仕事と出産、女性は35歳まで「鐘」が鳴り続ける
ファッションジャーナリスト・生駒芳子さん
生駒さんは長らくファッション雑誌に携わり、最新ファッションやカルチャーはもちろん、女性の社会進出や環境問題など、日本のファッション誌にそれまであまりなかった社会的な視点を積極的に導入。エコとラグジュアリーを両立させる「エコリュクス」など、最先端のライフスタイルを発信し、注目を集めてきました。フリーランスに転じてからは、日本の伝統工芸を気鋭のクリエーターやブランドとつないで支援するプロジェクトを始めるなど、活動の場をしなやかに広げています。
激務かつ男社会といわれる出版業界に長年身を置き、現在はファッション業界における女性のエンパワメントにも取り組む生駒さん。プライベートでは37歳で長男を出産。アートキュレーターの夫と二人三脚で子育てをしてきました。いつも明るくパワフル、仕事も家庭も全力投球の彼女が、悩みながらも楽しんできた子育てと、その中で出会った「魔法の言葉」を伺います。
子育ては「大変」なのが当たり前なんですよね
――息子さんは19歳とのことですので、いわゆる「子育て」について、生駒さんは余裕で振り返ることができるのではありませんか。
生駒芳子氏(以下、生駒):確かに10年くらいたってみて初めて、あのときはこうだったのかなとかだんだん分かってくることがあります。今、うちの息子は19歳ですから、そういう意味で、私の経験が現在子育て真っ最中のDUAL読者にとって何らかのヒントになればと思います。
私自身がファッション業界のとても尊敬する大先輩から言われて、今も鮮明に覚えている言葉があるんです。ひとつは、子どもを産んだ直後に言われたもの。あるパーティーで出産したことを伝えると、「男の子? 女の子?」と聞かれました。「男の子なんですよ」と答えたところ、彼女は私の耳元でこうささやいたんですよ。
「男の子はかわいいわよ~」
いわゆるバリバリのキャリアウーマンで、人前で自分の子どものことなど話すタイプではなかった彼女が、周りには聞こえないくらいの甘~い声でね。
それからこう続けたんです。「働きながら子どもを育てるのって、絶対に大変なの。でもみんな大変なんだから、大変なんて言っちゃダメよ」と。それが彼女の美意識だったのでしょうね。とても印象に残りました。
そのときは「そんなものかなあ」とピンとこなかったんですけれど、育てていくうちに分かってきました。仕事をして、子どもを育てていくのは、大変です。すごく大変。そのたびに私は大先輩の教えに従わず、「大変! 大変!」と大きな声で言っていたような気がしますけどね(笑)。
それでも、すごく大変なときには彼女の言葉を思い出して「私だけじゃなくて、みんな大変なんだよね、これが普通なんだよね」と思い直し、私なりに自分を落ち着かせるようにしていました。
子育てに正解はない、すべてが自分のオリジナル
――その「大変さ」をどのように乗り越えてきたのですか。
生駒:「乗り越えた」なんていう立派なものではありませんよ。目の前のことに一生懸命になっているうちに子どもが育っていったという感じです。
子育ては思うようにならないことだらけ。そもそも、すべての領域が未知ですよね。私の場合は、子どもを一人しか産んでいないので、すべてが初めての経験。子どもが生まれたばかりの親って初めて育てるわけだから、親として1年生なわけです。だから先輩やほかのお母さん、おばあちゃんのアドバイスは、すごく心強く感じましたね。
ただね、そのアドバイスが問題だったりもする。赤ちゃんが泣いたら、抱いたらいいのか、抱き癖がつくから抱かないほうがいいのか、いろんな意見があって、何が何だか分からなくなってしまった。そんなこと、皆さんはありませんか。それで悩んだあげく、育児ノイローゼになっちゃうっていう気持ち、すごくよく分かります。こっちの人は抱いたほうがいいと言うし、あっちの人は抱いたらダメって言うし、わけが分からないですもん。じゃあ、どうすればいいの、っていう具合に。私もやっぱりノイローゼになりそうになりましたよ。
今なら分かります。子育てに正解はない、すべてはオリジナルなんだということがね。
それでもまあ、今から考えると、子どもが小さくて大変な時期は、自分にとってはちょっと面白い体験でした。
20代は子どもが欲しいと思ったこともなかった
――そもそも妊娠・出産は計画的だったんですか。
生駒:子どもが欲しいと思ったら授かったという感じです。二度目の結婚後、長男を出産しました。それまでは、子どもが欲しいなんて思ったこともなかったんですが、再婚してすぐに子どもが欲しいって思っちゃったんですね。不思議なものでね。それですぐできたという。そういうタイミングだったわけです。
1回目の結婚生活も充実していましたが、ある意味で自分が男みたいになっていました。「子どもなんか産まなくていいや、男が産めばいいのに」と公言していたほどですから。当時の『エル・ジャポン』の編集長がその発言を面白がって、そんなテーマの記事まで作ったくらいなんですよ。
ちょうど男性の科学者が妊娠するというストーリーのアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画『ジュニア』(1994年)が公開されたころでした。そういえば、マルチェロ・マストロヤンニ主演の『モン・パリ』(1973年)も男性が妊娠する話でしたね。そんな記事をまとめた直後に離婚・再婚を経験し、急に子どもが欲しくなったんです。女性って不思議ですよね。
近くに住んでいた姉のことも影響しているかな。姉とその子どもを見て、目からうろこが落ちました。身近な人が子どもを産むと一番衝撃的じゃないですか。姉の膨らんでいくおなかを見て、その後、赤ちゃんを見て、すごく感動したんです。「うわあ、人間が人間を生み出すんだ、なによりすごい!」と。私が出産する4年前かな。それが心に残っていて、自分のなかでも変化があったときに、子どもが欲しいと思ったわけです。
35歳まで「カンカン」と鐘が鳴り続けていた
――出産したのは37歳のときですね。
生駒:実は、高齢出産で息子を産んだ経緯を本にしたんです。ペドロ・アルモドバル監督の『神経衰弱ぎりぎりの女たち』をもじって『神経衰弱ギリギリの妊婦たちへ』(ちくま書房)というタイトルです。日赤医療センターの高名な産婦人科医へのインタビューも掲載しました。
「先生、高齢出産ってどうでしょうか」と尋ねたら、「卵を買ってずっと冷蔵庫に入れておいたらどうなる。そういうこと」という答え。「卵が古くなるんですね、分かりました~」と言うしかない。はっきり言われるとショックなんですけど、医学的な見地からすれば、早く産んだほうがいいというのはその通りなんでしょう。
それでも、女性の精神面を考えるならば、30歳、いや35歳を過ぎてから産むのも、個人的にはおすすめですよ。自分が落ち着かないうちに産んでもね。今は、刺激がこんなにあって、社会にも出て、楽しいこともたくさんあってという時代ですから。
私の持論では、女性は35歳まで鐘が鳴り続けます。自分を何とかしなくちゃいけないっていう鐘が、25歳から35歳までずっと鳴っている。「自分をもっと変えられる」「自分はもっと先に行ける」「自分にはもっと何かがあるんじゃないか」とずっと思い続ける。実際、私も鐘が鳴るのが聞こえていましたからね、カンカンカーンって(笑)。
それが35歳を過ぎると、まず体が変わり始める。そして、なんとなく自分が見えてくるんですよ。子どもを産もうが、産むまいが関係なくね。見渡せる地平っていうのがはっきりしてくると、少しずつ考え方も落ち着いてきます。
「自己犠牲」は子育ての禁句
生駒:それまでは、「あれもできるかもしれない、これもできるかもしれない」っていう思いが錯綜(さくそう)する、それはそれはにぎやかな時期なんです。こういう時期に子どもを産んじゃうと、子育てになかなか集中できない。
25歳から35歳はちょうどキャリア形成期に当たりますから、そのころに仕事も子育ても遊びも、ってなると、やっぱり落ち着きにくい。それが35歳を過ぎてからですと、少し落ち着いて産めるんですよ。私が20代の頃は、自分のことに必死だったから、やっぱり産めなかったと思います。精神的にまだ若かったというか。
もちろん個人差があって、若くして子どもを産んで立派に社会で活躍している方もたくさんいらっしゃいます。でも私はそうではなかったし、もし若くして産んでいたら、やっぱり犠牲のようなものを感じていたかもしれない。子育ての禁句の一つが「自己犠牲」ですよね。「あなたを産んだから、私はこれができなかった」とか、そんなふうに言われたら子どもはいちばん辛いわけだから、決して言ってはいけないですよね。
どの家にもドラマの1つや2つはある
――実際のところ、子育て中に自分を犠牲にしていると感じたことはありませんでしたか。
生駒:「子育てしているから、何かを我慢する」という発想そのものをやめようと、私は思っていました。1回しかない人生なんだから何でも全力投球でいきたい。だから仕事にもとことん向き合いました。「子どもがいるから、これはやめておこう」とか「これはできない」とか思ったことは、私にはなかったかもしれません。
それに、中途半端な「我慢」や「犠牲」では足りないくらい、子育ては長く続きます。小学校に入ったら終わり、中学に入ったら終わり、じゃないですから。今も続いていますよ。最近になっても、息子とケンカして頭にきて、もう顔なんか見たくないと思い、夜中にうちを飛び出したこともあります。
みんな葛藤していますよ。どの家も、なんだかんだあります。ドラマが1つや2つ必ずあります。大変なのが当たり前ですから。そのときそのときでどんなふうに対処するか、それぞれが発明していくしかない。模範例なんてないですからね。
でもね、前にも言ったように、子育ては思うようにいかないことばかり。仕事に全力投球すると決めてそうしてきたのは私にとってはよかったけれども、それが息子にとってよかったかどうか、というのはまた別の問題でしたから。
それでも、前向きに取り組んできたつもりです。そもそも、子どもが欲しいと思ったときに産めたのがラッキーだったと常々思っていました。以前、部下が私と同じように35歳を過ぎて最初の子を産んだのはよかったのだけれど、「2人目ができない、もっと早くに産んでいれば…」とこぼしていたことがありました。だけど私は、「ねえ、私、1人でも生まれてきてくれて、本当にラッキーだと思わない。よかったわよ、産めて」と言ったことがありました。
どんな状況もポジティブに受けとめてきました。ですから、19歳になった息子相手に、いまだにいろいろと格闘しながらも、どこかで面白がっています。
1957年兵庫県生まれ。東京外国語大学フランス語科卒業。フリーランスのライター、エディターとして雑誌や新聞においてファッション、アートについて執筆・編集。1998年より『ヴォーグ・ニッポン』、2002年より『エル・ジャポン』各誌で副編集長を歴任。2004年に『マリ・クレール日本版』編集長に就任。2008年に独立し、現在はフリーランスのジャーナリストとして活動。2011年、日本の伝統工芸の再生を図る工芸ルネッサンスプロジェクトWAOをプロデュース。クール・ジャパン審議会委員、公益財団法人三宅一生デザイン文化財団理事、NPO「サービスグラント」理事、JFW(東京ファッションウィーク)コミッティ委員、一般社団法人ウィメンズ・エンパワメント・イン・ファッション(WEF)理事等。東京成徳大学経営学部ファッションビジネスコース特別招聘教授。離婚・再婚を経て、37歳のときに長男を出産。ファッション、アートを中心に、社会貢献、エコロジー、女性の生き方まで幅広いテーマでの執筆、講演活動、プロジェクト設立・運営に携わる。
(ライター 井伊あかり、協力 Integra Software Services)
[日経DUAL 2014年11月21日付の記事を基に再構成]
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