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アート&レビュー
舞台・演劇

2014/12/25

舞台・演劇

演劇界の将来を思えば、30代を中心とした中核世代の作家から力作が生まれたことを喜びたい。中でもまず挙げたいのが桑原裕子作・演出の「痕跡(あとあと)」。主宰するKAKUTA公演の快作だった。行方不明の子供を探す母の探索から、社会の底辺で逼塞(ひっそく)する人間の哀感が浮かび上がる。セリフの語感が繊細、雨の音を心象に重ねる演出も青山円形劇場の臨場感を生かして鮮やかだった。斉藤とも子、松村武の演技も忘れがたい。

国際的に活躍する岡田利規が作・演出したチェルフィッチュの「スーパープレミアムソフトWバニラリッチ」KAAT公演も、コンビニという生活空間をJ・S・バッハの聖なる響きで異次元に組み替え、驚かせた。岡田演出はくねくねと定まらない身体、とりとめもない会話という独特のスタイルで知られる。ゆるさを突く作意は鋭い。徹底的に管理される消費社会の末端をとらえ、行き場のない人間の感情をすくいとった。このほか、猿之助のスーパー歌舞伎に台本を寄せた前川知大が主宰のイキウメで作・演出した「新しい祝日」が、働き盛りの魔の時間を軽妙に切り開いた。イキウメはいま最も息の合ったアンサンブルを見せる集団だろう。

「おとこたち」の岩井秀人、「∧∧∧ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと……」の藤田貴大、「終の楽園」の長田育恵、「サラエヴォの黒い手」の古川健、「母に欲す」の三浦大輔、いずれももう一段の成熟へ向け、作風の転換点を迎えている。これからに注目したい作家たちだ。

上の世代に目を転じれば、文豪と大逆事件の意外な顛末(てんまつ)を確かなセリフで切り取った永井愛作・演出「鴎外の怪談」(二兎社)がさすがに練れていた。東憲司の「案山子(かかし)」(トム・プロジェクト)も秀作だった。

日本人はどこから来て、どこへ向かうのか。戯曲は歴史と時間を保存するタイムカプセルであり、それを現代に生き返らせるのは演出家の最も重要な仕事だ。過去の秀作に渾身(こんしん)の演出でのぞんだ栗山民也の「マニラ瑞穂記」(秋元松代作、新国立劇場)、宮田慶子の「地の乳房」(水上勉作、青年座)、丹野郁弓の「白い夜の宴」(木下順二作、民芸)に見ごたえがあった。これに異才ケラリーノ・サンドロヴィッチの演出作品を加えておこう。岸田国士の一幕劇を構成した「パン屋文六の思案」で青山円形劇場を大正モダンのパノラマ空間に換えたセンスの妙、別役実の「夕空はれて」をポップな喜劇に仕立てた手腕が光った。

英米の翻訳劇が盛んに上演されているが、作品選択に首をかしげることも多い。上演意図が明確でなく、スケジュールの穴埋めにしか思えない舞台もある。その中で、戦争を直視する同時代の翻訳劇を果敢に演出した文学座の上村聡史の仕事が異彩を放った。世田谷パブリックシアターの制作した「炎 アンサンディ」(シアタートラム)はレバノン生まれ、カナダ在住のワジディ・ムワワドが書いた衝撃的作品。ギリシャ悲劇をなぞる人間の闇が中東の現実とともにえぐられる。神話的な世界を麻実れいの語りが見事に表現したのは、驚嘆に値する。SPACの静岡芸術劇場で同じ作者の「頼むから静かに死んでくれ」(2010年)を見たことがあるが、アヴィニョン演劇祭でも熱狂を呼び起こしたこの作者は中東の悲劇を大きな物語に転換する。目下の世界演劇の位置を示す作家だろう。

また上村は「信じる機械」(アレクシ・ケイ・キャンベル作)を文学座アトリエで演出し、宗教、人種、同性愛など米国で起きている問題をディスカッションの演劇として舞台化した。新国立劇場でも「アルトナの幽閉者」(サルトル作)を取り上げている。討論劇は日本の現代演劇に少ないだけに上演意義は少なくない。

演出の領域では蜷川幸雄が圧倒的な存在感を示しているが、層が厚いとはいえない。KAATに本拠を構えることになった白井晃が東宝のシアタークリエで演出した「ロンドン版ショーシャンクの空に」で優れた成果をあげたのは頼もしい。佐々木蔵之介、國村隼らの好演もあり、脱獄の物語から緊迫した心理劇を導き出した。長塚圭史(葛河思潮社「背信」など)、小川絵梨子(シス・カンパニー「ロンサム・ウェスト」など)、森新太郎(世田谷パブリックシアター「ビッグ・フェラー」)らのいっそうの活躍も期待したい。

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