナスと煮込み、塩とコショウで味付けしたシンプルな家庭料理だ。
「ひき肉やクミンを入れるのが本当だけど家計が苦しかったから。でも酸味の利いたトマトとナスの甘さが絶妙」。そして母の笑顔が何よりもうれしかった。
「自分の努力で母に初めて恩返しできた」と思えた瞬間だった。新しい生活が切り開けるという希望も見えた。「ナスのトマト煮込み」にはそんな母と娘の様々な思いが詰まっている。
キュウリ、タマネギ、ジャガイモ、ニンジン……。高校で野菜を作るようになってから自宅の食材が見違えるように充実した。できるだけ多くの収穫物を家に持ち帰るように心がけた。
高校在学中にラジオ番組のリポーターに抜てきされ、芸能界に入ってからも自炊が基本。仕事現場ではバナナとコーヒーだけで済ませ、帰宅してから母の手料理に舌鼓を打つ。今でもそんな時間が最も楽しい。
「戦争で家族を失ったのになぜ自分だけ生き残ったのだろう」。自分が生かされている理由をずっと考えてきた。血のつながった家族はもうこの世にいない。いっそ死んだ方が楽になれると思ったこともある。
他人のために生きる――。母が教えてくれたのがこの言葉だった。それまで「母の人生を台無しにした」と自分を責めてきたが、いつも母は「私は本当の親よりもサヘルを愛せる自信がある」と答えてくれた。
だからこそ自分も母のために生きることができる。これまでさんざん苦労をかけてきた分、楽しみや喜びをもっと味わってほしい。そんな願いが明日への「生きる糧」になっている。(編集委員 小林明)
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米に木の実 ペルシャの味
グルメ番組で取材して以来、ひいきにしているのが東京・阿佐ケ谷駅近くにあるペルシャ料理店「ジャーメ・ジャム」(電話03・3311・3223)。仕事仲間や友人としばしば来店する。
大好物はパサパサしたインディカ米に甘酸っぱい赤い木の実を混ぜた「ゼレシュク・ポロウ」(税抜き475円)。「カリカリした香ばしいおこげを特別に注文することもある」とか。そこに鶏の胸肉の串刺し「ジュージェ・キャバーブ」(同735円)を付け、ローズ水のアイスクリーム「バスタニー」(同500円)で締めるのがサヘルさんの定番メニュー。
しっかり食べたい人には前菜、串焼き、煮込み、デザート、飲料を組み合わせたコース料理などもある。食後に「水たばこ」をプカリとふかせば、つかの間の優雅な中東気分も味わえる。
[日経プラスワン2015年2月28日付]