治療と仕事、職場で両立 産業医が同席する企業も
「仕事から外されるのだろうか? 何かが断たれる思いだった」。製薬会社で働く宮脇江利子さん(47)は数年前を振り返る。臨床試験に関わる仕事の勉強を始めたばかりで胃がんが分かった。病気は冷静に受け止められたが、手術で長期に会社を休まないといけないと思ったとたん、不安やさみしさがこみ上げた。
病気は上司だけではなく、同僚16人全員に伝えた。「傷病休暇などの制度はあっても、周囲に詳しく知ってもらった方が楽だと思った」からだ。3カ月後に復職。食べられなくなり体力が戻るのに時間がかかるということのほか、仕事については「できない」とは言わず、「電話は全部取る」など何ができるかをアピールした。「言えて良かった。変な負い目を感じずに過ごせた」という。
もちろん病気に理解がある職場ばかりではない。「がんは治らない病気で、戦力でなくなるというイメージは依然強い」(国立がん研究センターの高橋都がんサバイバーシップ支援研究部長)。5年後生存率は年々高くなり約6割。乳がんや前立腺がんなどは9割近い。だが、内閣府が1月に発表した調査では、がん治療と仕事の両立が困難と考える人は65%と高水準だ。
乳がんの手術と薬での治療を受けた都内勤務のAさん(43)も休む都合上、部長にだけは話したが「同僚は、どう受け止めるか分からない」と考え、伏せた。朝のわずかな時間で投薬治療に通うなど、体力的にも厳しいこともあったと明かす。厚生労働省によるとがん治療を受けながら働く人は約32万5千人だが「実際にはそれ以上」(高橋部長)。
病気はがんだけではない。PR会社で営業として働いていた友野光浩さん(40)は2年半前、くも膜下出血で倒れた。「職場に迷惑をかけられない」との思いや「後れを取りたくない」との考えもあり、1年足らずで復帰した。まひなど身体の後遺症は残らなかったのではた目には病気と分からなかったが、感情の起伏が激しく出る、時間や方向感覚などが不安定になるといった後遺症がでて、業務を続けるのが難しくなった。
「社会からの断絶感で復帰を焦る気持ちだけが先走った」と話す。リハビリを受け直し、高次脳機能障害という病気を知る。再就職活動を始め「自分の病気を周りに伝えて、何に配慮しどう対処してほしいかを言う勇気が必要だ」と感じた。1月にマーケティング会社のネオマーケティング(東京・渋谷)に初の障害者雇用枠で入社、営業教育に携わっている。
治療しながら働くには「まず本人が病気と折り合いをつけ、何ができるかをきちんと周囲に伝えること」(NPO法人がんと暮らしを考える会の賢見卓也理事長)。例えばがんの場合、がんが疑われてから確定されるまでは数週間から1カ月程度。治療がうまくいくか分からず、「精神的に不安定で周りとぶつかることも多い時期」。ここで退職してしまうと経済面でさらに困ることにもなる。
本人から説明が難しい時は主治医に協力を仰ぐのも手だ。東京慈恵会医科大学外科学講座の宇和川匡講師は「治療が難しいすい臓がんでさえ、やめる必要はない。社会とのつながりを断たないよう働くことをすすめる」と話す。一定規模の会社には産業医がいるが、必ずしも病気や最新治療に詳しいわけではない。そうした場合の連携に乗り出す病院も増えている。
クレディセゾンでは産業医も社員のいるフロアに座り、病気治療と働き方の相談などにも乗りやすい配慮をしている(東京都豊島区)
会社や職場にとっても闘病中の人の働き方がメリットになることもある。「自分の病気をさらけ出してくれる人のおかげで、子育てなど他の事情も言いやすくなった」(NPO法人キャンサーネットジャパンの山田幸代さん)。ウェブ上で職場全員の「用事」を書き込んだ予定表を共有、通院、参観日など個人の予定の空き時間に仕事を割り振り、会議予定も組む。1日8時間労働でなく、月に160時間働けばフルタイムとする規則を作った。
クレディセゾンでは、通常は会社の医務室などに居ることの多い産業医が人事部ほか、社員がいるフロアに常駐している。病気の治療をしながら働いている社員の健康管理と職務内容をいつでも見直せる柔軟な体制を作る。「女性が多い職場で、もともと育児中の時短勤務などに対応してきたノウハウを生かしている」(戦略人事部)
病気によって働き方を変えなくてはいけなくなったり、能力を十分に発揮できなくなったりする可能性は大きい。がん対策推進協議会の門田守人会長は「8時間働ける人だけを中心に就業規則を考える時代ではない」と指摘する。学習院大の今野浩一郎教授は「定年も延び、病気治療も育児や介護などと同様の1つの制約にすぎない。個々に事情のある社員をどう活用するか、負担が一部に偏らないようにする能力が管理職にも問われている」と話す。