アート&レビュー

舞台・演劇

シス・カンパニー「三人姉妹」

2015/2/17

チェーホフ大好きのすれからしのシアターゴーアーは、4大戯曲のどれかが上演されれば、いそいそと劇場に出かける。なのに、たいてい、しおしおと家路につく。あたる確率が低い。かのシェークスピアと比べても打率が悪い。理由は簡単、演技が難しいから。

今回の帰り道は……あれっ足取りが軽い! 3時間弱、珍しく時を忘れる「三人姉妹」だった。全員野球じゃないけれど、チェーホフ劇は役者が気をそろえない限り面白くならない。そんな鉄則が相当の域まで達せられていたのだ。音感に優れる鬼才、ケラことケラリーノ・サンドロヴィッチの入念な演出(台本も)によって。

ロシアの文豪アントン・チェーホフ(1860~1904年)は悲劇としか思えない「桜の園」や「かもめ」をあえて喜劇と呼んだ。これに「ワーニャ伯父さん」と「三人姉妹」を加えた4大戯曲は田舎暮らしの無残さを見すえる。おしゃべりに明け暮れる人たちは不運を嘆き、身もだえる。愚痴を言いつのり、愛はすれちがい、夢の破れ目を広げていく。これのどこが喜劇? ところが、そんな人間の愚かさこそおかしいでしょう、と筆走らせたのがチェーホフという人なのだ。

無責任な男の浮気心、飲んだくれのつぶやき、幸せに焦がれる女の都会への憧れ……。「三人姉妹」の登場人物たちは今ある人生を受け入れられない。夢ばかり見ている。セリフは熱に浮かされているようでいて、奇をてらったところがなにもない。それらが微妙に絡み合い、溶け合っていくと、あら不思議、人生の苦みに笑いが兆してくる。が、その呼吸をつかまえるのがとても難しい。

将軍だった父を亡くした田舎暮らしの令嬢姉妹のもとに新任の砲兵隊長があいさつにくる。かつて暮らしたモスクワの華やかな日々がよみがえったような気がして、姉妹は色めきたつ。よどんだ空気の中で暮らす人たちの間に広がる不思議なさざ波。やがて軍隊はこの地方都市を見捨てるように去っていく。置き去りにされる姉妹、別れの切なさ。

シェークスピア劇のように劇的な事件が次々起きるわけではない。静劇といわれることもあるほどだが、さりげないセリフにはその実、濃密な感情が詰まっている。

ローマ風の豪華な室内。まずは次女マーシャの黒いドレス(伊藤佐智子デザイン)が強烈な印象を刻む。「かもめ」に出てくる同名の女が「人生の喪服」を着て自分を哀れむ場面は有名だが、その転生とみたのだろうか。チェーホフ劇に欠かせない、生きている気がしない女にアクセントをつける演出。きびきびと動く宮沢りえの華奢(きゃしゃ)なシルエットが黒をひきたて、舞台に葬送の空気を植えつける。このイメージは次第に増殖し、終盤で悲劇的なセリフと響き合う。

マーシャは中学教師の夫クルイギンの凡庸さに絶望し、粗野な田舎の人間にうんざりしている。そこに現れるのがモスクワからきた陸軍中佐で砲兵隊長になったヴェルシーニン。妻子がありながら、隙のあるマーシャを口説きにかかる。浮ついた幸福論をまくしたて、実は何も考えていない中年男。演じるのは堤真一。関西人の呼吸か、話さずにいられない衝動が生き生き。その軽さに、不倫にはまるマーシャの心が映り出るのだ。マーシャは見えない幻想に恋しているように見える。

宮沢マーシャはほおづえをつき、横になり、コケティッシュな魅力を発散する。そのぎこちなさに、田舎暮らしが透けて見えるのもいい。こんな媚態(びたい)を見せられたら、浮薄な都会男が張り切るのも仕方ない。そんな妻の脱線を飄々(ひょうひょう)と堪えしのぶクルイギンの山崎一がニンにあって、おかしみを帯びた浮気模様を際立たせる。

宮沢りえに今回もサプライズがある。ヴェルシーニンとの別れの悲嘆がこれまで見たどの舞台より激しいのである。崩れ落ち、地べたを引きずられるまでが爆発的だ。ぶざまな姿はなお美しく、同時に異常で、おそろしく悲しい。ああ、チェーホフだな、と感じるのは人生が裂けるこういう瞬間だ。

蒼井優の三女イリーナ。セリフまわしは発展途上ながら、速度をきりきり上げ、感情を噴出させる。古風なたたずまいが自然に出るのが、この女優の美質だ。モスクワで理想の恋をする夢を見つづけるが、好きでもない男爵トゥーゼンバフ(近藤公園)から思われる。好きになれなくても結婚するとけなげに決意するあたりは、言葉に酔うまま自分を投げ出す少女の力だ。その結末は……。

長女オーリガのベテラン、余貴美子はもとより達者。抑えをきかせ、ツボをはずさない。諦念をかみしめ、妹たちを抱きしめる優しさが深い。終盤、この女優の確かな演技力がじわじわ効いてくる。

姉妹の家はやがて長男アンドレイの妻ナターシャに支配されていく。神野三鈴がその軌跡を振幅豊かに演じる。田舎育ちの素っ頓狂な身なりでまずは笑わせ、後段、子供を盾にとって子のない姉妹に対し優位にたつ。母性の強権性が声色に表れ、使用人を怒鳴りつける語気も鋭い。アンドレイの赤堀雅秋は異色。賭博にはまって零落するすさみが独特で、家の没落をハラで笑う不気味さがある。欲をいえば、家族の希望の星だった前段が物足りない。個性で演じているだけに伸び代は大きいだろう。

陸軍大尉ソリョーヌイの今井朋彦が聴かせる皮肉味たっぷりのセリフ、軍医チェブトゥイキンの段田安則がここ一番で吐くセリフも力がある。チェブトゥイキンの嘆息はチェーホフ劇中、出色のセリフである。本当に自分は生きているのか、ただ歩いたり食ったりしている気がしているだけなのかもしれない――生の実感がないとうめく名セリフをどう発するか。チェーホフファンなら、このセリフを楽しみに待っている。

段田は意表をついていた。興奮気味に発語するのだ。人生への諦念というより、発作的な怒りが前面に出る。このあとチェブトゥイキンはいよいよ自暴自棄になる。が、最後に起きてしまう悲劇を報告するときは冷徹なイキになっている。この対照も効いている。

ミュージシャン出身でもあるケラは音感に秀でた演出家だ。岸田国士、別役実といった作家の淡々としたセリフ劇を演出しても、言葉の音色を引き出すのが巧み。音楽の起伏をつくるようにセリフの伏線を拾っていく。役者の動作を突然止めるかと思えば、人心を乱すサイレンを心の響きに転じさせ、セリフを吐き出させる(水越佳一音響)。チェブトゥイキンの怒りは、世界の崩壊を感じさせる火事のサイレンと一体になっていた。音色の変化を持ちこんで一挙にバロック的雰囲気にもっていくのは、ケラ一流のセンス。セリフのニュアンス、外界の音、自然の気配などを織り上げるこの「三人姉妹」は音楽的な戯画ともいえるだろう。

北村明子プロデューサーが率いるシス・カンパニーとケラが組んだチェーホフ・シリーズの第2回。前回の「かもめ」より、舞台の練度は高い。とはいえ、チェーホフの森は深い。もっともっと、と期待したくなる。

二村周作美術、服部基照明。最後、シラカバ林を背後にした家の外観が現れる。室内の豪華さと比べ、今にも朽ちそうな板壁に驚かされる。内部は華麗なモスクワの記憶を保っているが、外から見れば家の衰運は明らか。そこで、あの有名な三姉妹の叫び。

時が過ぎれば、私たちも忘れられてしまう。けれど私たちの苦しみは後世の喜びに変わって、あたたかく思い出してくれるだろう。働かなくては――。

たたみかけるセリフが耳に痛い。彼女たちが自壊する社会の犠牲者に見えてきたのだ。それだけに、生きていかなければ、の叫びが切実に胸に飛びこんでくる。

おそらくチェーホフは末期の眼をもっていた。目の前にいる不幸な人たちを死者のまなざしで観察し、言葉を記録していたのではないか。日露戦争や革命が起きる前、崩壊寸前の帝政ロシア。過去の栄光は遠ざかり、田舎は荒廃し、上流も下流になりかねず、子のない女は生産に従事しなければならない。軍隊の行進に希望の響きを聴いたとして、その先に何がある?

先の見えない閉塞感の中でも働いて、ひっそりと死んでいった人たち。それが日本人の似姿に見えるとしたら……。チェーホフ喜劇はやっぱりこわい!(編集委員 内田洋一)

3月1日まで、東京・Bunkamura シアターコクーン。3月5~15日まで、大阪・シアターBRAVA!。

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