編み物で被災地復興、世界も目指す女性起業家
気仙沼ニッティング・御手洗瑞子氏
1着7万5600円(税込み)のセーター、同15万1200円(同)のカーディガン――。決して安くはない商品だが、約2年間で300着近く売れている。宮城県気仙沼市にある「気仙沼ニッティング」。東日本大震災がなければ、おそらく生まれていなかったであろうこのベンチャー企業を率いるのは、20代の女性経営者だ。
御手洗瑞子(みたらい・たまこ、29)は東京生まれ東京育ち。いまは気仙沼に住まいを移したが、震災発生時にはブータンにいた。
ブータンで見た津波被害
大学卒業後に入社した米系コンサルティング会社では、大企業の経営者のサポート役として奔走。2年間勤めた後、ブータン政府が募っていた「首相フェロー」の職に応募した。フェローに就任すると現地で観光産業の育成などを主導した。
「国を動かす人たちのすぐ近くで働く」フェローのキャリアは、御手洗が10代のころから夢見た国際協力の延長上にあった。「よその国の政府で信頼を得るにはどうすべきかと思って、日々、全身全霊でブータンのことばかりを考えていた」
震災はブータンに移ってから半年、仕事が軌道に乗っていたころに起きた。テレビから流れてくる津波の映像に心が激しく揺れた。映し出されていたのは、コンサルタントとして駆け出しのころ仕事で過ごした町。家々が波にのまれ、跡形もなくなっていた。
「ずっと国際協力に興味を抱き、日本よりも大変な境遇の国があると思ってきた。でも震災のニュースを見たとき初めて、日本のために仕事をすべきだと思った」。御手洗はこう振り返る。
「いまこの状況で、タマコのやりたいことをやればいい。その決断は全力でサポートする」。ともに仕事をしてきた尊敬するブータン政府高官の言葉に、決心は固まった。契約を更新せずに2011年9月に帰国。古巣に戻り、すぐコンサルタントとして被災地の復興支援活動に携わった。
ブータンで目にしたテレビニュースでは日本中が壊滅したような印象を受けたが、元来のコンサルタント気質からか、冷静な目で現状を分析できた。被災した企業の経営者らと対話を重ね、「震災前からどうにか収支とんとんで、自分の子供に事業を承継すべきでないと考えていた経営者が多い」という事実を知った。「新しい産業をつくらなければバランスがとれないのではないか」
知人による「編み物」への誘い
そんなとき、旧知だったコピーライターの糸井重里から話を持ちかけられた。「気仙沼で編み物の事業を立ち上げようとしているけど、社長をやらない?」。気仙沼の主産業は漁業。多くの住民は漁網を繕って直す技能を持つ。手先の器用さをいかして編み物を趣味とする女性が多く、手芸店も目立った。
「ブータンに行くときよりも真剣に考えた」と御手洗は笑う。「ただでさえ被災で大変な人たちを巻き込むことになる。振り回してうまくいかなかったらどうしよう」。1週間かけて考え抜き、出した結論は「挑戦」だった。
「これをうまく育てられれば、まさに『新しい産業をつくる』ことで雇用を生み出すことにもつながる」。決めたら行動は早い。12年6~7月、漁業の街でフィッシャーマンズセーターで有名なアイルランドのアラン諸島に視察に赴く。すぐに素材の毛糸や製品のデザインをつくる作業に着手。併せて編み物の技術に優れた人を探し始めた。
同年12月。最初の受注を始めた時、編み手はわずか4人。有名なニット作家に依頼したデザインを忠実に編めるスキルがある人は、これだけしか確保できなかった。
京都の毛糸メーカーと共同でつくった糸は軽くて丈夫というのが売りだ。商品は手編みで、顧客のサイズに合わせたオーダーメードのものもある。「一生ものになる商品」を志向しているため、価格はあえてそれなりの水準に据えた。とはいえ、ネット販売を始めようとするときはヒヤヒヤした。「1着も注文が来なかったらどうしよう」。ふたを開けると100件の申し込みが寄せられ、たった4着の商品は抽選販売となった。
質には妥協しない
現在は、総勢40人ほどの編み手がいる。社長ながら、編み手よりも若い御手洗はときに「タマちゃん」と呼ばれ親しまれる。だがブランドを長く育むため、質には妥協しない。出荷の前に社長自ら行う品質チェックは、どの編み手も緊張するという。
会社は1年目から黒字を出した。納税したことを報告すると、ある編み手から「これで肩で風を切って気仙沼を歩けます」と言われた。しかし、決して満足はしていない。
国際的にも高い日本の労働者の給与水準を満たしつつ新たな産業を興すことは、壮大な「社会実験」だと御手洗は言う。山は高いからこそ登りがいがある。「100年後に手編みのニットといえば気仙沼、というように世界から知られる産業に育てたい」。日本の地方にどっぷりつかりながらも、その視線の先には地球儀がある。=敬称略
(映像報道部 杉本晶子)
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