日本人はなぜ豆を投げるのか 「節分」民俗学歴史豆知識

2月3日は節分。「福は内、鬼は外」と掛け声をかけながら豆まきをして鬼や邪気を退散させる行事は、いかにも華々しい。ところで日本人はなぜ豆を投げるのか、国立歴史民俗博物館などで研究を続けてきた民俗学の新谷尚紀・国学院大学教授に「節分」にまつわる疑問を解いてもらった。

昨年の節分で参拝客に豆をまく(大阪府寝屋川市の成田山大阪別院)

【なぜ豆を投げるのか】「日本人独特の『穀霊信仰』の表れ」と新谷教授は解説する。農耕民族として長い歴史を持つ日本人は、「五穀」(米、麦、ひえ、あわ、豆)に災いを払う霊力があると信じてきた。古事記には米をはじめ穀物に由来のある神様が登場する。今日でも神社などでは「散米」の行事が執り行われる。祓(はら)いや清めの目的で米をまき散らし、米の霊力によって悪魔や悪霊を退散させるわけだ。さらに進んで日本人は酒やご飯などのいわば加工品にまである種の霊力が備わっていると見なしてきた。「大豆の霊力を利用するのは『散米』と同じ」(新谷教授)なわけだ。

新谷尚紀・国学院大学教授

豆まきの習俗は室町時代には定着していた。「看聞御記」と呼ばれる当時の皇族の日記には応永32年(1425年)1月8日の節分に「鬼大豆打」と記されている。さらに室町後期に武家の礼法について書いた「今川大双紙」という書物にも「節分の夜の鬼の大豆をも、御年男きんずる也」とされている。

ただ「豆まきには鬼を払う意味と、豆を投げ与えて恵んでなごませる意味の2つがある」と新谷教授。戦国期の連歌師・宗長が「福は内へ いり豆の今夜もてなしに 拾ひ拾ひや 鬼は出(いず)らん」と節分を詠んだ一首がある。鬼が豆を見て「これももてなしか」と拾って食べていくうちに家から出て行くというユーモラスな内容だ。

【なぜ鬼を祓うのか】古代の日本には月の満ち欠けで暦を決める旧暦と、太陽の運行で決める「二十四節気」とがあった。「立春」は二十四節気の中で1年の始まりを指し、「節分」はその前日だ。もともと節分の日には縁起の良い方向へ向かう「方違(かたたが)え」をして静かにみそぎをする習わしだったという。一方、元旦の前日である大みそかに邪気や疫鬼を払う「追儺(ついな)」は8世紀前半から宮中行事で行われていた。新谷教授は「追儺の行事は『源氏物語』などにも記述が見られる」としている。旧暦は現在の太陽暦より約1カ月後ろへずれこむので古代の元日・立春と大みそか・節分は日程上現在よりだいぶ近い。寺社でも僧侶が邪気を祓う正月の「修正会」や「修二会」が行われていた。鎌倉・室町時代には古代の追儺の行事が形骸化するともに、それが寺社に取り入れられて豆で鬼を祓う行事へとなっていき、武家や一般へと普及していったという。

昨年の節分で成田山新勝寺で豆まきをする白鵬関(千葉県成田市)

【誰が豆をまくのか】千葉県の成田山新勝寺では大相撲の力士や有名スターらが豆をまく。その華やかな光景はもう節分の風物詩のひとつだ。しかし新谷教授は「室町時代は豆まきの役を避けたがるのが一般的だった」と説明する。実際「看聞御記」には豆まき役を嫌がる若い公家のことが記されている。「祓い・清めの役は災厄や汚れに関わる卑しい役目だと思われていたようだ」(同教授)。そこで厄年の男が自らの厄払いを兼ねて務めるようになったのだという。スターらが豆をまくようになったのは最近で、成田山新勝寺では1968年(昭和43年)からだ。厄払いの意味は失われて、むしろ力士の力強さにあやかる意味へと変わってきている。

【なぜ「鬼は外」と言わないのか】その成田山新勝寺は「鬼は外」とは言わない。掛け声は「福はうち」だけだ。ご本尊の不動明王の霊力がきわめて強力であるため鬼は外に追い立てるまでもなく屈服させているという考えだ。各地の「鬼子母神」や「鬼王神社」などでは「鬼はうち」と呼ぶケースもある。そもそも神社などに「鬼」の字が使われるのはなぜか。「日本の鬼には『悪い』以外に『強い』という意味も含まれているため」(新谷教授)。同教授は「必ずしも恐怖と邪悪の対象ではない。日本の鬼は西洋のデビル・デーモンと同じ存在ではない」と力説する。西日本の寺社では参拝者の厄を祓い、福を与える鬼もいるという。

ノリには「合格祈願」などの文字が入っている恵方巻き

【恵方巻きはいつから始まったか】スーパーやコンビニエンストアには節分コーナーが設けられ、豆製品や恵方巻きなどが立ち並ぶ。歳徳神のいる縁起の良い方角(恵方)を向いて太巻きずしを無言で丸かぶりする恵方巻きは、江戸時代に流行した「恵方参り」のアイデアを節分に復活させたものだ。大正時代に始まったともされるが実ははっきりしない。豆まきはお祓いと招福がセットになっているが、恵方巻きには招福だけで祓いの要素がないのも異色だ。ただ新谷教授は「時代の移り変わりとともに伝統行事も形を変えていく方が自然」と指摘する。各地の農業社会と密接に結びついていた日本の古いしきたりや慣習は、1960年代の高度成長期をひとつの境にして多くが廃れていった中で節分が生き残ったのは、子どもや若者が楽しめる行事であり、それが伝統行事の経済化・商品化の流れとうまく適合したためだろう。節分の豆まきは、今後も微妙に形を変えながらも欠かせぬ伝統として伝えられていきそうだ。(電子整理部 松本治人)

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