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「ベートーヴェン弦楽四重奏曲 中・後期8曲演奏会」 心に染み入る深い精神世界に浸る

2015/1/15

大みそかにベートーベンといえば、普通は「第九」こと「交響曲第9番」を思い浮かべる。最近では指揮者の岩城宏之氏が始めた交響曲第1~9番全曲演奏会を挙げる人もいるだろう。しかし、より深い世界をしんみりと味わいたい人には弦楽四重奏曲がいい。中・後期の弦楽四重奏曲8曲の連続演奏会で深遠な精神世界に聴き入ってから新年を迎えてみた。

東京・上野の東京文化会館。大みそかのこの日、同館大ホールでは「炎のコバケン」こと小林研一郎指揮の岩城宏之メモリアル・オーケストラによる「ベートーヴェンは凄(すご)い!全交響曲連続演奏会2014」が午後1時から深夜11時半過ぎまで開かれた。入り口には「完売」の貼り紙がある。当日券もないのだ。そこで向かったのが、すぐ隣の同館小ホールで午後の2時から9時半まで催された「ベートーヴェン弦楽四重奏曲 中・後期8曲演奏会」。ベートーベンの弦楽四重奏曲は全部で16曲ある。うち半分の8曲を3つの弦楽四重奏団が交代で連続演奏しようという企画だ。

ベートーベンといえば交響曲が金字塔との印象が強いが、弦楽四重奏曲も質量ともに音楽史に燦然(さんぜん)と輝く傑作群である。バイオリン2人とビオラ、チェロの合計4人で奏でられる弦楽四重奏の世界は、オーケストラに比べればこぢんまりとしていて一見地味だが、そのシンプルな編成から生み出される音の宇宙は広く深い。コバケンの指揮で交響曲全曲を聴ける人がうらやましいが、ここはストイックに構えて弦楽四重奏曲に耳を傾けよう。「こっちの方が通かも」なんて、けちなプライドも頭をもたげる大みそかだ。

演奏会に先立って午前11時半から1時間余り、東京文化会館の会議室で「ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を語る」と題した入場無料のレクチャーがあった。作曲家兼ピアニストで東京芸術大学教授の野平一郎氏ら3人が、ほぼ満席の会場で講演した。慶応義塾大学教授の平野昭氏は「後期の弦楽四重奏曲は『第九』の後に作曲された」と強調し、「フーガと変奏曲が重要な形式になっている」と語った。東京芸大教授の土田英三郎氏は「後期の作品群はシューベルトが一連の弦楽四重奏曲を書いた後に作曲された」と指摘した。「第九」後、シューベルト後のベートーベンの集大成なのだ。弦楽四重奏曲の方が大みそかにふさわしいではないか。

小ホールは満席とは言い難いが、熱心に耳を傾けている年配の客が多い。演目は中期の第7~9番から始まり、後期の第12~16番と続く。1曲終わるごとに10分程度の休憩が入る。

最初に登場したのは結成20周年というクァルテット・エクセルシオの4人で、第7~9番を演奏した。通称「ラズモフスキー第1~3番」の3点セットで、ベートーベンが35歳だった1806年の春から秋にかけて主に作曲された。ウィーン駐在大使を務めたロシアのラズモフスキー伯爵に献呈されたため、ロシア民謡風の叙情的で哀愁を帯びた旋律が時折聴ける。

「第7番ヘ長調 作品59の1」は第1楽章の音量がやや小さい感じがした。チェロの大友肇氏を除き3人が女性奏者で、第1バイオリンの西野ゆか氏が終始リードする印象を受けた。メロディーラインが引っ切り無しに流れ、歌がくっきりと浮かび上がる。

10分の休憩を挟んで「第8番ホ短調 作品59の2」では4人のノリが良くなった。やはり第1バイオリンが終始リードする形だが、第3楽章のアレグレットはロシア風の哀愁が漂ういい雰囲気だ。フィナーレはさらにノリがいい。長調と短調がめまぐるしく入れ替わり、感傷的で激しい曲想は後期の「第15番」をも予感させる。3曲中、最も感銘を受けた演奏となった。

続く「第9番ハ長調 作品59の3」もロシア風。そのみずみずしさは後のチャイコフスキーの「弦楽セレナード」や「弦楽四重奏曲」を予感させる。第3楽章のフーガはもっと劇的な力強さがあってもよかったが、楽聖の緻密な構成力に触れた気がした。ここまでが中期の作品。

いよいよ「第九」後に作曲された後期の作品群へと入っていく。もう午後5時。いつのまにか日が沈んだ。夕闇の中で輝きを増す上野駅のネオンを見て、今年も終わりだと思う。年配の客もまだ帰る気配がない。

舞台に登場した古典四重奏団もエクセルシオと同様、チェロの田崎瑞博氏を除く3人が女性奏者。「第12番変ホ長調 作品127」では、やはり第1バイオリンの川原千真氏が終始はっきりしたメロディーラインを描いていく。ベートーベンの弦楽四重奏曲がこれほどまでに歌謡的だったとは。第1楽章でチェロの音程にやや不安な箇所もあったが、すべて暗譜で弾きこなすのは見事だ。

チェロの田崎氏は言っていた。「欧州に長く滞在していたメンバーはいないが、それでいい。欧州に追従した演奏はしない。自分たちの感性を信じ、独自の発想で作品の深淵に迫る。ベートーベンもそう望んでいる」。そういう田崎氏らの演奏から感じられるのは、「ベートーベンには歌がある。ベートーベンに歌わせたらすごい」と昼時のレクチャーで野平氏が講じたようなメロディーラインの美しさだ。

古典四重奏団が演奏したもう1曲は「第13番変ロ長調 作品130」。暗譜ながら力強い演奏だ。第5楽章まではどれも短いが、第1バイオリンが絶えず語り続ける。第6楽章の「大フーガ」は、緻密な対位法による音の構築物の中にもメロディーがあり、歌を確認できる演奏だった。

隣の大ホールではコバケン指揮の交響曲全曲演奏会が続いている。今ごろは「交響曲第6番『田園』」あたりまで来ているだろう。「私は弦楽四重奏の方が好きですので」と年配の女性が休憩時間に話していた。励みになる。こちらにいる客こそ通だと自分に言い聞かせる。あと残すところ最晩年の弦楽四重奏曲第14~16番の3曲のみとなった。

最後の登場はルートヴィヒ弦楽四重奏団。バイオリンの小森谷巧氏と長原幸太氏が読売日本交響楽団のコンサートマスター、ビオラの鈴木康浩氏も読響のソロ首席奏者だ。チェロの山本祐ノ介氏は東京交響楽団の元首席奏者であり、全員がオーケストラでの豊富な演奏実績を持つ。4人の楽器がより均等に鳴る演奏だ。パンフレットを見ると、エクセルシオや古典四重奏団とは異なりバイオリンを第1と第2に分けて表記せず、2人とも単に「バイオリン」となっている。4人平等の多声的な響きを追求しているのか。

彼らの気負わない職人芸が最晩年の作品の境地に合う。「第14番嬰ハ短調 作品131」では第1楽章の緩やかなテンポの「アダージョ」から深遠な精神世界に引き込まれる。込み上げる感情を各楽器が抑え気味に淡々と紡いでいく。旋律というよりも、ゆっくりと移り変わっていく音響だ。バランスの良い演奏といえる。最終楽章は憂愁の行進曲。胸いっぱいのかなしみの感情を力みなく、節度をもって表現していく。枯淡の味わいだ。のちのブラームスの室内楽につながる響きなのだろう。孤独な行進曲である。

「第15番イ短調 作品132」はもっと切ない。第1楽章は低音弦の響きが幽玄の境地を思わせる。緩やかな第3楽章では、かすかな音がどこまでも引き延ばされるような悠遠な演奏だ。そして最後の第5楽章は孤独と哀愁のメロディー。全16曲中、最も美しい短調の旋律だと思われる。アンサンブルのかすかな揺らぎが、美しい旋律に郷愁をも帯びさせる。後のドボルザークやブラームスにつながる「美メロ」だ。

そしてついに人生の旅の果て。「第16番ヘ長調 作品135」は、ベートーベンの死の5カ月前に完成したといわれる。作曲の師ハイドンの世界に立ち返ったかのような4楽章構成の簡潔な古典様式で成り立っている。第3楽章の叙情的な安らぎの世界が美しい。のちのマーラーの「交響曲第3番」に影響を与えた緩やかな旋律が延々と流れる。終着駅の第4楽章はあっけない。「第九」のように華々しく終わることはない。ハイドン風の明快なテーマが登場し、達観したかのように端正かつ簡潔に締めくくられる。偉大なほど単純であり、切なくも感動的だ。余韻が残る中で、なぜか満ち足りた気分になる。

ひとりで来ている年配の客が多かった。静かに心に染み入るベートーベンの後期の弦楽四重奏曲は、単身の高齢者が増えるにつれてもっと聴かれるようになるかもしれない。隣の大ホールでの「第九」も、NHKの「紅白歌合戦」もまだ終わっていない夜10時前、コートの襟を立てた人々が、それぞれの除夜の鐘の鳴る方へと歩き始めた。

(編集委員 池上輝彦)

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番≪クラシック・マスターズ≫

演奏者:アルバン・ベルク四重奏団
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番・第16番

演奏者:スメタナ四重奏団
販売元:日本コロムビア

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