明治以降、世界に広がる 日本人超える強豪も誕生囲碁を愛した人々 吉原由香里(3)

2015/1/28

発祥こそ日本ではないものの、江戸時代に飛躍的に発展した囲碁は、明治に入って世界に広がり始める。

 欧州では早くも1881年に囲碁の書籍が出ている。出版したのは東京大学講師として来日経験のあるドイツ人のオスカー・コルシェルト。滞在中に囲碁を習おうとしたところ、本因坊家の家元で大人物と言われる村瀬秀甫八段が「碁はこれから世界に広めねばならぬ」と受け入れた。お雇い外国人が重用されていた時代で、村瀬八段も大喜びだったろう。

第1回日中スーパー囲碁(1984~85年)で藤沢秀行九段(前列左から2人目)に勝った聶衛平九段(右から3人目)=日本棋院提供

 コルシェルトは帰国後に囲碁を紹介し、ドイツは欧州で盛んな国のひとつになった。同国出身では、かの物理学者、アインシュタインも囲碁を打った。5級から初段程度の腕前だったと思われる。当時の欧州では相当な強豪だったはずで、さすがは天才学者だ。

 時代が下ると日本への留学生、海外駐在の日本人などが囲碁を広める。日本のプロ棋士も手弁当で普及に努力した。日本の果たした役割は大きく、それは世界で使われている言葉にも表れている。囲碁は、中国では「ウェイチー」、韓国では「バドック」と呼ばれるが、英語では「GO」だ。囲碁用語の「ダメ」「コウ」も「DAME」「KO」と表す。

 現代では、世界70カ国超、4千万人が愛好している。囲碁人口は中国がトップで、韓国、日本、台湾、タイと続く。毎年の世界選手権にはエクアドルや南アフリカなどの参加もあり、囲碁の広まりを実感する。

 プロ制度があるのは日中韓と台湾、米国、欧州だ。とはいえ米国、欧州にできたのは、ここ数年のこと。江戸期に成立した日本と比べると、中韓でさえ歴史は浅い。日本では中韓出身棋士が活躍しているが、彼らが子供の頃には各国でプロ制度が熟成しておらず、日本で修業したという棋士が多い。

 いま囲碁が最も強い国はというと、中国と韓国であると認めざるを得ない。

 その中国で囲碁の組織がまとまったのは1950年代で、60年代には国が管理するようになった。このころには日本のプロ棋士が訪れて、交流を始めている。中国で囲碁指導に熱心だった宮本直毅九段は、当時の周恩来首相や陳毅外相らと宴席をともにしたほどで、中国のトップは囲碁をとても重視した。

 文化大革命で一時低迷したが、82年にプロ制度ができ、囲碁熱が急上昇したのは85年のこと。NECが協賛した日中団体戦の「第1回日中スーパー囲碁」で日本に勝ったのがきっかけだ。

 当時の中国は世界的に活躍する競技がバレーボールくらい。囲碁で世界をリードした日本を負かし、活躍した聶衛平九段は国民的大スターとなった。圧勝を予想した日本側は驚かされたようだ。今ではたくさんの中国の子供が「プロになる」「知能向上」をめざして囲碁を学ぶ。

 韓国では、1945年に漢城棋院(韓国棋院の前身)が設立された。昭和を代表する棋士のひとりの木谷実九段の門下だった趙南哲氏が中心となった。当初は日本で修業した棋士が活躍していたが、次第に国内で棋士が育っていく。90年代には李昌鎬九段らが何度も世界一を獲得するようになった。

 日本はここ10年ほど世界戦の優勝がめっきり減っており、中韓の後塵(こうじん)を拝していた。ただ2013年に井山裕太九段がテレビアジア選手権で優勝し、14年は20歳以下のグロービス杯で一力遼七段が優勝するなど、少しずつ盛り返している。

 こうして日中韓が競うなか、囲碁は外交でも活躍している。13年に北京で開かれた中韓首脳会談では、晩さん会に有名棋士が同席して歓談。翌年のソウルの会談にも韓国棋士が同席した。囲碁は人と人をつなぐと実感する。(囲碁棋士六段)