小林研一郎指揮日本フィルのシベリウス「交響曲第2番」情念の起伏強調した“演歌的”解釈

フィンランドの国民的作曲家ジャン・シベリウスの生誕150年にあたる今年、早くもまれにみる熱演が生まれた。「炎のコバケン」として人気の世界的指揮者、小林研一郎が日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した「交響曲第2番」だ。日本フィルは1962年に渡辺暁雄の指揮で世界初のステレオ録音による「シベリウス交響曲全集(第1~7番)」を完成させた。伝統の楽団を相手に、小林は情念の起伏を強調した独自の演歌的解釈で「日本のシベリウス」を聴かせた。

うっすらと雪化粧した1月30日、サントリーホール(東京・港)での日本フィルの「第667回東京定期演奏会 シベリウス生誕150周年プログラム」。指揮台に立つ小林は昨年11月1日、日本フィルから桂冠名誉指揮者の称号を授与された。1974年の第1回ブダペスト国際指揮者コンクールで優勝し、本格的な国際デビューから40周年を記念しての授与だった。ハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽総監督を長く務め、欧州での人気と知名度も極めて高い。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とのマーラー、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団とのチャイコフスキーをはじめ、ロマン派の交響曲のCD録音も多数ある。東京芸術大学の作曲科と指揮科の両方を卒業し、日蘭交流400周年記念の委嘱作「パッサカリア」などの作曲家でもある。日本人指揮者としては破格の実績を持つマエストロがシベリウスの交響曲をどう聴かせるのか、非常に興味がある。

シベリウスに入る前に、まずグリーグの「ホルベルク組曲 作品40」とモーツァルトの「オーボエ協奏曲ハ長調 K.314」が演奏された。グリーグは19世紀後半に活躍したノルウェーの国民楽派の作曲家だが、「ホルベルク組曲」はバロック風の古風な作品だ。曲名にあるルズヴィ・ホルベア(ホルベルク)はノルウェー文学の父といわれる作家で、彼の生誕200年記念祭のために作曲されたのがこの組曲という。「サラバンド」「ガボット」といったバロック風の古典形式の中に親しみやすい旋律をはめ込んだスタイリッシュな曲調が、20世紀のレスピーギやプロコフィエフらの新古典主義の作品群を想起させる。小林の指揮では北欧のバロック時代への憧れを叙情豊かに素直に歌い上げた。

2曲目のモーツァルトの「オーボエ協奏曲」では、日本フィル首席奏者の杉原由希子がオーボエ独奏を担当した。当初は日本フィルにエキストラで参加していたオーボエ奏者だが、同フィル首席指揮者のアレクサンドル・ラザレフからその演奏を高く評価され、2010年に入団したという。冒頭から溶けてしまいそうなほど軽やかで柔らかい音色を披露した。小林の指揮も作品全体をまろやかに上品にまとめていて完成度が高い。現代仕様の楽器による演奏としては上質なものだ。

休憩を挟んで、満を持してのシベリウスの「交響曲第2番ニ長調 作品43」が始まった。第1楽章は遅めのテンポだ。しかし曲が進むと、小林の指揮が単に遅めなのではなく、緩急の付け方が非常に大きいことが分かってくる。沈黙の間の取り方も長い。堰(せき)を切るように盛り上げる部分は逆に思い切り速い。音の強弱の幅と抑揚も極端に大きい。分厚い弦楽器の響きは、果てしなく風にそよぎざわめく北欧の森のようだ。それだけに休止の間に広がる倍音の残響の効果が壮大なスケール感を生む。何かの合図を送る鳥の群れの鳴き声のように、木管が細かく速い同和音のトレモロを鳴らす。ゆったりと流れる音楽の中に、河床の起伏に挟まれた急流が見え隠れする。感情の起伏、情念のドラマだ。コバケン節の始まりである。

展開部の盛り上げ方は厚みのある響きと相まって重量級の迫力だ。それでいて音響の彫りが深く、すべての音符が明瞭に聞こえる。シンフォニックな構造が浮き彫りになる。マーラーやチャイコフスキーについては雄弁な小林だが、シベリウスについて意見を求めると、何もしゃべることはないと断られた。その理由は演奏を聴いて分かった。シベリウスの交響曲を巡って一般的な解説をしたくなかったのだろう。なぜか。「コバケンのシベリウス」だからだ。

シベリウスが「交響曲第2番」を書き上げたのは、愛国的作風の交響詩「フィンランディア」が初演された2年後の1902年。ロシア帝国の圧政下にあったフィンランド人の間で民族自決の機運が高まっていた時代の作品である。シベリウスには民族ロマン主義や国民楽派の枠組みでは理解しきれない作品も多い。特に後期の「交響曲第7番」などは現代音楽に近い前衛的作風だ。しかし、「交響曲第2番」に限っていえば、純然たる民族ロマン主義の傑作として捉える方が自然に思える。小林は民族ロマン主義、もっと言えば、個人の感情のドラマとしての「ロマン主義」の音楽として「第2番」を思い切り鳴らしたかったのだ。小林が得意とするマーラーやチャイコフスキーに通じる豊穣(ほうじょう)なロマンに満ちたシベリウス。この素朴なアプローチは「第2番」に関してはとてつもなく大きな感動を呼び起こす。演歌的表現をためらわずに全面展開させた「日本のシベリウス」である。

「小林さんが指揮する公演には評論家の皆さんがあまりいらっしゃらないんですよ」と日本フィルの関係者は残念がる。一見単純で素朴な作品解釈が専門家ウケしないのだろう。しかし嘆く必要はない。小林はクラシック音楽の故郷、欧州で高い評価を受けてきた。ハンガリー国立響を指揮していた頃、「コダーイの『ガランタ舞曲』でもっと汚い音を出してくれと指示しました」と小林は振り返る。ハンガリーの聴衆の琴線に触れる荒々しく土着的なサウンドが生まれたという。ブラームスの「交響曲第1番」では「弓が燃え上がるような弦楽器の響きだが、特殊な弓で弾かせているのか、と質問されたことがある」と語る。こうした小林ならではの音作り、とりわけ日本の情念が宿る演歌的アプローチこそ、独自性のみに敬意を表する欧州人に熱狂的に迎えられた理由だ。

フィンランド的でも西欧的でもない「日本独自のシベリウス」は評価されうる。フィンランド放送交響楽団首席指揮者のハンヌ・リントゥは「渡辺暁雄指揮日本フィルによるシベリウスの『交響曲第2番』のレコードを聴いたことが、私の音楽体験の原点」と1月の日本記者クラブでの講演で語った。小林は欧州を熟知する指揮者だからこそ、日本人の情緒と情念のドラマを、気取らず、確信を持って思い切り表現できるのだ。

第2楽章のテンションが異常に高い。本来は静かでゆっくりした印象の緩徐楽章のはずだが、音量が大きく、速い音楽に聞こえる。各楽器のリズムのかみ合い方が難しい楽章だ。哀愁の旋律と牧歌風ののどかな旋律が交互に現れるが、間の取り方は大胆で、金管の鳴らし方も強い。感極まったところでの合奏の爆発力はものすごい。これだけ音が大きい第2楽章は珍しい。

第3楽章の「スケルツォ」も流れよく聞こえるが、随所にねちっこい強調がある。緩やかな曲想の部分では弦楽器をこれでもかと伸びやかに歌わせる。そして最後の第4楽章へと向かう明るい曲想が立ち現れる。

第4楽章は第3楽章から切れ目なく続く。ここで3拍子の明るいニ長調の主題が弦楽合奏で堂々と現れるわけだが、これまでのテンションが高かったために、相対的にやや迫力に欠ける気がした。このまま熱量が不足気味となってバランスを崩してしまうのか、と思いきや、すぐにトランペットの輝かしい栄光のファンファーレが強烈に鳴り響いた。第4楽章にはまだまだ聴き手の感情を揺さぶる仕掛けが幾重にも控えている。現時点で感極まる状態になっているならば、もうこれ以上は涙なくしては聴けないだろう。そこが「交響曲第2番」のものすごさだ。もう無理だ、これ以上は受け止められないから、この辺でやめてくれ、とさえ思い始める。

それでも容赦なくコバケンの音楽は続く。そしてついに、北国の暗い情念を思わせる短調の有名な反復旋律が姿を現す。最初は短く、静かに、厳かに。日本シベリウス協会の新田ユリ会長は、シベリウスの作品の特徴を「同じ曲想が2度と出てこない。一筆書きのような音楽」と指摘する。「交響曲第4番」や「第7番」などはそうだ。しかし「第2番」はむしろ同じ音型の反復が強調される異例の作品といえる。

再び明るい長調の第1主題が力を増して現れる。トランペットの輝かしいファンファーレも添えられ、展開部が頂点へと向かう。限界まで出し切る日本フィルの強音の合奏力は見事だ。音を外したら大ごとになる局面だが、金管はためらいなく鳴らしまくる。木管群が2音間のトレモロを遅くした音型を行進曲風に繰り返す。栄光に満ちた旋律が高らかと歌い上げられる場面だけに、その旋律に執拗にまとわりつく木管群の2音反復の伴奏は不気味な効果を上げる。感受性の強い子供なら両手で耳をふさいでしまうかもしれない。

最大限に盛り上がったところでさらに暗転し、いよいよ終結部。例の暗い短調の短い旋律がこれでもかというほど反復される場面にたどり着く。暗い情念の旋律が延々と繰り返される。こうした魔術的反復の曲想はラヴェルの「ボレロ」にも当てはまるが、シベリウスの方が時代的に先であり、不屈の情念の旋律が一歩ずつ階段を登っていくような盛り上げ方はより感動的である。小林はもう指揮棒を振っていない。右腕を真っすぐ上に伸ばし、指揮棒で天上をさしている。これまでの最大限よりもさらに高みを要求しているのだ。シベリウス作品に詳しい指揮者の井上喜惟は「第2番全体にいえるが、(ここは)敬虔(けいけん)な祈りの場面。安寧を願うキリスト教徒がひたすら繰り返す祈りを感じる」と指摘する。

いつしかニ短調がニ長調へと明転し、光が差してくる。苦悩から勝利へ。単純な筋書きではある。しかしこうした単純さから偉大な感動が生まれることを覚えている指揮者はあまり多くないのではないか。「すべて偉大なものは単純である」とフルトヴェングラーは言った(芳賀檀訳「音と言葉」新潮文庫)。小林は音楽が持つ炎のような原初の力をオーケストラから最大限に引き出した。怒とうの拍手と歓声が伝えている、「炎のコバケン」の愛称を「称号」として贈りたい、と。

(編集委員 池上輝彦)

シベリウス:交響曲全集

演奏者:渡邉暁雄
販売元:日本コロムビア

チャイコフスキー:交響曲第4番、イタリア奇想曲

演奏者:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 小林研一郎
販売元:オクタヴィアレコード