「イスラム国」から逃れたシリア難民、女性たちの悲嘆
2014年9月の終わり、トルコとの国境にあるシリアの村ムルシトピナルに、何万人ものシリア難民が押し寄せた。過激派組織「イスラム国(IS=Islamic State)」の脅威から逃れてきたクルド人だ。人々は乗用車やトラックなどさまざまな車に乗って、土煙を上げてやって来た。だがトルコ側は車での入国を認めなかった。国境付近には乗り捨てられた車がどんどんたまっていく。そしてある日、イスラム国の戦闘員がやって来て、トルコ兵の目の前でそれらの車を盗んでいった。
現在トルコ国内には、約160万人のシリア難民がいる。シリア国内で避難をしている人や、レバノンやヨルダンに一時的に滞在して食うや食わずの生活を強いられている人は、さらに800万人以上。戦乱は隣国イラクにも広がり、そこでもイスラム国の戦闘員に追われて、200万人が避難を余儀なくされている。その数は中東全域で1200万人にものぼる。
「もはやトルコやシリアだけでなく、世界全体に関わる問題です」。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のセリン・ウナル広報官は、シリアとの国境近くにあるキリスの難民キャンプでこう言った。「今ここで、歴史的に重大な事態が起こりつつあるのです」。
私がトルコを訪れたのは、アフリカから南米の先端まで、世界に拡散した人類の足跡を歩いてたどる「アウト・オブ・エデン・ウォーク」の一環だった。
いくつもの対立がからみ合う複雑な内戦。中東では、そんな現状に絶望し、難民となった人々とあちこちで出会う。彼らは、ヨルダンでは日当1000円ほどでトマトを摘み、トルコでは道行く人に小銭を求めていた。国粋主義の暴徒に襲われるかもしれない都市部を避けて、郊外のアナトリア高原に防水シートのテントを張って暮らす人もいる。
はるか昔、この温暖な気候に恵まれた古代のレバント地方に住み着いた人類は、集落を築き、ここで「定住」という概念を生み出した。にもかかわらず、この数カ月間で私が目にしたのは、定住どころか、家を失ったおびただしい数の人々だった。
一夫多妻や児童婚が復活
国連の推計によると、戦争や暴力、迫害で家を追われた人々は、2013年末で世界に5100万人以上いる。そのうちの半数以上が女性と子どもで、トルコにいるシリア難民だけを見ると、その割合は75%まで跳ね上がる。男性は国に残って戦い、土地や財産を守っている。放浪の身となり貧苦にあえぐ女性や子どもたちは、都市のスラムや混雑した難民キャンプ、スイカ畑に張ったビニールの日よけシート、売春宿などに身を寄せている。
だが、シリアの女性たちの悲嘆は、派手な爆発シーンに比べると"テレビ向き"ではないため、ジャーナリストもめったに取り上げない。彼女たちは異郷の地で、声も上げずに戦争の苦しみに耐えているのだ。
トルコの支援団体「サポート・トゥ・ライフ」のソーシャルワーカー、エリフ・グンドゥスイェリは、これを内戦の裏側に潜む深刻な問題だと指摘する。「立場の弱い女性の急増により、社会が変質しつつあるのです」。
トルコでは、夫や父親を伴わないシリア女性が多数流入してきたために、法律で禁じられている一夫多妻などのイスラムの伝統が復活しつつある。ヨルダンでは、難民キャンプや路上生活から抜け出して貧困と縁を切りたいがため、わずか13歳の娘を結婚させる家族もいる。
シリア人のモナ(仮名)は、トルコの都市シャンルウルファから出たくても出られずにいる。「誰も守ってくれません。いつも嫌な目に遭っています。路上で3人の男に腕をつかまれ、車に引きずり込まれそうになりました。いくら叫んでも、周りの人たちは何もしてくれないんです」。
トルコに逃れてきたシリアのクルド人、ロジン(仮名)は、先週の1週間で受けたプロポーズの数を数えた。「4回…いいえ、5回だわ」。タンポポを瓶に生けただけの殺風景な部屋に、3人の姉妹があぐらをかいて座っている。「私は2回」「私は3回でした」と、ほかの姉妹もつけ加えた。この部屋にいる親族のなかで結婚話がこなかったのは、高齢の祖母だけだ。
(文 ポール・サロペック、写真 ジョン・スタンマイヤー、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2015年3月号の記事を基に再構成]
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