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阪神大震災20年「減災社会へ市民・NPOの役割は」 関係者・識者3氏座談会

2015/1/17

1995年の阪神大震災は行政による災害対応の限界を示した半面、共助(助け合い)の重要性を浮き彫りにし、後に「ボランティア元年」と言われた。非政府組織(NGO)やNPOによる支援の試みはその後、多くの国内外での被災地支援を経て社会に根付き、東日本大震災でも存在感を示した。98年に議員立法で成立した被災者生活再建支援法も阪神地区での市民運動がベース。「市民」が果たした役割は大きい。南海トラフの巨大地震、首都直下地震などを見据え、どう減災社会を創っていくべきか、そこで市民やNPOなどはどんな役割を果たせるのか。関係者・識者3氏に議論してもらった。(司会は編集局産業地域研究所主任研究員 川上 寿敏)

堀内正美氏(ほりうち・まさみ)=認定NPO法人・阪神淡路大震災「1.17希望の灯り」(神戸市)前代表
1950年生まれ。俳優。阪神大震災を機にボランティア団体・がんばろう!!神戸を結成し、被災者を支援。被災者遺族らの交流活動や、東日本大震災の被災者支援にも取り組む。
村井雅清氏(むらい・まさきよ)=被災地NGO恊働センター(神戸市)代表
1950年生まれ。阪神大震災の際、ボランティア団体・ちびくろ救援ぐるうぷ事務局長として被災者支援に取り組む。その後、国内各地の自然災害で被災地を支援。神戸学院大客員教授、日本災害復興学会理事なども歴任。
津久井進氏(つくい・すすむ)=日弁連災害復興支援委員会副委員長、弁護士
1969年生まれ。阪神大震災の直後に弁護士になり、法律相談に取り組んだ。その後も各地の災害復興にかかわる。阪神・淡路まちづくり支援機構事務局長も務める。

司会 阪神大震災ではどんな活動をしたのか。東日本大震災を含め、その後の活動は。

堀内正美氏

堀内氏 東京から神戸市に移り住んで11年目に震災が起きた。長田区などの惨状を見ていく中で、自分たちができることをとの思いで被災者支援のボランティアを始めた。FAXで全国に情報発信して支援物資を集め、避難所、テントなどに必要なモノを届けた。当初、主婦、学生ら約1500人が参加した。ミシン工だった人たちが仮設住宅などにいる様子を見て、仕事の場をつくろうと、バッグなどの小物を製作してもらった。「made in KOBE」の頭文字を取り、MIKというブランドで販売も手がけた。

98年からは震災の遺族だけでなく、兵庫県明石市の歩道橋事故や地下鉄サリン事件など様々な事件・事故の遺族も集い、喪失・悲嘆を皆で語り合う場を設けてきた。慰霊とともに自らの生きている証しをつくろうと、全国から種火を集めて2000年1月17日、神戸市の東遊園地にモニュメント「希望の灯(あか)り」を建立した。

東日本大震災では、どう個と個をつなぐのかを考え、まず支援物資という発想をやめて被災者へのプレゼントとして、バッグの中に2泊3日分の服や新品の下着などを詰め、手紙を添えて贈るプロジェクトに取り組んだ。年代、性別、身長などを明記し、現地での仕分けなどを不要にした。3月から8月までに全国から約5万個が集まり、福島、岩手、宮城3県の被災者に届けた。「希望の灯り」を分灯して福島県南相馬市と岩手県陸前高田市、大槌町の3カ所に同様のモニュメントも建てている。

村井雅清氏

村井氏 私は阪神の直前まで長田のケミカルシューズの業界で働き、靴作りをしていた。自分の工房は焼けなかったが、水が入り使えない状態になったので、被災者支援の拠点になっていた近くの保育園に行き、それがきっかけで活動を始めた。小さな避難所を中心に炊き出しや救援物資を届けて回った。被災者に足湯につかってもらい、彼らのつぶやきを聞くほか、ゾウの形に加工したタオル「まけないぞう」を考え、被災者の収入源として手仕事をつくったのもこのころだ。

阪神後、新潟県中越地震や能登半島地震、中国・四川大地震をはじめ国内外の約50地域で被災地支援にかかわってきた。3.11では直後から岩手県遠野市を拠点に大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市で神戸大の学生たちと避難所を回り、足湯などに取り組んだ。震災関連死は、避難所でのストレスが大きな原因と言われる。被災者のつぶやきを聞くことが心の自立の一歩につながると気づき、東大被災地支援ネットワークと共同で分析をしている。

手仕事の意味も大きい。被災者が元気になる。今もまけないぞうの作り手が被災3県に約80人いる。あまねく平等が行政の決まり文句。そうではなく、一人ひとりにどう向き合うかが重要だ。どう寄り添うかを原点にしないと、被災地の再建はなかなか進まない。

津久井進氏

津久井氏 阪神の時は司法修習生で、埼玉にいた。他の修習生に呼びかけ、95年3月に約90人のボランティアが被災地に入った。法律相談はできないので、がれきから思い出の品を取り出したり、被災者の話を聞いたりした。この経験は大きく、3.11でも生きた。これを原体験として4月から弁護士生活が始まった。地元なので、JR福知山線の脱線事故にもかかわっている。ノンフィクション作家の柳田邦男氏と出会い、「2.5人称の視点」を知った。第三者(三人称)ではなく、当事者(一人称)や家族(二人称)でもない、その間にいて初めて真実に近づくことができると。

災害の時には後方支援も重要になる。阪神大震災の時には、大阪弁護士会が災害に関連する法律のQ&A集をわずか1週間ほどで作り、1月25日には届いた。それを基に神戸の弁護士は相談業務ができた。3.11では、この大阪の役割と同様のことをしようと取り組んだが、日弁連の動きは鈍く、自主的に被災地の弁護士のために情報発信をした。阪神以来のノウハウが蓄積できていたからできた。

司会 そもそも復興とは何なのか。阪神の際には、単なる復旧をイメージする人も多く、まだ固まっていない概念だった。

堀内氏 私は復興という言葉は使わない。どうしても元に戻すイメージがある。人的にも物的にも元には戻せない。新たなる再生、生み出していくもの。それは以前と違う形になって当然だ。

村井氏 難しい。「初心忘るべからず」でなく、「その時々の初心忘るべからず」だ。状況は変化するし、初めからこういう計画でいくというのは難しい。神戸もまだ復興をなし得ていない。20年もあると、途中で新たに色々な問題が出てくる。「復興災害」という言葉すら生まれた。100%はありえない。象徴的なのは、再開発してビル群になったJR新長田駅の南側の商店街の疲弊。元の長田に戻すのは不可能だが、長田らしい心優しいコミュニティーの再建はできるのではないか。当事者の暮らしに全く目がいっていない。それがないと復興はない。

津久井氏 被災は過去・現在・未来の営みが破断されること。再生はその関連をもう一度結び直すこと。過去と切り離すと、その先は単なる開発にすぎない。未来がないと、いつまでも復興感が得られない。人間は歴史を背負って誇りを持ち、何をめざすかがあるから希望を持って生きていける。この営みを新長田の場合は切っている。神戸では一人ひとりの過去・現在・未来をつむぎ直せなかったから、一部の人にとってはいまだになし得ていないままなのではないか。

司会 被災者生活再建支援法ができたのは阪神大震災をきっかけとした市民運動。私有財産形成に関与しないとする国を突き動かした。

津久井氏 再建支援法ができてよかった点は、被災者に公金を出さないと言っていた壁を破れたのが1つ。2つめは市民の成功体験。法律は上から降ってくるものでなく、自分たちで作るものだという体験を得た。3つめは災害を繰り返す中で改正・バージョンアップしていくしつらえをした点。内容については、当初、住家は対象外だった。金額も不十分との意見もある。災害が起こるごとに声を上げていかないといけない危うさはある。今も支給額切り下げの動きが出てきている。

阪神を基に作った法律なので、他の災害ではうまくあてはまらないことがあるのも課題だ。中越では、地盤の被害に手当てする必要が生じた。東日本では生業の再建に使えない問題が浮かんだ。漁師小屋や農業小屋の再建など生業にも支援金を出せるようにしないと、「生活再建」というのが名前倒れになる。

村井氏 働く場を下支えするような仕組みが支援法にはないといけない。現状では、緊急雇用などでカネをばらまいて終わってしまっている。きめ細かな生業支援がいる。

司会 東北の復興で、阪神の経験が生きている面や今後生かせることはあるか。

村井氏 阪神で失敗したことを見て反面教師にしてほしい。東北からは長田の復興まちづくりも見に来ている。その地域の文化や特性を生かした復興に取り組んでくれればと思う。

津久井氏 災害復興は個々から出発するという文化は阪神で初めて築いた文化。それまでは何事も上からというのが、日本全体の文化だった。一人ひとりの被災者、ボランティアがつながり、その成果は大きく、深いという認識を共有した。いまは復興庁をつくり上からの復興だが、一人ひとりがやりがいを見つけて人生を再構成していくことの大切さを神戸から東北へ輸出できたら、東北に希望が生まれる。

堀内氏 阪神大震災で初めてパブリックに個がかかわった。その発想で東日本の被災地に行ったが、現地では「まず役所へ」と逆戻りしている気がする。まだ少ないが、若者や、それに気づいた人たちはいる。そういう人たちを支援していくことが必要だ。

司会 被災地支援や復興で、NGO・NPOが果たしてきた役割をどう自己評価するか。

村井氏 NGOはnon-governmentだから、政策提言をして社会を変えていく一助になることが最大のミッションだ。従来の人権NGO、環境NGOなどは別として、これまで十分にはできていなかった。いろいろなことを叫んではきたが、それだけではダメ。工夫がいる。被災地のNGO・NPOがまとまってそれをできていないのが課題だ。

津久井氏 NGO・NPOが社会を変えたのは間違いない。少なくとも3.11ごろまでは、人々が動くことで何かが変わるという実感を国民に与えてきたと思う。それがあまりにも大きな災害で、国民全体が無力感にさいなまれた面が否めない。自主・自立というボランティアの本質を見直し、現状を打開しないといけない。

司会 東日本の復旧・復興を見ると、NPOが企業・自治体と連携する新しいステージに入ってきているように映る。

津久井氏 進化しているのは間違いない。企業もNGO・NPOを「使える」とみているのではないか。

堀内氏 想定しない災害が増える中、旧来型の秩序では対応しきれない時代に入ったということだ。企業が空母なのに対し、NGO・NPOは手こぎボートで動き回ってニーズを見つけてくる。その意味で連携はさらに広がるのではないか。

司会 今後、どのような取り組みを。

津久井氏 関西学院大災害復興制度研究所での試案づくりにもかかわったが、ぜひ災害復興基本法を実現したい。復興は災害後にバタバタしている時に考えることではない。南海トラフの巨大地震など、次なる災害が来る。いま自分たちはたくさんの課題を抱えている。あるべき姿を考える絶好のチャンスではないか。

村井氏 20年前からNGOの看板を下ろさず、認可も受けずに一貫して活動してきた。災害の時、手当てを受けていない人が必ず残る。最後の一人の声を誰が代弁して、問題を行政に届けるのか。それがNGOだ。社会の課題は細分化されてきている。よりきめ細かく対応していく必要がある。何年か前のダボス会議で、防災にもレジリエンス(心理学では抵抗力、復元力を指す)が必要との意見が出た。しなやかな力を次に担う若い人たちがどれだけ身につけられるか、その手伝いをしたい。

堀内氏 均質なものを提供するという行政の発想は変わらない中、一人ひとりの関係性の中で支えるNGO・NPOの役割は今後も高まる。災害後の関連死抑制や減災で行政が手を出せない部分にいかに知恵を出していくか、市民の力が問われる。市民が自律した社会をつくらなければならない。

(1月19日発行「日経グローカル」260号に関連記事を掲載)

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